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急激な赦しと感謝が訪れた

父に手紙を書いた。
向田邦子さんの「父への詫び状」ではないが、「父への感謝」を表現させてもらった。

私に学費がかかったとか言った父は、歳をとっていろんなものへの確かなものが危うい感じになっているのかもしれない。不安なのかもしれない。
そう思ったのだ。

母はもう天国だけれど、父にはまだ伝えられる。
言葉が足りなさすぎて、誤解ばかりで、すれ違ってばかりの親子関係。
「愛されてない」
って思ってしまったのは、私の誤解だったかもしれないという気持ちが強くなったので、手紙を書いた。

私が不器用ながらも物語を作ることができるようになったのは、両親のおかげなのは確かで。
7歳くらいまでは母が毎晩のように本を読んで聞かせてくれた。
小学校3年から高学年になるまでは、父が3つくらいの話をローテーションで毎晩語って聞かせてくれた。
もともと読書が好きで漫画が好きで。自然に物語を作るのは大好きになっていたけれど、その基礎を固めてくれていたのは両親だったように思う。

そして、何百万もかかった大学。
確かに、反対もされずに通えたのは両親のおかげだった。そのおかげで視野も広がったし今に繋がる友人もできた。

愛されなかったと思い込んだのは、育った過程で傷ついたことがたくさんあったからなのは間違いない。
これは体に痛みが刻み込まれていたので、どんなに意識で消そうとしてもできないものだった。だから、五年くらいかけて自分を大切にすることに取り組んできた。(心理的なアプローチが主流なので、今後少しずつ情報発信したい)

その過程で、何度も何度も、恐ろしく・辛く・悲しく・絶望的で孤独な気分を味わったけれど、最近ようやくその「傷」が癒えてきたようで、過去を客観的な視点で捉えられる時間が多くなってきた。

その中で、家族との楽しくて温かい時間も沢山あったことを思い出した。

記憶は「辛いこと」で蓋をされてしまっている。
だから、その蓋を溶かして解放してあげないと、その奥にあるあったかい美しい思い出が影を薄くしてしまうみたいだ。

またトラウマが発動して辛い気分になることもあると思う。
でも、間違いなく私は愛されていると感じて幸せな気持ちで過ごした時間もたくさんあった。

両親のことは心から大好きで頼っていて、ずっとずっと子どもでいたかったんだ。
親離れできないまま、何十年も生きてきてしまったんだ。
だから、ようやく……ようやく、子どもを卒業する時期がきたんだと思う。

今後も自分をしっかり大切にして、同じように大切にしてくれた人たちとの思い出を抱きしめていこうと思う。

父への手紙に、どう反応が返ってくるかには何も期待はない。
ただ、私は父に複雑な感情はあったけれど、やっぱり大好きだし、あまり伝わらなかったかもしれないけどすごく感謝しているんだよという気持ちが少しでも伝わったらいいなと思っている。

お母さん、産んでくれてありがとう。

お父さん、働いて育ててくれて、大きくしてくれて、ありがとう。

今現在、そう思っている。
これからも、ずっと、ずっと同じ思いでいたい。

こう思えている、今の自分が大好きだから。



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