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一度永田町のお偉方に「下風」を吹かせたいものでおじゃる〜*落書きnote

 こんにちは。お立ち寄りいただきありがとうございます。
 本日は、お馬鹿な話でご機嫌をうかがいます。
 「Pu〜」とか「クサッ」とか不快音が入りますので、こういうお上品な言葉にアレルギー反応を起こす人は、どうかスルーしてください。

 「それがしは、ヘイハブーノカミアクサノスケ、でござる」
 「ふ〜ん、何と書くのでおじゃる?」(上流言葉=多摩川上流)
 「屁和武之守阿臭之介と書き申す」
 「苦しゅうおまへん。もっと麿のそばへおじゃれ」
 「Pu〜ッ!」
 「?、今の音は何でおじゃりまんのん?」(なぜか上流言葉と大阪弁のミックス)
 「ははっ、お鳴らし(おなら)でござる。名は体を表すのでござる」
 「ケッタイなやっちゃな。いや、風流なことであらしゃります」
 
 「ははぁ、Pu〜ッ!」
 「むむっ、クサッ!しかし麿は、おもうさん(父親)から、お鳴らしの作法について教えてもらったことがありんすわいなぁ」(ありゃぁ、色町言葉に変化)
 「お鳴らしの作法?これは異な事を承りまする」
 「なんでもお釈迦はんの教えとかで、仏教用語では、おならを下風(かふう)と言うらしおます」
 「へ〜?Pu〜ッ!」
 「クサッ!お釈迦はんは①臭い食べ物は自制しなはれ②部屋でおならをしそうになったらこらえなはれ③ひざを浮かせ大きな音でひってはあきまへん④人前や人混みで不快な臭いをまき散らすのは道路交通法違反—とおっしゃったのでおじゃる」
 「ほぉ〜、中納言殿は、インテリでござるな。Pu〜ッ!」
 「クサッ!ええ加減にさっしゃい」

 「それがしは草深い田舎育ち。先日、当藩の天守閣改修のため江戸の将軍官邸へ陳情に上がった折、官邸のトイレに『急ぐとも心静かに手をそえて、外へもらすな松茸の露』などという高貴な歌が貼ってありましたが、さすが将軍家のトイレといささか感心し申した!」

 「ブーノカミ殿、松茸の露、とは何でおじゃる?」
 「田舎者の拙者もよくわかり申さんが、外へもらすなとありますから桜を見る会の将軍枠に載っている諸侯の名前のことではござらんか?」
 「なんやポスト菅で永田町が騒がしおますなあ。一度、その者どもの前で音をたてて下風を吹かしてはどうですやろなぁ」
 「いやあ、それは面白い、名案でござるなぁ、Pu〜ッ!」
 「クサッ!ますます強烈でおじゃるなあ!」

 こういう歴史を経て、現代日本は上から下までユルーイ国になった。緩みきったパンツのゴムのように。
 あーっ、ヤだね、やってらんないよ。だれか、包容力とあたたかさ、それに危機管理能力と決断力に富んだリーダーっていないもんかねえ。
 えっ?それは理想だって?そんな優れたリーダーがいても潰される?いまの永田町ならそうだろうな。国民の幸せなんてお構いなし?
 そっかあ、こりゃダミだ、五里霧中だな。
 さて、あすは晴れるのか?曇るのか?

   *フォト ▽目に染みる緑、その彼方も青い山脈!

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  *俳句巡礼 川水の濁りに添うて夏の果(桂 信子)

 季語は「夏の果」で晩夏。雨の後か、川水は澄んでいない。「濁って」いたのだ。濁る川をさかのぼったところに夏の終りをみた。
 この夏も喜怒哀楽のあれこれがあった、ということを暗示しているかのようだ。夏が行き、秋が来る。

 【桂信子=かつら・のぶこ】大阪市出身、日野草城に師事していたが、のちに「草苑」主宰、現代俳句協会副会長を長くつとめた、1914年(大正3年〜2004年(平成16年)

 【俳句手控え】「新涼」は秋の季語。広辞苑には「秋の初めの涼気」という説明が載っている。季語約五千、その中でも一番爽やかな言葉だ。
 「暑さがやっと止む」という意味の「処暑」が今年は8月二十三日、ちょうど今時分が新涼の季節。秋涼し。日中の暑の中にこそ涼はある。

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