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なぜ箱から出られないのか?【自分の小さな「箱」から脱出する方法】

アービンジャー・インスティチュートが書いた、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』は、人間関係だけでなく、会社内での組織、家族関係すべてで大事な話だと思っています。

コミュニケーションでは、行動を変えるのは簡単です。
部下の指導法、上司との関係、子育てなど、『正しい方法』を探してしまいますが、どういうマインドでやるのかは、あまり考えないのではないでしょうか?

マインドとは、どういう『気持ち』か。ということです。
『物覚えが悪く、全然仕事ができない部下』として指導するか、『能力もあり、仕事もどんどん覚えてくれる部下』として指導するか、で指導する上司の態度は大きく変わります。また、指導を受ける部下も変わります。


『自分の小さな「箱」から脱出する方法』はどんな本か?

『自分の小さな「箱」から脱出する方法』は、自分のマインドを変えなさいという本ではありません。
自分のマインドが与える影響を教えてくれる本です。
自分が思っていることは伝わる、ということを論理的に教えてくれます。

この本を読んだ方は、『自分も箱から出ないといけない』、『自分も箱から出たい』と感じたと思います。
それぐらい、心を動かされる内容です。

しかし、実生活で生かそうとすると、すごく難しかったのではないでしょうか?
箱から出る方法として、『2日で人生が変わる「箱」の法則』では下記のように書いています。

1 箱の兆候を探す(非難、正当化、冷酷さ、よくある箱のタイプなど)
2 箱の外の場所を見つける(箱の外の人間関係、記憶、行動、、場所など)
3 状況をあらためて考える(すなわち、箱の外の観点から)
4 私が見つけたことに基づいて行動する・・・私がすべきだと感じていることをする

著書:2日で人生が変わる「箱」の法則

箱から出るための行動はありません。
何かをしたら箱から出られるというものではなく、箱に入っていることに気づき、箱から出ている関係を思い出し、すべきと感じたことをする。というのが箱から出るための、ひとつの考え方です。

これは、答えではなく、例です。
こうしたら箱から出られる場合がある。という例えです。

箱から出ているというのは、状態です。
行動ではありません。
箱から出ているときの、思考や行動というのはあります。
しかし、それをすれば箱から出ているというものではありません。


箱に入っている、箱から出ている・・・どうやって分かる?

『自分の小さな「箱」から脱出する方法』にも書かれていますが、この箱から出ている、箱に入っているというのは深いところです。
自分が相手をどのように思っているか?という深いところなので、例え言葉で相手を気遣っていたとしても、箱から出ているということではありません。
箱に入りながら、相手を気遣う言葉を使い、自分は箱から出ていると『自己正当化』をしていることは十分にあります。

また、自分の深いところなので、簡単に変えることはできません。
行動と違いすぐに変えることはできず、自分でも箱に入っているのか出ているのか分かりづらいのです。
ただ、箱に入っている関係か、箱から出ている関係かというのは分かります。
どのような言葉遣いをし、どのような行動をしているから箱から出ている、ということでもありません。
ひどい言葉遣いをして、ひどい行動をしていたとしても、箱から出ていることもあります。

箱に入っているか出ているか、というのは思考や行動ではなく、『気持ち』です。
何かをしたら、何かを考えたら、箱から出られるというものではないんです。これを忘れてはいけません。


思考を変えたり、行動を変えたりしてはダメ


私たちは、つい楽をしたくなります。
本を読んで、箱から出たいと思って、どうやったら箱から出られるだろう?と考えます。
すると、箱から出ているときは、相手を思いやっているから、相手のことを思いやるような考え方をしようと頑張ります。

実は、これが箱から出ることを難しくします。

思いやりを持って、思いやった行動をとって箱から出るのは、無理なんです。
なぜなら、箱に入っているか出ているかは、自分の心の深いところです。
自分の気持ち、正直な気持ちです。
誰からも汚されていない、素直な部分です。

