熱帯夜の夢

  日記より27-10「熱帯夜の夢」             H夕闇
   八月三十一日(木曜日)晴れ+熱帯夜(今夏三十日目:最多更新中)
 夜中に目が覚めた。暑くて、寝苦しい。この夏は、枕頭(ちんとう)の小机(こづくえ)に水筒を用意して寝る。冷たい飲み物を口に含むと、救われた気分になるが、昨夜それだけでは済まなかった。
 手足などに執拗(しつよう)な不快感が有るのは、蚊(か)に喰(く)われたらしい。厭(い)や厭や乍(なが)ら起き出して、居間(いま)へ急ぐ。出窓の小引き出しが家族の薬箱と決めてあり、虫刺(さ)されの痒(かゆ)み止めも入っている筈(はず)だ。(誰かが使って、その後そこら辺へ放置すると、他の者が大いに迷惑するのだが、大概(たいがい)そのルール違反者は決まっている。)
 件(くだん)の塗(ぬ)り薬のチューブを取り出し、いざ塗ろうとする段になって、ハタと困ることが時に有る。痒い箇所が(例えば、左の手首と云(い)った風(ふう)に)大体は見当が付くのだが、まさか手首全体にベタベタ塗る訳にも行かない。暗い中わざわざ点灯した上で、手首を念入りに点検、小さく膨(ふく)れた部位を探し出さねば成(な)らぬ。ここが数分以内にプヨプヨと赤く腫(は)れ上がることを予測するだに、身震(みぶる)いが来る。
 問題の地点が太(ふと)腿(もも)の裏だったりすると、厄介(やっかい)だ。目で確かめられないから、この辺と思う当たりに手探りで(当てずっぽうで)軟膏を塗り付ける。そこが的中すれば、スース―する感触で痒みが引くが、もし外れたりすると、大変に悔やしい。起き出して、もう一度やり直しである。
 目視できない丈(だけ)でなく、万が一にも背中など手の届かぬ所だったりしたら、いかんせん。夜中に山の神を叩(たた)き起(お)こそうものなら、いかなる事態を惹起(じゃっき)するやも知(し)れぬ。万事が休す。

 そんな恐るべき懸念は兎(と)も角(かく)、蚊取り線香も点(とも)し、以上の如(ごと)き一連の手続きを経た後にも、脳裏に色濃く残る思いが夕べは有った。僕は一般に夢を見ない。或(ある)いは、見ても覚えていないのかも知れない。所(ところ)が、昨夜に限って、かなり明確に細部まで思い返せる。
 僕は双眼鏡を使って高所から鳥瞰(ちょうかん)し、集落の様子を観察している。入り江に臨む部落、白い砂浜と青い海は視野の左隅(すみ)に。軒を連ねる家々は、多くが漆喰(しっくい)に赤(あか)瓦(がわら)。家屋敷きに芭蕉(ばしょう)の木が散見される。ハイビスカスなど色彩の豊かな花が、強い日差しと濃い日陰の間に、見え隠れする。どこか沖縄の小島の風情(ふぜい)、嘗(かつ)て伜(せがれ)が暮らした渡嘉敷(とかしき)かも知れない。そして、各戸それぞれに旗が立てられている。それが(日の丸ではなく、)揃(そろ)って白い無地の旗なのが、僕には不可解だった。
 南国の海辺の村を暫(しば)らく見詰(みつ)めていると、白いコンクリートの二階家から人がゾロゾロ出て来た。赤子を胸に抱いた若い父親が、その先頭に立つ。産まれて間もない新生児は、僕の長女Kが産んだ孫kに似ているが、それを抱くのは僕の長男Mらしい。
 長女の夫T君が抱いていそうな所(ところ)だが、このチグハグな取り合わせに僕はチッとも不自然を感じない。そう言えば、産後に母子で里帰りして来た時、むすこが(初対面に)訪れて、これとソックリ同じ場面(Mが姪(めい)のkを抱き、傍(かたわ)らからKが覗(のぞ)き込んでいる光景)を見たことが有ると、僕は夢の中で回想した。
 そして、乳飲(ちの)み子(ご)が風でも引いたらしく、これから皆で島の診療所へ連れて行くのである。又は、薬を買いに、共同売店へ行くのである。
 こういう場合い、何は扨(さて)置き、女親が抱いて駆け出しそうな物だが、ここでは男親(もしかしたら叔父)である。然(しか)も、皆(なぜか)一様に落ち着いて、シズシズと無口に歩いて来る。姉や兄らしい子供たちも付いて来るが、ひどく乙名(おとな)しい。おじいとおばあも居るが、やはり整然と一列縦隊を崩さない。列は長々と続く。もしかしたら、家族だけでなく、一族郎党、島中の住民が、この行列に参加しているのか。
 その頃になって、僕にも漸(ようや)く知れた。これは沖縄戦の最中なのだと。産まれて間も無い子が病気で、診察と治療の必要が有って、それで出掛(でか)けるのだから、相手方には砲撃を中断して欲(ほ)しい。その一時停戦を米軍へ呼び掛けるのが、あの村中に掲揚された白旗の意味だったらしい。隣り近所が総出で敵に訴え、皆で病児を護衛する行軍だったらしい。一発ここへ撃ち込まれれば、一網打尽(いちもうだじん)で島ごと全滅だろう。
 戦争中だというのに、たった一つの生命の為(ため)、島が丸ごと「人間の盾(たて)」になるとは!何とも悠長(ゆうちょう)な話しだ。だが、敵もさる者、「鉄の雨」と云(い)われた艦砲射撃がハタと已(や)んだ。そして今この島にノンビリ和(なご)やかな雰囲気(ふんいき)が漂うのである。
 その停戦が成った直後に、僕は双眼鏡を覗(のぞ)き始めたらしい。もしかしたら、島(しま)ん衆(ちゅ)からの申し出を(本当か嘘(うそ)か)訝(いぶか)しんで、小高い丘から偵察に来たアメリカ兵の視点だったのかも知れない。

