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久米正雄作品を読む-蛍草

これまでのあらまし:
読みたいと思った久米正雄作品がどうしても手に入らず、読みたい気持ちが高まりすぎた結果、読めるものは全部読もうと全集を読破することにした。
久米正雄全集(復刻版)を当時購入してくれた図書館ありがとう。

最初に選んだのは、1918年3月~9月に『時事新報』に連載された新聞小説である『蛍草』。
それでは、と表紙を開いて、でもこれ失恋しちゃう話……悲しい……となって本を閉じる、を何度か繰り返す。久米に感情移入している自分が怖い。
でも安心。失恋してしまうところから話は始まる。

あらすじ:医学士の野村が留学から帰国したところ、親友の星野と婚約者の澄子が迎えの中にいない。野村の留学中に澄子が心変わりしており、野村は研究でも星野に敗れてしまう。

主人公・野村は澄子への失恋だけでなく、その後も不運に見舞われる。少し良いことがあってもまたつらい出来事が起こり、もうお願いだから最後には野村君に少しはいい目を見せてあげてほしいと応援してしまう。続きが気になる展開で、新聞連載らしいおもしろさ。

失恋小説か

本作は、久米が恋した夏目漱石の娘が、久米の親友だった松岡譲と結婚してしまう久米の失恋体験が題材とされている。そうすると、野村の親友星野=松岡、澄子=漱石の娘がモデルとなる。小説(創作)という前提ではあるが、失恋後の野村の苦悩は、著者の実体験のように感じた。

それでも失恋が本作のテーマかというと、そういう印象は受けなかった。
というのも、野村は澄子のことを愛していたと言うが、澄子の心が既に自分にないことを知り、恨み言もなしに諦める。そして野村は惚れっぽい。失恋は物語の導入でしかない。

星野との競争

それではこの物語の中心は何かというと、恋愛要素ももちろんあるけれど、研究をめぐる星野との対立がメインとなっている。

そもそも星野は野村の親友だと周囲からも言われているが、学生時代は一緒の下宿だったとか、仲が良かったエピソードは特に書かれていない。星野が狡い手を使って研究を横取りしても、野村は星野を責めることもできない。
冒頭の帰朝時は星野の姿を探し、ラストで米国に向かう野村は見送りの中に星野の姿を認めて涙する。
野村が星野のことを好きすぎる。どうしてそんなに星野が好きなんだ。
それもあって、読者としても星野のことは嫌いになれない。

一方で、澄子(とその母親)には特に良い印象がない。他に登場する女性陣がどこか芯の強さがあり魅力があるのと比べると、恩師の娘であること以外に野村が(もしかすると星野も)澄子を好きになる要素が見出せないのだ。

主人公を取り巻く人物たち

恋にも研究にも敗れた野村は遊蕩にふけるが、周囲の励ましもあって研究に戻る。親友の黒川やその妹、黒川が恋する咲、澄子の妹、帰国時に出会った子爵とその妹など、その関係性は「実は〇〇」といったように絡んでいる。
こうした人間関係は文楽や歌舞伎っぽくて好きだ。芝居的な作りで、劇作家でもある久米ならではなのかもしれないと思った。

読む前は、失恋体験をもとにした恋愛小説だから人気が出た作品だと思っていたけれど、純粋におもしろいから人気になったのではないか。
そして久米が描く情景はうつくしいと思う。

その可憐なる花の色こそは、誰に擬らへるとはないけれど、あらゆる人事の謙遜な美しさを象つて、弱々しくは見えるけれど、深くは海の色とも比ひ、輝きは空の碧とも競ふと思はれた。

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なお、印象に残ったシーンの1番目が猿の検温の効率が良すぎる手伝いの爺、2番目が屈強な100人の男たちを引き連れて登場する美人、3番目が知人の車に轢かれる、だった人間の感想です。

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