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声は、通らなくてもいいのかもしれない

おはよう!といえば、誰もが気が付き、振り返る。

そんなハッキリとした、強く耳に残る声に憧れていたことがある。いや、今も憧れていると言えるかもしれない。今でもときどき、そういう声だったらなと思うからだ。

まあその一方で、自分の声というものを知ってもいる。そしてその声が嫌いではない。だから、憧れ半分くらいがもっとも今の気持ちに近いと思う。

そんな声なのだけど、日常においてすごく大事な要素だと思う。

僕は、声が大きくない。というか、響かない声だ。それに、特に意識しないと低い声になる。

だから、時々「おはよう」と言ったり、「おーい」と言っても気づかれないことがある。個人的には、頑張っていっているつもりなのに、届かない。そんなことがよくある。

たとえば、僕は高校時代には部活動の部長を、大学時代にはサークルの部長を務めていたことがある。

どちらもバドミントン部なのだけど、部長として練習の最後に「ラスト一本」と、声をかけていた。それは、練習の終わりを意味していて、体育館にいる人みんなに届けなければならない。

そういうとき、僕はいつも精一杯の声で「ラスト一本」と、叫んでいた。それでも、周りの声に負けるから、数回は言っていたと思う。それくらい、僕の声はいつも響かなかった。

でも、声の通りがいい人は、そういうときに一発で声を届けることができる。そういうときのことばは、ずっしりとしていて、地面に落ちてくるような声になっている。

一方で僕の声は、宙に放った風船のように空に向かって飛んでいってしまい、下に降りては来ない感じだから、ほんとに正反対だと思う。


声で困ることもあるけど、いいこともある

他にも、普段の会話で困ることがある。

例えば、おばあちゃんと話すとき。僕の声が低くて聞きづらいみたいで、「よく聞こえない」と言われる。

あるいは、友だちと話すとき。「なんて?」と、よく聞かれる。自分の話し方が悪いのかもしれないけれど、「聞きづらい声なんだな」と、自分で自覚もしている。

でも、一方で、そういう声だからこそというものもある。

まず、あまり大きくない声だから、周囲の人に話を聞かれづらい。まあ別に聞かれて困るような話はしてないけれど、内緒話をしやすい気がする。

それに、大人数でない限り、適切な声になる。

元気な声というのは元気であるがゆえに、色んな所に届く。だから、いろんな意味で人の目を集める。でも、小さな声なら、こじんまりとできる。相手がよく聞こうと近づいてもくれる。小さいがゆえのメリットがある。

だから、総合的に自分の声は悪くはないんじゃないかなと思っている。

未だに、通る声には憧れるけれど、日常で自分の声の良さをきちんと見つけていきたいと思う。

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