見出し画像

自己紹介1

はじまり


美濃焼の産地、岐阜県土岐市に私が両親と共に営んでいる正陶苑はあります。
創業は今から26年前の1997年、比較的若い窯焼きです。
この年父は今まで勤めていた製陶業から独立し自分の窯を持ちました。
僕はこの時17歳で高校卒業後の進路の事を考えていた所だったので父のこの決断に正直戸惑いました。
父が自営業を始めたとあれば誰かが継がなければならない。
僕は3人兄弟の長男なのでやはり継ぐのは自分だろう、しかし明確な進路も決めていないとはいえ大学進学をぼんやり考えていた所から急に器作りへの急カーブを受け入れるには自分はまだ若すぎました。



若さゆえの・・・


突然の進路変更を高校2年生の僕は受け入れることができず高校卒業までの2年間無気力に生活していました。
所謂ヤンキーのようなグレかたでは無く
「勉強してもしなくても家に入るんだから一緒でしょ?」
と宿題やらない、授業中にノートもとらない、テストは全教科赤点と勉強を完全に放棄していました。(でも校則違反はしていません!)
そして高校3年になり卒業後の進路を決めるとなった時、陶器のことを学んでから家に入るべきだと言うことでお隣の市の多治見市の多治見工業高等学校専攻科に進む事になりました。


どん底期

多治見高等学校専攻科はその名の通り高校内にある陶芸家を目指す全国の幅広い年齢の方々が学ぶ学校です。
卒業生には現在も第一線で活躍されている作家さんも沢山います。
そんな学校で僕は何をしていたのかというと・・・・・
パチンコとスロットでした・・・学校の面汚しでほんとごめんなさい・・・
17歳で稼業を継ぐことを決めはしたもののまだこの頃は決心しきれないでいました。
卒業する20歳までこんな感じでした。

一大事!

専攻科を卒業後地元土岐市の陶磁器試験場と言う所でもう2年間学ぶ事になりましたがやはりうだつの上がらない日々は変わりませんでした。
そんなある日母が急な腹痛に倒れました。
精密検査の結果どうやら胃癌だろう、と。
うちは家族経営の小さな窯焼きだしそもそも家事をしてくれている母が入院となれば家の中が大変な事になるぞと言う事で試験場の在学期間を1年残し急遽退学しここで稼業に入る事になるのでした。
しかしここで大変な事が発覚!
2度目の精密検査の結果母の胃の腫瘍は綺麗さっぱり消えてしまってしました!
なし崩し的に家に入ったもののその原因がなくなってしまうという想定外のアクシデントが起きてしまったのですが今更また外に出る、と言うタイミングもなくそのまま稼業を継ぐ事になったのでした・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?