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ごめんなさい


(すみません。今日は、きれいな文書を書く気がありません)

文脈:母が2か月前に亡くなった。私は33歳だ。そして、3日前に、
勤めていた職場から、人に怒鳴ってからクビになった。解雇された日に、会社の上司に言ったこと。

私は間違っていました。悪いことをしました。怒って、同僚に怒鳴りました。言い訳はできません。

(マネジャーHから、質問を聞かれた)

私は、アンガーマネジメントの問題があること、誰よりもよく知っています。怒りをコントロールしようと努力したが、効果はありませんでした。

(マネージャーHは私の将来について尋ねた)

こういうことなんだ。

(30秒の沈黙)

私の人生について、少し語っても良いですか?

(マネージャーの三人が頷く)

私は…幸せな子供時代を過ごしました。親は、自由をたくさん与えくれました。そして、父はとても優しい人でした。でも、優しかったけど、時々怒る人でした。突然に、怒り出すのです。そして私を殴りました。妹も殴りました。

それは、私が12歳くらいまで続きました。その後は、あまりお家にいることを見かけませんでした。父はいつも飲み会にいたか…まぁ、どこにいるのかよく知らなかったけど、家にはほとんどいませんでした。

私が17歳のとき、両親は離婚しました。理由は分かりません。でも、私はとても悲しかったです。その頃、自殺のことも考えました。

それから、たまに落ち込むことがよくありました。そして、22歳のときに、ようやく精神科を訪ねました。そして、双極性感情障害と診断されました。

それから、6年間、私はALTとして仕事をしました。自分から言ってもなんですが、私は優秀のALTでした。スター講師でした。他の先生も、他のALTも、上司も、生徒たちも、みんなそう言ってくれました。その時期は、とても楽しかったです。幸せでした。

その頃、私は恋に落ちました。狂おしいほどの恋でした。同僚に。でも、彼女は...私と一緒にいられなかったのです。そして、私はもう一度落ち込みました。いや、ALTの時はずっとうつ状態でした。でも、限界でした。自殺したいと思って、飛び降りる場所を探して街を散歩しました。

(マネージャーRが、このころ号泣し始めた)

そして、ちょうどいい場所を見つけました。このビルの8階から、飛び降りれば...と思ったんです。

飛び降りることができる前に、同じ年に、なんと、私の愛している姉が夫から虐待を受けていることを知ったんです。Abusive relationship・虐待関係です。そのことが、一番深く傷つきました。私は、5年前から、毎日毎日怒っています。

それを知っていてから、もうなんていうこともないでした。ICUに1カ月、いや3カ月の間、入院しました。それから、2年間は無職でした。最後に、元気が戻ってきて、仕事を見つけました。なかなか、自分に合う会社は見つかりませんでした。四回目で、御社に決まりました。

この会社は大好きです。たまに、マネージャーと問題ありましたけど、本当にこの会社を好きです。

その後、どうなったか知っていますね。(僕の母親は亡くなった)。ただし、前に言わなかったことがあります。母は乳癌でした。そして、母は病気について誰にも言わなかったのです。私にも姉にも言いません。薬も飲まなかったのです。治療を全て拒否しました。私の言っていることがわかりますか?

母は自殺したんです。

(マネージャーHは「まぁ...」と言い始めたが、話すのをやめた)

それで、母が亡くなった9日後に学校に戻ってきました。休暇をいただきました。そして、クラスに母が亡くなったことを話しました。そして、こう教えました。

「先生のことをかわいそうに思っているね。ユーゴ先生に優しくしなくちゃ、と考えていると思う。でも、言っておきます。苦しんでいるのは、先生だけじゃないの。周りに、苦しんでいる人は大勢います。だから『ユーゴ先生に優しくしなくちゃ』じゃなくて『みんなに優しくしなくちゃ』と思ってください」

僕は、このクラスの子にそう言いました。だから、違うクラスで教えたくないし、他の学校でも教えたくもないです。このクラスの副担任になりたかったのです。そして、この子たちを良い少年少女、良い青年少女に育てたかったのです。

(マネージャーたちは、何を言っていいのかわからないと次々に言う)

何も言わなくていいです。私も…分かりません。ただし、私の人生は辛いものだけじゃなくて、いろいろ素敵なものもありました。本を読むのも、散歩するのも、自然の中にいるのも、そして、英語を教えることも大好きです。

そして、この学校で4年間働きたいと思っていましたが、もう無理ですね。

もう英語を教えることはできません。怒りがコントロールできないのです。あらゆることを試しましたが、怒りが私をコントロールしています。つまり、すべてが終わりです。これで終わりです。ここが、僕にとっての終点なのです。

(マネージャーRはオーストラリアに帰りたいか聞きました)

…私は『お家』に帰りたいです。母と一緒になりたいです。

I want to go home. I want to be with my mother.

(マネージャーRは、誰かに相談したい気はあるか聞いた)

今もう3種類の薬を飲んで、セラピーも受けたし、他にいろいろなことを試しました。いいんですよ。私は、もういいのです。

(マネージャーたちはまた、何を言っていいかわからないと言う。その後、私は学校に残した部品をどうしたいか説明する。元同僚に教具を譲り、それ以外は捨てるようにと言う。そして最後に辞める前に)

In my family, we don't say goodbye.

私の家族では、別れの挨拶はしないのです。だから、見送りしなくてもいいです。

(マネージャーEが、階段を下りているところ、"Take care Yugo!" と言った。私は階段を下りながら、彼に手を振った。彼がそれを見たかどうかはわからない)



私は、もう少しだけは生きて、書いた作品を編集しながら、noteに投稿する計画です。