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嫌われるという事を論理的に考えてみる。

まず嫌われる→その人に嫌われたら日常生活や仕事に支障を及ぼすか と考えてみる。
原因があって嫌われているなら問題を解決すれば済む話であるが、大体は嫌っている理由などは明らかにされないし単に派閥的な意味合いに追従している時もある。

 人間関係とは個々のルールの中で分類された結果なのだと思う。例えば自分にとって上か下か。都合が良いか悪いか。つまりその中で自分が常に他人から見て良い人ゾーンに属する事など考えてみれば稀な事ではないだろうか。とにかく実害がなければ気にしない、という事が最善の手だろう。
 だが、それにはどうしても自己肯定感が著しく低下するという難点がある。自分が軽んじていられるから行われる態度または行為(例えば、自分がその人にとっての雇い主であれば同等の態度がとれるのか、という事)について悩み続ければ自分が愚鈍で価値がないからだと自分を責める方にベクトルが向いてしまう。
それでも結果的に嫌われる云々はもう仕方ないと割り切って、自分は目の前にやるべき事、与えられた事に尽くす他ない。嫌わないで、と媚びへつらうだけ心は疲弊してしまうから。目の前の環境が世の中の全てだと思う事は間違いだ。必ず自分を理解し、認めてくれる人間は何処かに必ず生きている。
 
 嫌われる事は怖い。悲しい。だけどそれは仕方ないと置いといて、まず必要なのは仕事なり学業なり特技なり自身の土台をしっかりと築きあげる事。それが人に振り回されない為に成すべき事なのだと私は思う。

とにかく周りを見ない、後ろをみない、前だけ見る。つまり、それが如月の今年の抱負。


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