お金に使われながら、お金を使いながら
今日は2021年の12月23日、私は2022年の1月で21歳になるへび年の男.
サブスクの見直しと共に、半年に一回ぐらいは、お金について自分なりに考える機会を持てていると思う.
お金をどういった視点でとらえるかによってストレス値が変わる気もするし、自分の腑に落とせる程度にはお金をそれなりに捉えていたい.
宮台真司に言わせれば、人間は本来道具であった社会システムを維持するための道具に成り下がってしまっているらしく、きっとお金というのは交換可能な部品人間にとっての熱量であり、同時に熱量の獲得場所になるということが考えられる.
これまで日本がスクラップ&ビルドでやってきたとして、そのコストはどこから確保していたのかを考えると、個人的には「物欲(お金)かな?」と思う.あと人口の大きさ.
美輪明宏が言う”無償の愛”によって生かされてきた部分もあるだろうが、大きな人口と物欲という要素が組み合わさった状態の方が、経済的な影響は大きいだろう.
経済的な影響を生み出すために投入された人間の根本的なエネルギーというか、頑張りたいときに頑張れる力を授けたのが無償の愛だというのならば、無償の愛の恩恵は計り知れない.
「自給自足の生活」という言葉とか概念とか状態が社会には存在しているらしい.
生まれた時からその状態なら良いが、お金が原動力になって動いていると考えることができる社会に生まれた側の人間が「自給自足の生活」を目指した場合、やっぱりある程度の資金が必要になる.
高校受験のために通っていた塾の塾長が「金は選択肢を与えてくれるんだよ」と言っていた.
どういうことかと聞いたら「うまい事が確定している確率が高い肉か、そうでない肉かを選べる」という説明をしてくれた.
当時小金持ちだった父に「レミーのおいしいレストラン(ピクサー映画)に出てくるシャトー・ラトゥールとかいうワインが飲んでみたいんだよね」と言ったら、未成年ではあったものの、誕生日に飲ませてくれた.
高価なワインを飲んだのはそれが初めてで、でも初めてなりに、子供なりに「え、こんなに美味いものがあるのか」と思ったりした.
それ以来シャトー・ラトゥールを飲んでいないが、また飲みたい.
でも10万円以上するワインなので、今の自分には簡単に手を出せるものではない.
「あぁ、”あのワインが飲みたい”という感覚が単純に物欲であり、社会を頑張らせているのか」と、突然思い知らされる感覚で考えることもあったりする.
これらを「このサブスクを継続するべきか?」とか考えながら、思い出すようにして考えたりしている.
「 お金に使われながら、お金を使いながら. 」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?