心に温もりを感じる第一歩

人の心を温める人でいたいと思い、筆を執ってみた。
といって何を書くか決まっているわけでもない。

それなのになぜ、そんなことを思ったのだろうか。
たぶんだけど、自分の心を温めたいのもある。
別に、心に寒風吹きすさぶような人生を送っているわけではないけれど、でもどことなく肌寒さを感じることはある。だから少しだけ温めたい。

今の時代は、とにかくスピード、効率性、合理性へのプレッシャーが強い。人と人とのつながりは広がったように思うけど、ひどく浅いものに感じる。
どことなく、心にゆとりを持つことに後ろめたさも感じる。

それはまるで、下りのエスカレーターを登っているような感覚で、そこを登り続けないと人生の負け組になってしまうような感覚。何が勝ち負けを決める要因なのかは分からない。もしかすると、刻一刻とその要因も変わっていく。それを探しながら、そこに適応して、登っていく。

そんなことを感じながら人生の大半を歩んできた気もする。

いや嘘だ。しばらくは感じていなかった。ただ、エスカレーターに乗っているのだと思っていた。
あるときそれが、下りのエスカレーターであることを感じたのだ。慌てた。そして自分なりに勉強を始め、仕事に対する姿勢も変わった。周囲からの評価も少し上がったのではないだろうか。何となく、充実してき始めたようにも感じていた。

でも、心の中にはいつも焦りみたいなものがあった。だってエスカレーターは下っているのだ。これを登りきる自信なんて自分には持てなかった。だから、ずっと隙間風が吹いていて、肌寒さを感じていたのだ。

あれ、自分は何を書こうとしているのだ?
そうそう、心を温める文章を書こうと思っていたのだ。戻ろう。

そもそも、“心が温かい”とはどういうことなんだろう。
心に温もり感じる瞬間って、どんな時なんだろう。

思うに、笑いというのは、心に温もりを感じる瞬間の一つだろう。
心が笑っているときはきっとそうだと思う。

笑いで思い出したことがある。かつて桂枝雀さんという落語家が、緊張の緩和が笑いを生む、という緊張の緩和理論という概念を提示したという話。
例えば入学式や卒業式、結婚式などの緊張感のある場での誰かのちょっとした失態に笑いがこらえられなくなった経験はないだろうか。日常の中での失態であれば笑うことでもないのに、そういった緊張感のある場だとそうなる。これが緊張の緩和理論。確かにある。

私は意外とお笑いが好きで、テレビのネタ番組やトーク番組をみたり、少しだけ落語を聴いたりもする。そんなに深く追求しているわけではなく、何気ない日常の中の一つなのだが、自分の心に温もりを与えてくれる。

お笑いには、ネタという計算しつくされたもので笑わせる側面と、一方で客の反応を感じながら即興的に作り上げていく側面がある。特にトーク番組などは、即興芸として秀逸なものを見せてくれる。ジャズのような音楽と同様に、ものすごく洗練された芸ではないだろうか。

これができる背景を自分なりに考えてみると、一つはお笑いというものへの探求心であり、そこには人の心に揺らぎを与えることで夢や幸せを感じてもらいたいという願いがあるように感じる。
そしてもう一つは、心にスペースがあるということ。あれだけのやり取りをするには、それまで蓄積してきた引き出しの多さもあるだろうけど、何も入っていない引き出しもたくさんあって、何も入っていない引き出しを開けられてしまうことも楽しめる余裕。

そう、笑わせる側の心にスペースがないと、緊張を緩和させることなどできないのだ。

だから僕たちも、心に温もりを与えようと思えば、自分たちの心にスペースをつくらないといけない。

そんな風に考えると、下りのエスカレーターを登っているような状態では、心にスペースをつくるというのは、いかんともしがたい…。

あ、話がつながってきた。まさかつながるとは…、ってそんなことはない。そんな高度な書き方はできない。つなげようと思って書いていたのだ・・・。そんなことはどうでもいいので、話を続けよう。

ところで、なぜ下りのエスカレーターのように感じるんだろう。そもそも、人生は本当に下りのエスカレーターを登るようなものなのだろうか??

そんなはずはない。

ではなぜ? それは、他者の評価を気にするからではないだろうか。多くの人から評価されたい、賞賛されたい、あるいは馬鹿にされたくない。そんな気持ちが、下りのエスカレーターだと感じるゆえんだと思う。

自分の軸で人生を切り拓いていこうとすれば、そもそもエスカレーターなんてないはず。だって、これから自分で道をつくるんだから。

他者の評価より自分。自分が自分であること。
他者から評価される緊張感あふれる社会の中で、自分が自分でいられることで心にスペースが生まれ、緊張を緩めることができる。そんな時は、ほんのりとした笑いが心に生まれるかもしれない。これが心に温もりを感じる第一歩なのかな。

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