#52 「易き」という重力に逆らいたい

同僚と「雑談」をしたときに、「部活でレギュラーをちらつかせて部員をコントロールする」的な話題になった。ふたりとも「それはダメでしょ」という意見。しかし現実問題として部活に限らず「評価をちらつかせる」なども存在している(学校に限らないのかもしれないが)。ではなぜか、と話が進み、やはり「楽」なのではないだろうか、とひとまず話が落ち着いた。

おそらく、部活にしても評価にしても、最終的には子供たちへ力をつけてもらいたいという思いがあっての行動であるはずだ。ここでじっくりと時間をかけて「語り」そして「対話」し、最後は「自分で考えて行動する」ような「支援」を私はしたいと思うが、やはりそれなりの「エネルギー」が必要となる。「ちらつかせ」はそこまでエネルギーを必要としない。意識的であれ無意識的であれ、多少なりともこの「楽」をとっている部分があるのではないだろうか。

また、これはもしかすると、言われる側にとっても「楽」かもしれない。なぜなら「自分で考えて行動する」自体も「エネルギー」を必要とするからだ。

双方にとって「楽」になり得るこの状況は、私は結果として双方の「経験を奪う」ことにつながってしまうと思った。言われた側の「プロセス」を奪ってしまうことは特に大きい。「結果がプロセスか」という2択にしたいわけではないが、自分で考えたプロセスで行動することで、当事者として責任を受け止め、振り返りどうすればよりよくなれるかを考えて、それをまたやってみて、という「試行錯誤」を経験し、自分に自信をもつことにつながる。この経験を私は奪ってしまいたくない。

一人ひとりが自分の人生を自分のものとして、自分で「面白いもの」にしていくために、私は「信じて任せて待って支える」教員となりたい。

そしてやはり対話は頭が整理される。この価値も、「体感している者のひとりとして」子供たちにも伝えていきたい。

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