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格調高い「春はあけぼの」自己流に超訳すれば浮かぶ男女のリアル〜*落書きnote

 こんにちは。お立ち寄りいただきありがとうございます。
 紫式部の「源氏物語」と共に平安文学の双璧とされる清少納言(966年頃〜1025年頃)の「枕草子」の第一段、「春はあけぼの…」のくだりは、おいらでも聞きかじっている。
 畏れ多くもかしこくも、おいらはこれを、ネットで読んだ現代語訳から、妄想も逞しく?ウラ読みした。これは男女の赤裸々なストーリーじゃないのか?
 そこで、原文の味わいも雰囲気もあらばこそ、まったくの自己流でフィクション的超訳を試みる暴挙?に出た、蒙る御免。18禁!

 春はあけぼの/やうやうしろくなりゆく山ぎは/少しあかりて/紫だちたる雲の細くたなびきたる
 【無手勝流超訳】春の曙/とうとう徹夜の交歓、気がつけば夜が明けしらじんでいる/まるで雲に乗ったような余韻/ビューティフル、ベリグー、ベリーファイン、たまらない、コケコッコー。

 夏は夜/月のころはさらなり/やみもなほ蛍の多く飛びちがひたる/また、ただ一つ二つなど/ほのかにうち光りて行くもをかし/雨など降るもをかし
 【無手勝流超訳】夏の夜は情熱的なのよ/月夜も、闇の中で螢が飛び交っているのも素敵だけれど/だけど外は雨/雨の降る日に狂うってドラマチック。

 秋は夕暮れ/夕日のさして山の端いと近うなりたるに/からすの寝所へ行くとて/三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり/まいて雁などの連ねたるがいと小さく見ゆるはいとをかし/日入り果てて風の音、虫の音など/はた言ふべきにあらず
 【無手勝流超訳】秋の夕暮れの逢瀬/山の端に隠れようとしている夕日があなたの顔を照らしている/カラスも雁もねぐらへ急ぐというのに、あなたは私を抱いたまま帰ろうとしない/日が暮れて風がたち、虫がすだいているのに/まだ帰ろうとしないあなた、タフねえ!

 冬はつとめて/雪の降りたるは言ふべきにもあらず/霜のいと白きも/またさらでもいと寒きに/火など急ぎおこして炭持て渡るも、いとつきづきし/昼になりてぬるくゆるびもていけば/火桶の火も白き灰がちになりてわろし
 【無手勝流超訳】冬の朝は、雪や霜でとっても寒い/だから火をおこして閨へ持って来ようとしたら/あなたは、そんなものは要らないよ、昼には暖かくなるって/それまでは君の体で温めてくれというのよ。

 ふむふむ、お後がよろしいようで。
 これが枕草紙の本旨?たまらないねえ。
 さて、あすは晴れるのか?曇るのか?

   *フォト ▽♪もう秋ですね!

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 *俳句巡礼 ぼろぼろな花野に雨の降りつづけ(草間 時彦)

 季語は「花野=はなの」で秋。野に草花が咲き乱れるのは春よりも秋。代表格は秋の七草だが、吾亦紅(われもこう)や竜胆(りんどう)など花野花は多彩。
 表掲句は那須野(栃木県)の花野。「ぼろぼろな花野」は、終わりかけの花野のこと。いつ止むともしれない雨が降り続け作者は自然の営みの妙を感じている。
 【草間時彦=くさま・ときひこ】東京生まれ、水原秋桜子、石田波郷に師事、「馬酔木」「鶴」同人、俳人協会理事長、俳句文学館(東京都)建設に尽力、1920年(大正9年)~2003年(平成15年)
 【俳句手控え】俳句の技法に比喩があり、比喩には直喩法と暗喩法がある。
 直喩は「何々のごとく、何々のようだ」と物を何かに例えて詠む方法。高浜虚子の代表句「去年今年貫く棒の如きもの=こぞことしつらぬく棒の如きもの」はそれに当たる。
 暗喩とは「ある物を別の物にたとえる語法。西東三鬼の「赤き火事哄笑せしが今日黒し」は暗喩だ。
 これらは名句といわれているが、比喩は時にありきたりの句になるので注意。

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