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己の内のマゾヒズムと芸術性

絶望という名の種を心に植え、狂気という名の水を与え続ける。さすれば芸術という名の花が咲く。そしてその花には才能という名の実が宿り、その実には、また絶望という名の種が宿るから、私はその実を食したのち、また心に種を植える。

私にとって芸術とはこういうものなのだ。基本的には負の感情からしか、私の芸術は秀でない。孤独のときにしか私の芸術を生み出せない。でも負の感情を感じる度に、私は私をアートできる。だから私は何とか死なずにいれている。むしろそこに生きる価値を見出している。真性のマゾヒストであろう。私は。
でも人間は皆、度合いはあれどマゾヒズムを持っていると私は思っている。何故なら、痛みや苦しみなどといった、負、であるものでしか成長出来ないからだ。いや、少し語弊がある。痛みなどによるものの成長が、一番度合いが大きいから。と言っておこう。

ではここで訊きたい。

お前は自分が備え持っているであろうマゾヒズムをどう昇華する?
それともマゾヒスティックなものを持ったままにしておく?
それともそんなものは持っていない?

さあ、お前に訊きたい。

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