「はじめての」を読んで感じたこと

夜に駆けるで有名なYOASOBI。YOASOBIは小説をモデルに音楽を作るアーティストである。もともとYOASOBIのファンであったが、電光石火のライブをきっかけにこれまで以上にファンとなった。そんなYOASOBIの楽曲の元である小説の「はじめての」を読みつつ、思ったことを書きとどめたいと思う。

「『ユーレイ』ーーはじめて家出したときに読む物語」(辻村深月)
YOASOBIの楽曲名は”海のままに”である。たくさんの楽曲をヒットさせているが、この曲も優劣をつけられないほど好きな曲である。

家出をした一人の女子中学生
彼女の名前は海未である。
彼女が家出を決心した理由は社会問題となっているイジメである。
そんな彼女は自らをもう終わらせたい。その気持ちで、
窓から見る知らない景色をただただ見続けて、長い時間をかけて知らない場所に電車で向かっていく。彼女が電車に乗り込んだのは昼下がりの陽射しが眩しい時間であり、そこから夕日はオレンジ色に染まって夜の世界に移る。学校に限らず会社でも社会問題となっている風通しの悪い環境(≒イジメ)が日本にはある。日本人は道徳で助け合いの心を学んでいるはずなのに対し、人をモノサシで判断することが多い。それが続くと、作中のセリフを引用するが明るい世界に戻ってきたくなくなる。

もう二度と、私はこの明るい世界に帰ってこない。

『ユーレイ』ーーはじめて家出したときに読む物語」(辻村深月)

最後に海を見たい
最後に、彼女は夜の海を見たことがないと気づき、海を眺めたいという思いから海が見える駅に降り立った。
海沿いの駅に降り立つとそこには花束が向けられた広場がある。そんなとき、のどかという女の子から声をかけられる。のどかは近くのアパートに住んでおり、お母さんに怒られて片付けをしている最中であった。のどかがベランダにでたとき、とある女の子から手を振られて海辺にやってきた。
とある女の子は水難事故で命を落とした子であり、その子のために花束が向けられている。

何もいわずに一緒に花火を
のどかは海未に一緒に花火をしようと花火セットを持ってきていた。しかしライターを忘れており、海未に貸してもらった。ライターを借りるとき、のどかはバックの中がみえたのだろう。しかし、何も言わず一緒に花火をつけようとする。作中のセリフを引用するが、この短文にすべてが詰め込まれているように感じる。

「やめなよ」

朝までそばにいてくれる?

『ユーレイ』ーーはじめて家出したときに読む物語」(辻村深月)

朝目が覚めると
花火を終えると知らない間に二人とも眠りについた。海未は朝を迎える。海未がユーレイだと思っているのどかも朝を迎える。海未はユーレイだと思っており、そのユーレイが海未に生きてほしいと願い、のどかを呼んでくれたのかもしれない。そして彼女たちは友達となることができた。

最後に
この物語は苦しい時に読むと本当に心が救われます。小説を読んだ後に海のままにのPVを見ると+αの効果となります。
家出をして見知らぬ土地に行き、見知らぬ人によって救われる。社会で生きているとどうしても考え方の視野が狭くなってしまう。自分が無理をして頑張ればよい、身近な人に相談しても想定している回答が返ってくるという考えになりがちだと思います。そんなとき、自分から遠い人の考え方や生き方を聞くことが新たな扉を開けてくれると感じました。そのためには全てを投げ出して知らない世界に飛び込む気持ちが必要であり、彼女はその一歩を進める勇気がある強い女の子だと感じました。(命を終わりにすることには肯定できませんが、ニュアンスとしては一歩を踏み出す勇気がとても必要だったと小説から感じていました。)
逃げ出すことは悪くない、この気持ちを忘れないようにしたいと思います。

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