凪のようなものだと思う
幸福な時間というのは
不幸な事が起きるまでのわずかな時間、
その時間の中で様々な事を感じ、味わい、
行い遂げていかなくてはならない

凪の時間が終わった時には
もうそれまでの状況とはまるで変わってしまう
以前できていた事が以前と同じようには
全くできなくなってしまう
何も手につかなくなってしまう

今はもうまるで違う世界になってしまった
かつての世界の姿を思い出そうとしても
それは切なく、虚しいことだ
俺は今日もただ一人、ぼんやりと
濁った川と白い空を眺めている…

悲しみなどという言葉では表せない
決して表すことなどできないこと
それを大半の人間は知らずにいる
または、それを日常の中で忘れている
それにいつもこだわってはいられないから

だが、俺はそれを見つめなくてはならない
詩だの歌だのあれこれ作ってみては
格好つけ、調子に乗ってきた自分だから
無理矢理にでもやらなくてはならない
これは自分が負った罪や業なのだと思う

「結局、他人には自分の感情は伝わらない」
ここ最近で、そのことがよく分かってしまった
言葉をいくらうまく使ってみても不可能
そもそも「共感」というのがあり得ないのだから
それは人間の夢や期待、願い、幻想なのだろう
(人は人の心の状況を想像もできない)

今は自分の感情を何かに表現し、
他人に伝達することに興味がない
あらゆる言葉をもう一切信用していない
ただ自分の肉体の感覚に関しては
信じられる可能性はまだ残っている気がする
でも、それも心許無く、どうにも分からない。

凪の時が過ぎ、今は俺はただ一人
修羅であり、夜であり、闇であるような世界に
ポツネンと置かれた気分だ
もう無茶苦茶に歌い踊るしかない
もうそれしかやれることはない
ただ、そうするしかない

(2022年秋制作)

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