生活の全てをスプラトゥーンに注ぎ込めないわたしへ
こんなツイートを見た。
ヒヨコ研究者の端くれとして、この内容にはどちらも同意する。
活動できる時間のほとんどを研究に費やし、しかもそれを努力だとも思わないナチュラルボーン研究者をたくさん見てきた(これは主に日本で)。
必ず定時に帰宅するし、なんなら締め切り1ヶ月前であろうとバカンスで2週間休暇を取るのに毎年当然の如く論文を通す研究者をたくさん見てきた(これは主に海外で)。
(↑これは安易な海外アゲ日本サゲ主張ではありません念の為)
そういう人たちと少しでも渡り合えるようにわたし自身は私生活を多少削りつつ、しかもそれを努力だと思って研究に時間と体力を割いてきた。
一緒に研究する先輩、共同研究者、先生方に対して「そこにかけた時間」だけがわたしの出せる価値だったので、それにすがっていた。
じゃあこれが趣味のスプラトゥーンだったらどうなるのだろう?
趣味とはいえわたしなりには本気で取り組みたいと思えるもので、少しでも上手くなりたい、強くなりたい、勝ちたい、憧れの人たちに追いつきたい、という思いはある。
じゃあ全てを投げ打ってゲームをすればいいのかな?しないといけないのかな?
まあ土台無理である。
たくさんの人と関わっている研究活動はおろそかにできないし、主婦としてやることもたくさんある。わたしの時間はわたしだけのものではなくなっている。
そして大事なのはこれらはイヤイヤやらされてるわけでなく、わたし自身が「やりたい」と思ってやってることで、無責任に投げ打つ選択はあり得ない。
「少しでも上手くなりたい、強くなりたい…(以下略」と書いたが、これは「他の人よりも上手くなりたい、他の人に勝ちたい」と他者との比較で測りがちだし、実際わたしはよく陥る。
スプラトゥーンのXPという指標は他者がいる中での自分の実力を評価したものなので、当然"他者との比較"という観点がどうしても入ってくる。
はっきりと提示される数字を見て他の人と比較しないのも難しい。
そうなった時、「他の人が持っているモノ」が羨ましくなってくる。
たくさんの時間をゲームに捧げる人。
若くて反射神経や体力がある人。
サクサク上達していく俗にいう「ゲームセンス」に溢れた人。
みんな羨ましい。
でもそれは全部自分にはどうしようもないものなのだから、最近わたしは自分にこう言い聞かせるようにしてる。
「このゲームを上手くなりたい」と思った"あの時のわたし"が喜ぶような自分になろう。
生活の中でゲームに割ける時間が少ない中で、ほんの少しでもできる時間を増やした。増えたとて他の人に比べたら全然少ない?関係ない。
自分にできないことを色々練習してちょっとできるようになった。そんなん誰でもできる?時間かかりすぎ?関係ない。
できるようになったことが結果に現れてパワーを少し更新できた。そんなパワー誰でもいける?運だけ?低パワー?関係ない。
全部関係ない。
誰になんと言われようと"あの時のわたし"だけは褒めてくれるよ。
あ〜〜〜他の人との比較から解放されたい。あまりにも雑念。
こんなことを呟いたこともある。
確かにここで言ってる"数字(=XP)"は他者との比較の要素が強い。
でもその数字に対して「成長だ」とする根拠は"あの時のわたし"と"今のわたし"の違いだなって。
他の人にとっては大したことない違いかもだけど、"あの時のわたし"はその違いを喜んでくれるよ。
すごい偉そうにポエム全開で語ってきたけど、別に大したことは言ってなくて、「他と比べることじゃない」っていうのは本能的にわかってることだと思う。
だってじゃないと別にブキトップになれるわけでも、TOP10に入れるわけでもないのにこんなに続けてない。
ゲームは所詮趣味だし、別にこんなまどろっこしく色々理由つけないで「自分がやりたいからやってる」「楽しいからやってる」だけでももちろんいいと思う。
本能的にわかってはいるとは思うけど、理由づけなくていいかもしれないことだけど、こうやって言い聞かせるようにしてるのは、つい気を抜くと「他の人と比べてわたしは何をやってんだ」ってヘラってしまうからです。
ほんと時間の無駄。
でも無駄だとわかっていても陥ってしまう。ザコですね。
そしてこうやって言い聞かせること、ましてやnoteに書き散らすことがわたしがヘラるのを撲滅する上で意味あるかはわからないですが、書きたくなったことを勢いで書いただけです。
この記事はもうここで終わるんですが、めっちゃ急に尻すぼみ感ありますねw
ごめんなさい。これも勢いということで…
最後までお読みいただきありがとうございます。