 敵も味方も無く、生きとし生ける者が皆こぞって、病んだ幼い命を守ろうとする。そんな人々の総意が、シンと落ち着いた鳥瞰図から感じられる。血縁地縁の有無には、関係が無い。この場に関わる者は総じて、か弱く無防備な者に対する天賦(てんぷ)の義務を、自(おの)ずから厳粛(げんしゅく)に感じ取り、先天的(ア・プリオリ)に弁(わきま)えている。物を言わずとも、世界が一つになって、この崇高(すうこう)な任務を果たそうと決意しているみたいだ。
 その大地から湧(わ)き上がるような静かな意志に、僕は衷心(ちゅうしん)から共感し、静謐(せいひつ)に感動している。例えば、宇宙の摂理(せつり)に思いを致(いた)しつつ星空を仰ぐ時のように。滅多(めった)に無い程、満ち足りて沈着な心境だ。
 僕は夢判断の知識が無いから、これら一つ一つの物事が何を意味するのか、どんな気持ちの象徴なのか、明確には分からない。只、死守するべき赤ん坊は、(当面は最も幼いkが代表するが、)僕の孫の他の誰かかも知れない。
 僕は嘗(かつ)て孫の無邪気(むじゃき)さ(我(わ)が侭(まま)な程の天真爛漫(てんしんらんまん))に魅了された。もう汚れてしまった僕は、初孫の天衣無縫(てんいむほう)を出来る限り保ち、是非とも幸せにしたいのだ。それも僕一人の望みではなく、皆が同様に願い、世界中が総意として幸福を希望する形で、(誰一人として反感や憎しみや敵愾心(てきがいしん)を抱かず、妬(ねた)みも嫉(そね)みも無く、)皆が皆その人生を守ることをして欲(ほ)しいのだ。

 蒸(む)し暑く、咽(のど)が渇(かわ)き、然(しか)も蚊の集中攻撃を受けた昨晩、全然それと相応しないような(或(ある)いは、そんな一夜だからこそ)美しい夢を見たように感じる。いたいけな幼子(おさなご)への感懐が世界平和にも繋(つな)がる、という麗(うるわ)しい夢想を僕は抱いたらしい。
(日記より)

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