それを思考や行動でコントロールすることはできないんです。
そんな簡単に自分の気持ちをコントロールできないんです。

それをコントロールしようとすると、必ず反発がでてきます。
最初はいいんです。最初は頑張れるんです。

これは、『日常の小さなイライラから解放される「箱」の法則 感情に振りまわされない人生を選択する』という本でも書いてあります。

セミナーに行って、いい話を聞いて、モチベーションが上がっても、すぐ日々の生活に戻る。自分にも何かできるんじゃないかと思って、やってみるものの、日々の実践ではなかなかうまくいかない。すると、そのセミナーのせいにする。もしくは実行できないスタッフのせいにする。あれがよくなかったからだ、自分には合わなかったんだってね。それで、こんどは別のセミナーに行って、また同じ状態に陥る。人によっては自己啓発難民って言うのかな?他には宗教も一部、そういうところがあるかもね。現実と虚構の世界を行ったり来たり。ある世界では偉い人でも、現実の世界では、全然違う人格だったりすることがある。こういう状態を総じて、『自己啓発症候群』とか『ハネムーン現象』と言っているんだよ。

著書:日常の小さなイライラから解放される「箱」の法則 感情に振りまわされない人生を選択する

箱の本を読んで最初は頑張れるのは、この『自己啓発症候群』や『ハネムーン現象』です。
本を読んで、気持ちが高ぶっているから頑張れるんです。
そして、気持ちが落ち着いて、上手くいかないとその理由を考える。

実はここにも、『自己正当化』が隠れています。
うまくいかなかったのをセミナーのせいにする、実行できないスタッフのせいにする。
これも、自己正当化です。


なぜ、自己正当化してしまうのか?


自己正当化してしまうのは、自分の気持ちを整理するためだと私は思っています。
どんな時に自己正当化が必要になるでしょうか?

先ほどの、『日常の小さなイライラから解放される「箱」の法則 感情に振りまわされない人生を選択する』では、セミナーで良い話を聞いて、それを実行したいと思いました。
でも、すぐに上手くいきません。上手くいかないことを楽しめたらいいですが、なかなかそんな風には思えません。
なんで上手くいかないのか、どうすれば上手くいくのか、何がダメなのか・・・結果を早く欲しがると、こうした気持ちはますます強くなります。
そうすると、自分の中で未処理な感情が現れます。
この感情の落ち着かせるために、『自己正当化』を使います。

これは自分に合わなかったんだ、実行できないスタッフが悪い、自分の能力が足りないからだ、こうした自分を納得させる理由を見つけるのが『自己正当化』です。
『自分の小さな「箱」から脱出する方法』では、自己欺瞞とも言います。

自分を騙して、納得させます。

上司から怒られたとき、言うことを聞かない部下、思い通りに進まない仕事があったとき、自分の気持ちは大きく動きます。
自己正当化が上手な人は、自分の気持ちをすぐに納得させ、必要な行動がとれます。
なので、自分は正しく相手は間違っていると考えたり、自分も間違っているところはあるが相手も間違っているので、自分も変わるから相手も変わることを求めます。

自己正当化が上手でない人は、自分が正しいことを、相手に認めてもらって納得しようとします。
なので、自分はこう思っているけど正しいよね?と合意することを求めます。

どちらも自己正当化です。そして、どちらも問題があります。
なぜなら、この自己正当化をすると、自分を箱に入れてしまうからです。
なぜでしょうか?


自己正当化で箱に入るメカニズム


箱に入っているときは、見方が歪んでしまいます。
正しく物事を見ることができなくなります。
それはなぜでしょうか?

