その我慢は【苦しい】のかい?

インストラクターのゆざきよです。
コロナウイルスの影響でレッスンやイベントが中止になり、さぞ暇な生活になるのだろうと思ったが、なんだかんだで以前以上に心は穏やかではいないし、慌ただしい。

「心が穏やか」でいる状況であれば、どんなに時間がなくても忙しくても、肉体が辛くとも苦ではない。「心がざわついている」あいだはいくらゆったりと時間が流れていても、好きなことをしていても、ただ呼吸をしているだけでも苦しく感じるものだ。

【苦しい】
[ くるしい ] 
 苦しいとは、呼吸を止めていると三十秒後くらいから(個人差あり)徐々に強くなっていく感覚をいう。本来は、痛みや不快さのために心身のバランスを失うという意味あいを表現した言葉で、心身やものの機能が正常でなくなるという意味の「狂い」と同じ語源だといわれる。つまり、本来は痛みや不快さのあまり七転八倒するような状態を言い表したものだが、いまでは「生活が苦しい」とか「寝苦しい」などなまっちょろい苦しさにも気軽に用いられるようになっている。(CAS)

私は一年に一度ほど【我慢】にぶち当たることがある。
あれ?と自分の感情に振り回されることがあったり、肉体的に無理をしていたり・・・。そんな時は大抵、胃が痛くなったり、涙が流れたり。

おー。私生きてんなー。人間だなー。

と思う。

この「我慢」を登山に例えるとしよう。
この我慢山を超えたら、想像を絶する素晴らしい景色が見えるとわかってる。

普段からちょっとずつ登ってはいて、見える景色が変わっているのを楽しむ余裕まであった。が、いきなり「はーい!ここからゴンドラつかっちゃいましょう!!」みたいに、思いがけずスピードアップして山の中腹まで行けちゃった時がある。

ゴンドラから降りてみたら、そこは雪世界。
酸素は薄い気がするし。寒いし。景色もなんだかよく見えない。

「いや、私まだそこは望んでいなかったんですけど・・・。装備も準備不足だし、経験ないし。。。出来ればまだ、山野草とかバードウォッチング楽しみたかったー。」

でもここの雪山を登らないと頂上に行けない。それは知っている。

しかし、勇気がない。
「数日ここでテント張って、様子みて、とりあえず天気良くなったら下山します!
どんな感じかわかってきたんで!!
また再度チャレンジできるよう、頑張りますわ!!」

勢いだけで、ポジティブ発言して下山したい。
酸素が濃い地上で、ぬくぬくと食事も暖もとれるところで、コーヒー飲みながらスマホ片手に「あー、この山登ろうとしたなぁ。またそのうちチャレンジしたいけど、まぁ時間もないし、体力も自信ないし。。」って思いながらボーっと言い訳をしながら過ごしていくんだろう。わたし。

そんな自分になりたいわけではない。

その我慢山を制覇したい。

我慢山から見下ろす景色はどんなに素晴らしいだろうか。
達成感。地に足がついた感。自信と高揚感でいっぱいなんだろうなぁ。

苦しい、やめたい。

そう思った時にイメージして大きく深呼吸してみる。

そうすると「苦しい我慢」が「必要な我慢」に変わる。

筋トレしてる間も苦しい。きつい。
出来ればトレーニングなんてしたくない。でも長い間サボると筋肉は落ちてしまうし、今まで頑張ってきたトレーニングが水の泡。

何よりも筋トレをした後の爽快感。体が変化して体力がついて気持ちまでも明るくなる高揚感。これがあるとわかっているから、「必要な我慢」を選択する。


必要な我慢と向き合うには「がまん」に耐えられるすこやかな肉体。
やっぱり最終兵器「身体」か。




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