白と黒の交わるところ.3

*Kについて

Kはきもい。顔だけを載せた写真を見るとである。しかしこれはあくまでも私の認識によるものでしかない。もしかしたら私だけの感覚かもしれない。

誰かを、“きもい”と感じるのは人それぞれ、千差万別だから、こうはなっから“きもい”と断定するのは安易で、ひいては大変失礼に値するかもしれない。そしてさらには危険なことかもしれない。でも、例えば100の人間、電車に揺られるサラリーマン、幸せいっぱいの妊婦さん、生意気な小学生、部活帰りの中学生、夢見る女子高生、イケてる大学生、ゲートボールに励むおじいちゃん、セレブ風なマダム、才色兼備なベンチャー社長、鼻を垂らしたナンパ男、爆買いを極めた中国人、半袖短パンサングラスのイタリア人、とにかくランダムに、出来るだけてきとーに、色んな人を集めて、その人たち皆にKを見てもらい「どうか嘘を付かないで言ってほしい」とお願いしたら、おそらぬ97人、いや98人、もうちょい頑張って99人、こうなったらやけっぱちで100人!は「きもい」と言うだろう。
かといって、それも予測であるので本当のところは分からない。仮に統計を取ったとしても、皆が本当に心から正直なことを言うかもわからないし、たまたま集められた人が偶然同意見になったのかもしれない。いくら無作為にといっても、これだけ多様化したこの国のこと、100人集めたところで、「これが皆の意見です」というのはやはり安易すぎる。そして危険である。もっと1000人、1万人と集めた方が良いのかもしれない。でもやはり、その危険を考慮に入れ、安易すぎると訴えられても、Kは確かに「きもい」のである。

*ただし、Kというのはフィンクションという物語の上での人物であり、これはあくまでも現在の容姿認識基準的に客観的事実を述べたに過ぎず、Kという人間そのものの根源的価値を否定しているものではないという事だけは考慮に入れて頂きたい。最後にそれだけはどうしても言わずにはいられなかった。


#小説


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