自己正当化は、自分の未処理な感情を納得させます。
ある意味、無理やり納得させるとも言えます。

上司から理不尽な怒られ方をしたとき、
・なんで怒られなければならないのか
・上司は今機嫌が悪かったんだ
・上司は理不尽に怒ることがある
・自分は間違ったことはしていない
・上司は間違っている

こうした考えが瞬時に浮かびます。
未処理な感情が現れるときは、こうした色々な感情が現れたときです。
自己正当化とは、この瞬時に現れた色々な感情を、1つの理由に決めつけることです。
色々な理由がある中で、1番自分が納得する理由に決めることです。
問題なのは、他の理由を無視してしまうことです。

また、その自己正当化をより納得するために、その裏付けとなる証拠を探そうとしていまいます。
こういうのを、『バイアスがかかる』といいます。
自分の仮説に合致するデータを解釈したり、都合の良いデータのみを採用して、仮説が正しいことを証明することです。

仮説から外れることを無意識に避けてしまうので、偏りが起こります。

箱に入るとは、『自己正当化することで、バイアスがかかって、正当化することばかり見てしまうようになり、見方が歪んでしまうこと』です。


本当は、未処理な感情に納得できる理由はないんです。
感情が起こるのには、色々な理由はあると思います。
過去のトラウマや、経験したこと、第六感、嫌な予感など色々あるとは思いますが、どれか一つということは、まずありません。
そんなに単純なら、精神病がこんなに広くあるわけがないと思います。

心は頭と違って、感じるだけです。
頭では色々と考えますが、心は考えません。
考えているように思うのは、あくまで頭で心を解釈しているだけです。

そんな心を、頭で納得させるのが、自己正当化だと私は思っています。


正しい自己正当化はないのか?

『自分の小さな「箱」から脱出する方法』でも、この問題はありました。
相手が本当にひどいやつで、自分の見方に歪みがないときはどうなのか?という問題です。

「では、話を先に進めるために、仮に、仮にだよ、妻がほんとうに怠け者だったとしよう。そして思いやりもなかったとしよう。
 そこで質問だが、わたしが自分の感情に背いた後で、妻が怠け者で思いやりやがなかったとすると、妻はそれ以前も、怠け者で思いやりがなかったことになるね?」
「ええ。怠け者で思いやりがない人間というのは、いつだって思いやりがなくて怠け者なものです」
「その通りだ。でも、ここで気をつけてほしいんだが、妻にははじめからそういう欠点があったにもかかわらず、わたしは、起きて妻に力を貸してあげなくては、と感じていた。
 わたしが自分の感情に背くまで、妻の欠点はわたしが手を貸さない理由になっていなかった。
 自分の感情に背いたときにはじめて、手を貸さない理由になったんだ。
 わたしは、自分の間違った行動を正当化するために、妻の欠点を持ち出した。わかるかな」

〜省略〜

「今さっき話したことを思い出してくれないか。
 妻がほんとうに怠け者で思いやりがないとして、これらの欠点がより強く感じられるのは、わたしが自分の感情に背いた前と後のどっちだろう」
「それはもちろん後でしょう」
「その通り。だから、たとえ妻が怠け者で思いやりがなかったとしても、実はわたしは、自分への裏切りのせいで、妻を実際以上にひどい人間に仕立てているわけだ。
 しかもそれはわたしがしていることであって、妻のしていることとは関係ない」

著書:『自分の小さな「箱」から脱出する方法』

自己正当化は、やはり物事の見方を歪めてしまうと思います。
自分を正当化した状態で、自分にも落ち度があると考えるのは、かなり難しくなります。
もちろん冷静に自分の落ち度も考えられる人もいると思うのですが、本当に心からそう思えるかは別です。
この「箱」というのは、自分の気持ちです。自分の落ち度を考えられても、心からそう思えていなければ、それは「箱」に入っているんです。

しかし、そんなひどい相手に対して、箱の外に出る必要はあるのでしょうか?
見方に歪みがあっても良い、という考えもあります。
しかし、自分は箱から出なくていいんだと考えることも、未処理な感情に整理をつける自己正当化です。

箱から出たいという気持ちと、箱から出たくないという気持ちがあるから、未処理な感情が現れ、自己正当化が必要になります。
さらに、そうした感情も現れないというときは、自己正当化が当たり前になっているのかもしれません。
『自分の小さな「箱」から脱出する方法』にもありましたが、自己正当化を繰り返すことによって、いくつかの箱を自分の性格と見なすようになり、それを持ち歩くようになります。

ある意味、箱から出るというのは、この自己正当化を避けることです。
未処理な感情を受け入れる強さが必要になります。


自己正当化は必要なのか?


