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あゝ豊中ロマンチック街道

大阪は豊中にある「ロマンチック街道」をご存知だろうか。


この、二度見してしまう名前の街に、地方から出てきて結局6年間お世話になった。この街が、すこぶる素敵なのだ。

ロマンチック街道との出会い

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大学入学が決まり、現地に物件を探しに行った。
何軒か紹介されたが、どれも「まあ、悪くないけど…」という感じ。
もちろん、田舎から出てくる身。それほどまで、豪華なところは期待していない。
しかし、初めての一国一城。
できることなら、田んぼのど真ん中とか、どかーんとした国道沿いとかは避けたい。(どちらも実際に紹介された)

その折で「一軒、いいのありますよ」と、不動産屋さんは「ロマンチック街道」という名前を口にした。
最初はさすがに
「ぷ」
と思った。
そんなの、決まっている。
大学で初めて出会う人と、絶対にこんな会話になってしまう。

「ど、ど、どこに住んでるの?」
「しょ、しょ、しょうじ駅付近の、ろ、ろ、ろまんちっく街道ぅ」
「???」
「???」

しかし。
現地に車で連れて行ってもらい、その街に入った瞬間決まった。

「私 この町にする(こっちは黒猫のジジ!)」
「???」

部屋自体はシンプルなワンルームで、築年数もそこまで新しくない。
けど、一国一城としてはもう充分だった。(家賃も安い)
閑静で上品な街並み、ソフィスティケイテッドな人々、品と質・その頂。
(マンションポエムみたいになってきたぞ)
一緒に見学に来ていた親も含め、すっかり気に入ってしまったのだ。

2011年4月、かくして私の一国一城・ロマンチック街道ライフが始まった。

なんていい街ロマンチック街道

住んでみると、それはまたいい街だった。

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マンションの近所に消防署があった。
朝になると隊員さんたちが元気よく体操を始め、また昼になるとそこに園児たちがキャッキャと見学にやってくる。
ベランダからその様子を眺めていると、下手すると自堕落極まりかねない大学生活が、いくぶん引き締まったように思えた。
(それでも寝るときは昼まで寝た。強い意志をもって。ごめんちゃい。)

近所にはなんと、ロシア領事館もあった。
これがまたありがたい。
というのも、無用なトラブルを避けるため、常に警察官が付近を見回ってくれていたのだ。
国民の祝日になると、決まって某主張団体と警察のツバ競合いが始まった(わが国にはロシアと一緒に解決しなければならない問題があるのだ)。
ベランダで歯磨きしながら、それを観戦するのもなかなかオツであった。文字通り、高みの見物。

またなにより、住む人がこの街を好いているというのがよく分かった。
普段から街路は綺麗に掃除され、樹木や草花でおだやかに飾られていた。また、冬になればささやかなイルミネーションが施された(ほとんどが地域住民のボランティアだという)。
「この地域が好きで、大切にしたい」という思いのあるコミュニティ、そこで暮らしているという実感はなんとも温かいものだった。

肝心のお部屋は

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マンションには、管理人さんが常駐していた。
この管理人さんがまた強い。
風紀を乱すと(部屋で騒ぐ、自転車を適当に停めるなど)容赦なく駆けつけて、怒号を浴びせてくれるのだ
これは良かったと思う。
世間知らずの若造には、誰かがお灸を据えないといけないのだ。

その一方で、バイトの夜勤明けでデスペラートになって帰ってきたときも、玄関の掃除をしながら「おかえり、お疲れさん」とぶっきらぼうに労ってくれる。そんな優しさもあった。
いやー、改めてお世話になりました。

しかしリフォームしているとはいえ建物の築年数はさすがにごまかせず、とくに排水面では結構苦労した。
シャワー程度ならなんとか持ちこたえるが、風呂など沸かそうものなら、その後の排水が上手くなされずユニットバスが水浸しになるのだ
そのため、トイレを必ず入浴前に済ましておかないと、どえらいことになる。自宅でできる水遊び。

また、マンションそれ自体は大学のどのキャンパスからも離れていたので、友人に来てもらうのは一苦労だった。
(「遠い」「坂多い」「まだ歩くん?」「…バス?」など)
まあそのおかげで、学校がない日に友人と遭遇するということはほとんどなく、ゆっくり過ごせたような気がする。
ちなみにいちばんご近所の友人は、向かいの高そうなマンションに住んでいた。そしてそれは「実家」だった。格差社会は、あらゆる形でわれわれの前に姿を現す。

数々の名店たち

ロマンチック街道には、相当に素晴らしいお店が数多くあった。

・全国からパティシエたちが修行にくるほどなのに「!?」という値段でスイーツがいただける「ムッシュマキノ
・ふつうのランチぐらいの値段ではちきれるぐらい新鮮な野菜が摂取できる「SOSH SQUARE
・どう見ても美味しいとんかつをあげそうな風貌の店主が豚肉のスジを切る音が店内に響きわたる「チャールスとん
・インドカレーの概念を覆す上品な「タータンナディ

他にも書き切れないほど数多くの名店がある。私が去ってからも、いろいろな店ができているという。
逆に「松屋」のような、学生がさっと入れる店は少なかったが、これだけいい店(しかも値段は手頃)が揃っている街はそうないと思う。

当時はお金のない学生なので、ある程度は行動に制限があったけれど、今戻ったらどんなお金の使い方をしてしまうんだろう……。怖い……自分が怖い……。

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<バイトもロマンチック街道で。5年半働いたドトール>

学生ラスト2年間は、豊中ではなく少し離れた吹田の方に用事があったので、電動自転車を駆使して30分ぐらいかけて通っていた。
ちょうど通学路にスーパー銭湯があったので、「水曜日は水春の日」と決めて、週に1回通っていた。

この時期に、サウナ習慣が確立されてしまったような気がする。今では週に1回どころか、あちこちの銭湯サウナに、週平均6.5回は通っている。怖い…自分が怖い…。

用事のあった吹田キャンパス付近には「小野原」という、これまたロマンチック街道のように洗練された住宅街があった。
そのため、ロマンチック街道を出発し小野原を通過して大学に向かうと、自分がまるでセレブになったかのように錯覚してしまう。そんなエキセントリックな通学時間だった。

おわりに

初めての一国一城も、やや長めの大学生活と共に終わった。
その後も何軒か引っ越しをしたが、ロマンチック街道に匹敵する街は、なかなか見つけられずにいる。

でも、もしかしたら。
あなたが今住んでいる街も、良く目をこらせば、そこにはきっと素敵なものがあるのかもしれない。人とか、景色とか、コミュニティとか。
そう、それはまるで、真昼に打ち上げられた花火のように。
うん。
村上春樹みたいな終わり方だな。

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