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山田風太郎が描く有名人の老後が面白い〜*落書きnote

 こんにちは。お立ち寄りいただきありがとうございます。
 「戦中派天才老人」の作家山田風太郎(1922年〜2001年)は、かつて「あと千回の晩飯」(朝日新聞)を連載していた。
 このなかで風太郎は「生き過ぎて」と題し、「長生きは一応おめでたいことになっているがモノには限度ということがある」と有名人の生きざまを書いた。
 それが実に面白い。一部をダイジェスト。

 「落語の古今亭志ん生は八十一のとき、こんなことを言った。やんなっちゃうね、どうしようかと思っちゃう。ほんとに。ここまでくると、どこまで生きりゃいいんだって、いいたくなっちゃう。つまんないもう。いつもそう、なんかあると、ああ面倒くせえ、はやく参っちめいてぇなって。その志ん生は八十三歳で死んだ」(要旨)

 「作家の志賀直哉はまだそれほど衰えないとき、不老長寿という、不老で長寿ならいいが、老醜をさらしての長生きはいやだねといった。八十四のときこんなことをいった。ここがわるい、ここが痛むというのでなしに、衰えてこのごろしみじみ老苦というものを味あわされているんだ、と嘆き、テレビドラマを指さして、見ていても筋なんかさっぱりわからない。老いぼれて、気力が全くなくなって、そればかりでなく頭がおかしい、ヘンなんだよといった。それから八十八歳まで生きた」(要旨)

 「武者小路実篤は八十九のときこんな文章を書いた。人間にはいろいろな人がいる。その内には実にいい人がいる。立派に生きた人、立派に生きられない人もいた。人間は皆、立派に生きられるだけ生きたいものと思う。皆立派に生きてもらいたい。一回転ごとに針がもとにもどるレコードのようなもので、果てしがない。こういう状態で、武者小路は九十歳で死んだ」(要旨)

 こういうのを老いるショックというんだろうな。
 浄土真宗の在家信者の諺だというが、永六輔の「大往生」(岩波書店)にこうあった。
 「子供しかるな/ 来た道だもの/ 年寄り笑うな/ ゆく道だもの/ 来た道、 ゆく道二人旅/これから通る今日の道/ 通り直しのできぬ道」
 おいらにゃ染みるこの言葉。長生きも大変だ。
 さて、あすは晴れるのか?曇るのか?

   *フォト ▽お山は秋の装い

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  *俳句巡礼 母の字に泪の二滴鳥渡る(小澤 克己)

 季語は「鳥渡る」で秋。夏の鳥が南に帰り、北の鳥が渡ってくる。この世で、無私無償の愛を子に注ぐ母の存在ほど大きなものはない。表掲句は、鳥渡る幾星霜を重ねても、母の愛は不変とうたっている。
 【小澤克己=おざわ・かつみ】埼玉県出身、学習院大学卒、能村登四郎、林翔に師事、「沖」同人、「遠嶺」創刊主宰、1949年(昭和24年)〜2010年(平成22年)
 【俳句手控え】無季句は季語にこだわらない俳句をさす。この問題は江戸時代、芭蕉の昔から議論されてきた。
 俳諧(俳諧連歌)が俳句になった近代以降になっても、「ホトトギス」の高浜虚子は「花鳥諷詠が俳句の本質」と唱えて無季句を排除し、伝統俳句普及させた。
 しかし、無季句は明治末期〜大正時代にかけての新傾向俳句運動、昭和初期の新興俳句運動、中期の前衛俳句運動で一定の勢力になっている。
 「歳時記は要らない目も手も無しで書け」は新鋭、御中虫(おなか・むし)の作品、もちろん無季句だ。

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