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人はなぜ戦うのか?

皆さん、こんにちは!

こどもが浄土宗系の保育所に通っており、毎月、日本仏教保育協会から絵本と「こどものまど」という冊子をもらってきます。

その冊子に、読者からの質問や悩みに僧侶が答える、という連載があるのですが、これがなかなか奥が深く、興味深いのです。

今月の質問は「『どうして戦っているの?』と聞かれたら」というものでした。これは今まさに世界で起こっているウクライナとロシアとの戦争、イスラエルとパレスチナとの戦争、様々な民族の紛争についてです。

ウクライナとロシアの戦争が始まったとき、5歳の息子に、ちょうど同じ質問をされたことがありました。その時は理由を答えたというより、戦争は何の罪もない人の命を奪うものでダメなものなんだ、と答えたように記憶しています。

でも、なぜ戦争は起こるのだろう?なぜ世界は今でも戦争を止められないのだろう?なぜ人は戦争を繰り返すのだろう?

自分の中からもいくつも質問がわいてきました。
その素朴な疑問に答えようとすることは、自分が一人の人間として世界をどう見ているのか、どのような価値観に基づきどのように判断し行動するのか、強く考える必要があり、そしてそれを親として子どもと話すことはとても大切なことだと思いました。

連載では、こう答えていました。

理不尽にも人が人の命を奪い合い傷つけあうのは、人間が誰しも持っている「勝他(しょうた」という迷いの心が根本にあると仏教では説いています。勝他とは、他のものより自分が勝れていると思い、自分を誇る競争心のこと。世界で起こる戦争も、個人間で起こる争いも、根っこはこれにあります。つまり、私たちが持つ迷いが悲しい現実を引き起こしているのです。そのことをしっかり見据えたうえで「平和」について考えなければなりません。すなわり、自分の外で起こる現実は、自分のうちにある迷いの姿と深い関係があることに気づくことが大切です。良いことも、悪いことも、すべて自分と関係していることを確認しましょう。

出典:「こどものまど(2024年5月号)『寺かふぇ相談室』」公益社団法人日本仏教保育協会
※一部原文を要約しています。

自分の中にある迷い心、それは誰にでもあるものであり、答えを求めながらそれを他人と分かち合ったり、時にそれが原因で他人と衝突したりしながら、少しずつ前進していく。生きるってそういうことなのかな、と思ったりします。

子どもも、お友達と遊んだり、喧嘩したり、仲直りしたり、社会の中でいろいろと経験させてもらって一人の人間として成長させてもらっています。日々の小さな争いも、世界で起きている戦争も、すべては自分の中の迷いから起こることでつながっている。
迷いながらも、日々の出来事の中で自分はどう考え、どう行動するのか?自問自答しながら、世界を広く見て、価値判断をしていくことが大切だと思いました。


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