本当は、わたしは自己正当化がなく、箱から出ている方が楽だと思います。
つい、箱から出ているのは、周りの物事を見て見ぬ振りをして、自分が損することのような気がしていしまいます。

それは、箱から出るのが、相手を思いやり、自分の思ったことは我慢して、相手のためになることをすること、だと考えているからだと思います。
そして、そう思うから、箱から出ることが凄く難しくなります。

しかし、自分の思ったことは我慢してはいけないし、無視してはいけないし、納得させてはいけないと思います。
それは、自分を殺すことです。
心を自分の都合の良いようにコントロールすることはできません。
そして、それは必ず失敗します。

『自分の小さな「箱」から脱出する方法』を読んで、箱から出るのを失敗するのは、自分の心を箱から出た考えに合わせようとしたからだと思います。
相手を人と見なければいけないんだ、物として見てはいけないんだ、もっと相手のことを考えなければいけないんだ・・・。
こうした考えも、自己正当化だと思います。

『自分の小さな「箱」から脱出する方法』に合うように、自分を正当化しています。


あらためて何かをすれば箱から出られるわけではない

自分が、箱に入っているかもしれない・・・と疑うことは、箱から出る助けになります。
しかし、それで箱から出られるわけではありません。

アービンジャー・インスティチュートが書いた、『箱』シリーズですが、具体的に何をすればいいかは書いていません。
箱に入るとは何か。
相手を人と見るか、物と見るか。
どうして物として見るのか。
箱に入るとどうなるのか。
共謀するとは何か。
・・・つまり、箱についての説明しかしていません。
具体的にどうすれば箱から出られるのか、についてはあまり詳しく書いていません。

それは、具体的な行動を書いてしまうと、これをしているから私は箱から出ている、という自己正当化が生まれるからです。
『自分の小さな「箱」から脱出する方法』を読むと、私は箱から出ているだろうか、もしかしたら箱に入っているのではないだろうか、という疑問が生まれます。
箱から出たいという気持ちと、もしかしたら箱に入っているかもしれないという気持ちです。
こうしたときに未処理の感情が生まれます。

そのときに、具体的な行動を書いてしまうと、これをしているから私は箱から出ている、という自己正当化を生んでしまいます。
だから、本には具体的な行動は書いていないんだと思います。

私は、自分の気持ちを納得させる考えはすべて自己正当化だと思っています。

自分が、箱に入っているかもしれない・・・と疑うことは、箱から出る助けになると書いたのも、あくまで助けになるだけです。
これをすれば、箱から出ていると決めてしまうと、それもまた箱に入っているように思うんです。
ある意味、箱から出るというのは、こうした矛盾をずーっと持ち続けることだと思っています。

私は「箱」についてこう思う

私は、この『自分の小さな「箱」から脱出する方法』は大事な考えだと思っています。
これがなければ、コミュニケーションの問題は解決しないと思っています。
そういう本当に大切なことって、理由はないけれど、なんとなくそう感じるものだと思います。
何より、自分が「箱」から出続けていたいですし、こういう人と一緒に働きたいと思います。

私自身は、正直、箱に入り続けている人物だと思います。
もちろん、箱から出ることもあるのですが、それは自分からではなく、相手が箱から出ているから、自分も出られただけです。

でも、自分から箱から出られるような人物でありたいと思っています。

箱から出るのに必要なのは、自己正当化を避けることです。
自己正当化しているときは、箱に入っているときだと思います。
なぜなら自己正当化は、自分のためだからです。自分の感情を整理するために自己正当化が必要だからです。

また、自分のマインドがコミュニケーションの問題を解決できるなら、希望もあります。
変化を起こせるのは自分で、その選択権も自分にあるからです。

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