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渋谷には色が無い

雨が酷く降り注ぐ金曜日。ここ渋谷には今日も多くの人が行き交っていた。この街は天候など関係なく物凄い勢いで時が過ぎて行く。栄えに栄えるこの地は人種も年齢も様々にそれぞれの人生が交差するスケールの大きな街だ。
ただ、そのスケールに比べて寛容ではない。街のカラーというものは暮らしに現れる。そしてここ渋谷は長い歴史を随所に匂わせ、また世のリアルタイムの流行を示す。ここは今日も誰も手にすることが出来ない桃源郷、色が無い街だ。

自分にとってのチャペルの様な場所がある。扉を開けば薄暗い室内と古びた椅子が並んでいて、天井を見上げれば漆黒を仄かに照らすシャンデリア、一杯のコーヒーと少しの水が静かに机に置かれ、そして今日も始まる。まるでここは避難所であり隠れ家でありチャペルであり、そして自身と向き合う大事な場所となった。日々の懺悔がそこにいる人々によって行われ、静かに静かに時が流れる。

時々、大事な瞬間に自分の半生を振り返る。忘れ難きを拭い、耐え難きを知り、幸せの道標に思いを馳せる。受難は常に自身に降りかかる。それは思い込みでもなく事実としてそこに現れる。私にとっての深いところを想像を超えたところから突き刺して行くのを知らなければならない、誰も最後の最後まで助けてはくれないのだから。だからこそ、私はこのチャペルに心を捧げに来た。

どんなにこの桃源郷で暮らそうと、ありとあらゆる物がファッションになり、特徴になり、真実めいた虚像になり、そしてまた他者と同一の類いとして飲まれてゆくのならば、私という存在に揺るぎない価値を付けていかなければならない、自らの手で。

自身の価値とは何を表すのだろうか。その問いにBibleは答えを教えてはくれないし、ましてや言葉を知らねばそもそも導きに気付けない。ましてや人は誰も教えてはくれない。ただ、導きがそこにあるだけである。

最近まで自分の事を、誰よりもよく知っているつもりであったし、誰よりも知らないと考えていたが、本当に私は何も知らなかったのである。自問自答を繰り返しては私とは何かを探し続けた。言うまでもなく、二十数年生きてきて考えて来ても分かりやしないのだからそれは分かるわけないのだが、それでも自分の価値をほんの僅かでもいいから触れたかっただけなのである。それさえも許されていないんじゃないかと思ってしまった時にはチャペルの扉の前に来ていたのである。

雨はまだ強く窓を打ち付ける。自分より長く生きて来た人の言葉を信じるということは、同様に自分よりも若いものに対しても同様でなければならないと私は考える。その言葉は誰にとっても言葉であるかもしれないが、方法のための言葉であってはならない。自身の為の言葉であって欲しい。そこに愛を持たなければ、多くの人々を愛する為の私自身にはなり得ないのではないか。それが例え、従来の手順から外れていたとしても私は私の行う事に嘘をつきたくない、愛が何かをまだ知らないのだが。

私はハッとした。少し眠りについていた様だった。
私は今どこにいるのだろうかと思うくらいに夢心地だった。ただ、見たい夢を見ていた様な気もする。取り留めもないことを考えてしまったが未だに状況は平行線のままだ。俳優のJames Deanは、急いで生きないと、死に追いつかれない様に。と言ったそうだが、まだ私には欲望がたくさんあるままで、まだ成りきれていないことばかりだ。私にとっての受難はとても私の根深い所を掴んで離しやしないが、決して前に進めないわけではない。ふとした時に過去の自分を置き去りにする事だって出来る。それは幾度となく訪れた出会いと別れ。惜しむ暇はない。
ベートーヴェンのピアノソナタ第8番ハ短調Op.13 悲槍が始まった。まだ追いつかれるわけにはいかない。死にも私にも言葉にも真実にも何もかも、追いつかれるわけにはいかないのだ。私は自分が一番怖い。安堵も哀しみもあらゆる私自身が怖い。それでも向き合わなければいけないものがあると知ると、強い熱を帯びる様になる。その熱に呑まれ過ぎない様にその熱を少しだけ頼りにしてなんとか生きながらえている。
そんな事を考えているうちにピアノソナタ第14番嬰ハ短調Op.27-2 月光がかかり、視界が少し広く鮮明になるような感覚になった。幾度となく訪れたあの時の一瞬の安寧。全ては導きのままに在ると信じているような。カルマはいつも今の自分を映しているのだと。

そろそろここを出て肌寒い街に出てみようと思う。さっきまでと違い、都会の喧騒は妙に心地良く、私はいるんだと実感する。この地に憧れも何もないが、好きな場所はたくさんある。雨はまだ止みはしないが、次第に光を見るだろう。その時私は大きな船出に出る事になるのだろうと誰かに教えて貰ったような気がする。
相変わらず今日も渋谷は色が無い。そして、私もまだ色が無い。



追伸
建物を出る前に気付いたのだが、プログラムの端にはこんなことが書いてあったので載せておく。

「そしていま、すぐに内へと向かいゆけ 内にこそきみの中心があるだろう
さらにまた感覚をこそ信頼したまえ きみの悟性がどんなときでも目覚めていれば 感覚はきみを欺くことがない
どんな場合も 理想を持ってふるまいたまえ そうすれば過去は滅びず 未来はすでに生まれきて 瞬間は永遠と化すだろう」
ゲーテ「遺言」より

記事を書いた後でこれを読んで良かったと思う。
神の御加護を。

(2019/11/22)

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