【ぼやき】家族
昨日、親父が他界した。
75歳だ。
個人的には、十分生きたのだろうと思う。
正直、親父からしたら満足な人生では、なかったと思う。
35歳の時、電電公社(現在のNTT)勤めていた時に弟の不手際に巻き込まれ、多額の借金を背負わされ、退職。
その後は、零細企業の工場に務めながら俺達の生活を支えてくれた。
父親として、俺達に不自由なく、そして寂しい思いをさせまいと頑張っていた。
朝早くから出かけ、帰ってくるのは、夜遅く。
そんな生活を65歳まで続けていた。
その後は、シルバー人材に行き、再び仕事をしながら、今度は、オカンの不手際で出来た借金を返済する為に働いていた。
そして、その目処がつくかと思われた71歳の時に小細胞肺癌が見つかった。
モノは、二重に見え、ずっと立ってられず。
そのまま、入退院生活へ。
退院しても、家では、気力がないのかほぼ寝たきり生活。
私もそれを支える為に、家賃等の生活費を支えながら一緒に暮らしていた。
そして、そんな生活を5年続けた、昨日の夕方、黄昏時。
私の目の前で意識がない親父は、眠る様に息を引き取った。
私は、そんな親父に「お疲れ様、ありがとう」
そんな言葉しかかけてやれなかった。
正直、晩年の親父は、本当に頑固で、人の話を聞かない、残念な姿しか見る事が多かった。
口を開けば、テレビを見ながら、政治や芸能、事件などのニュースを見ながら「バカだ」とか「ふざけている」などとしか言わず、昔の様に少し考えるというのが完全に欠落していた。
その姿を見る度に私は嫌な気分になり、自分は、こうなりたくないっとも思っていた。
私と親父の関係は、晩年になれば成程に最悪なものになっていた。
私は、何度も弱りながらも色んなモノに対して悪態をつく親父を見て、死んで欲しいとさえ願っていた時もある。
そう思っていた事に後悔や罪悪感は、ない。
それもまたまだある紛れもない本心であるからだ。
だが、親父に言うことがあるとすれば
何もしてやれない息子で申し訳ない。
これもまた紛れもない、本心だ。
家族だからなのもあるがやはり、私は親父が好きだったし尊敬もしていた。
礼節や人としての情は、間違いなくこの人から受け継いだものだ。
もっと言えば、私は親父以外の家族の方が本当に嫌いだ。
オカンもそうだし、兄貴なんかは、最も嫌いだ。
縁を切りたいぐらいに
もっと言うなら親父が亡くなった今、オカンと兄貴とは、本当に縁を切ろうと思っている。
兄貴は、親父の背中を見て、利己的に生きる道を選んだ。
別にそれが悪いというわけでは、無い。
だが、それは、私とは合わないだけだ。
私は、幼い頃からオカンと兄貴の無神経な身勝手な言葉にいつも悔しい思いをさせられていた。
本人達からすれば些細な言葉なのだろう、だが私からするとそれは、呪いの様に色んな所で枷になっていた。
人からすれば言い訳のように聞こえるかもしれないが
幼少期から「下手くそ」「お前に無理」「お前は甘い」「お前はダメ」
そんな言葉ばかりを投げかけられていた、人間にそこまでの自信がつくものだろうか?
この2人が本当に私と根本的に合わないとわかったのが20歳過ぎてからでその時には、私は夢を挫かれ自分の先が真っ暗になっていた時だった。
今思えば、その時に全てを捨てて1人になれば良かったのだと今更ながらに後悔をする時もある。
結果、私もそこで親父に甘えていたのだ。
終わった夢に縋って、安い賃金でも生活出来る環境、中途半端に金にならない夢の残骸をして、それでも前に進んでいる気がしていた。
結果、前にも後ろにも進まず、中途半端な現状維持で、今も何にもならず、結果残念な人生を歩んでいる。
私の中で唯一誇れるモノ、これだけは大切なものがあるとすれば
親父から受け継いだ、礼節と人としての情が生んでくれた家族ではない友人達との何年も続く人間関係だ。
金には、ならない。
生活を支えてくれるものでも無い。
だが、金には変えられないモノがある。
心は、支えてくれる。
人によっては、無意味で価値の無いものだろう。
だが、それが私にとって自分が自分である、大事な存在意義に近いものだと思っている。
この場所を作れたのは、親父から教えてもらったモノの産物なのだ。
正直、人生で初めて尊敬出来た人物が親父で本当に良かった思っている。
昔から怒ると怖いが、イタズラ好きで、子煩悩で、タバコを吸う姿がカッコよかった。
多分、天地がひっくり返ってもあの時の親父のようには、なれないだろう。
俺には、子供もいないし39になっても結婚すら出来ないダメ息子だ、この先は孤独死まっしぐらだろう。
それでも、親父のくれたモノが新しいものを産み、新しい道もまた作ってくれた。
だから。
ありがうと親父。
本当にお世話になりました。
ゆっくり、休んでください。
兄貴とオカンとは、最悪な形で縁を切ると思うけど、叱るのは、勘弁してくれ。
そんで、俺がそっちに行ったら、タバコ吸いながらビールをまた一緒に呑もう。
その時までに色んな土産話持っていくから待っていてくれ。
残念な愚息より、敬意と感謝を込めて。