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先生が本当に求めているもの

誰かが一生懸命仕事をしているその成果だけを受け取り、そこに込められた思いを受け止めず、感じもしていないことがいかに多いか・・・・。

そんなことを思ったので、書き留めておきます。受け止めきれていないもののごく一部に過ぎないのだけど。

ゴールデンウィーク・田植え・遠足・運動会。
さまざまな大きめのイベントが波状攻撃でやってくる5月。新緑が芽吹き、湿度も低く気温もちょうど良く、台風もまだ来ないという、日本において最高の季節が5月。どんなイベントをするにも愛される5月。
でもイベントの波状攻撃が子供四人分来ると人は倒れるんだよと思わずにいられない5月・・・。

そんな中でも倒れない体力ゴリラな私は、末っ子Wちゃんの通う保育園の呼びかけに応じ、「保育参加」してきました。
「保育園の先生に混じって、インスタント先生として保育に参加する」というもの。恥ずかしながら12年も子供たちがお世話になっている保育園なのに、「保育参加」は初めて。今年末っ子Wちゃんが年長で卒園になるラストチャンスということで、参加を決めました。

電車で2時間かけて遠くの田んぼまで田植え体験にも行ってきました。

その日は「運動の時間」の保育参加。
なんとなく保育園の先生の着ているものに近いTシャツとストレッチパンツの私は、「Wちゃんのママだ〜〜〜なんで〜〜?」と保育園生に囲まれて、もう簡単にモテモテです。

保育園の中で、鉄棒とマット運動とフラフープ・ボールを使ってのゲーム。
「二人一組になって〜」と言われた時、私のモテモテが炸裂して手を奪い合う園児たち。
「ママ、モテモテ〜〜〜」と余裕の表情で面白がる我が子Wちゃん。
こんなモテモテなこともうないわ・・・!と思いつつ堪能する私。

どっちかというと先生役というより園児だよね?というくらいがっちり運動に参加して、「腕立ての状態で相手とジャンケンして、勝ったら相手の周りを一周走って元の位置に戻る」を5人分繰り返して虫の息・・・。
保育園生と先生(私含む)で2チームに分かれてボール転がしリレーでは、必死になり過ぎて子供たちの誰より厳しくコーナーを攻め、なのに勝利に貢献できずチームメイトと一緒に泣く・・・。

小さな保育園だから、同級生は6人くらいなもので、私はこれまでその子たちのことをある程度わかっていたつもりでいました。だって全員0歳から我が子と一緒に通っているから。

でもその子たちの一人一人の個性は、成長過程でまた変わっていて、
あの大人しく見えたAちゃんなのに、こんなふうに怒るんだ、
活発で良く動くBちゃんだけど、大人に甘える時こんな顔するんだ、
可愛い笑顔しか見たことなかった Cちゃんが、こんなふうに意地を見せて踏ん張るんだ、などなど
短時間でも見る角度の違いでぐわぐわと個性が立体的になっていくのを感じました。

自家用車を持たない我が家。でも4兄弟みんな参加。やる気がある。

Dちゃんは「細身なのに腕力があるなあ〜〜」と感心するような上手な逆上がりを見せてくれました。「Dちゃんすごいですね」と先生に言ったら「ずっと練習してて、昨日できるようになったばっかりなんですよ」と教えてくれて、ハッとしました。

すでに逆上がりができているDちゃんだけを見たら「ずっと前からできるんだろうな」と思ってしまう。
でも「昨日やっとできるようになった」のを先生は知っている。
逆上がりができなかった頃のDちゃんを知っている。

「子供たちが毎日いろんなことに挑戦して、頑張って、成長していっているその途中を見てほしいんですよね」

先生の言うのこ言葉の強さは明らかに他の言葉とは違っていました。

ああ「核」はここなんだ。
「途中」。
「途中」と書かれた丸い光る石を、手のひらの上に載せられた気がしました。

「保育参加」は、保育園で先生がどんなふうに子供と真摯に関わろうとしているかを知るためのイベントだと思っていたけれど、そうじゃない。

親が安心して、時には思考停止して、安全であればいいと思って預けている9時間半の間に、どんな挑戦があったのか、どんな失敗があったのか、どんな達成があったのか。
それを、その途中があることを先生は知らせたいのです。

登っていく階段はすぐに見えなくなって「できて当たり前」になるけど、そこを登るために小さな子供たちがどれほど泣いたか、悔しがったか、喜んだか、それを先生は知ってほしいのです。

うわあ〜〜〜〜先生、
わかります先生、いえわかってなかったです先生、
「ありがとうございます、また明日!」って、毎日お迎えに来てても先生の想いはわかってなかったです・・・・!

子供の成長を分かち合うことがどれだけきつい育児の助けになるか、親である誰もがわかりそうなものなのに、保育園の先生に対しては思考停止していました。

起きている時間で言えば、子が親よりも一緒に過ごす時間が長いのは保育園の先生であり、学校の先生です。
子供の成長の途中を分かち合えないことを悲しく思うとしたら、親よりも先生の方なのです。

懸命に何かに取り組む時に出来る「途中」の石の光を先生は見ていて、それはすぐに普通の石になってしまうのに、なかなか伝えられない・・・。そんな切ない思いをきっと繰り返している・・・。

「でも絶対手で植えたりしないけどね」と田圃所有の皆さんは言う。

仕事をしているからこそ子供を預かってもらっている保育園。どっちかというと「保育園があるからこそ仕事ができている」が正しい表現です。

息も絶え絶えに朝9時に保育園に子供を連れて行き、夕方18時半にお迎えに行く毎日。保育園はいつもその間子供たちの遊びと学びと安全に配慮して、9時間半を過ごさせてくれています。その間のことを報告してもらうとしても、1分にも満たない立ち話。連絡帳にある記述も1〜2行です。それで十分だとも思っていたし、情報が足りないと不満を抱いたこともありませんでした。

親の受け取りが足りない、と先生が不満を持つ方がそりゃあ当然なんじゃないか・・・・。

いつも「これが出来るようになりましたよ」と結果だけをもらっているなあ。「途中」がどんなだったかなんて、真剣に受け止めてないなあ。

ひらがなが書ける、前回りができる、跳び箱が飛べる、そんな成果や結果をありがたがる前に、今しか見られないその「途中」こそがドラマなんだと、喜びなんだと、もうちょっとわからないともったいないよ。

そこが素敵なんだとわかったら、いまいち成果の出ない自分もまだ「途中」なんだと愛しく思えちゃうかもよ。

大人になってもまだまだ「途中」を抱え込めるといい。
そんなことを思った5月の保育参加でした。

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