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アオキガハラに行ったとき...

(これは自殺・自殺未遂の話ではありません)

ネットで知り合った人とメッセージ交換していたら、こんな話になった。
この経験は、たまに話す機会がある。

といって、大して面白い話しでもない。ただ、若気の至り、馬鹿な真似をしたことだけだ。

これは十年前の夏。オーストラリアの大学を卒業した直後、なにもやりたいことがなかったから、一応帰国して親と相談して人生の道を選ぼう、と、そんな風に考えていた。

でも、正直を言えば、なんでもかんでも詰まらなそうなものばっかりで、少し就職活動を始めるのもじめじめだった。

その時は、うつ病だったと未だに思う。人生に目的がなく、精神的に痛んでいた。七〇パーセントはひきこもりだった。二日に一度、タバコを買うためにコンビニへ通うぐらいで、その他はパソコンの前に座って、就活サイトに目を通すか、中途半端な気持ちでにライティングに潜むかだった。

(タバコは健康に悪いので、吸わない方がいいです)

そして、いつかテレビを見るともなく見ていたら、『アオキガハラ』についてのドキュメンタリーが放送されていた。私はアオキガハラなんては初耳。富士山のふもとに青くて静かな森林がある。そして、その森林の中で命を図る人が大勢いる。そんな場所あるんだ、と思った。

Suicide Spot:自殺多発地点・自殺の名所。景勝地など著名な土地のうち自殺者の多い場所や、自殺者が多発することで著名となった場所のこと
うつ病だったぼくはこういう話しにそそられた。恐ろしい話しには違いないけど、なぜか怖い話を聞くと心が冷やさせる。心のチクチクする感じが一時的消えて、すっきりした。

そのあと、一週間はなにもないようにしのいで暮らしていた。その時、人生にはじめて「一念発起」というものを体験した。

何があったか、覚えはない。普通は、こういう現象にトリガーがあると言われるが、ぼくにそんな外的な変化はないまま、精神の閉まっていた扉が開き、高揚感が波のように寄ってきて、周りを見たらすべてが輝いている。麻薬を取ったわけではないけど、なにかの力で天まで上った。嫌いな人はみんな赦せる、悪い想いでももう悔しくない。未来はもう怖くない。何も怖くない。ただ、生きていて、息できるだけで、もう心は大満足。世界中が愛情に包まれているのだ、そんな気持ちで世界に向き合って、自信が湧いた。その夜、旅心を生み出した。なんで、こんな落ち込んでいたのだ。この輝かしい世界に生きているのに、悔しい気持ちはいらない。ひきこもっている場合じゃない。そうだ―旅に出ていこう。もっとこの美しい世界を自分の目でみて、この肌で風を感じて、身をもって冒険しよう。

まるで、神さまがぼくを救ったような気持だった。

(実は、神さまはぼくを救っていません。これは、精神疾患の症状でした。ただし、その時はそれを気付きません)

その瞬間、先週見たテレビ番組を思い出して、あの場所に行ってみよう、と思った。不条理な理由だったけど、あの番組はご縁だったかもしれない、そう思い込んで、アオキガハラへ行くことを固く決断した。

Morbid curiosity:病的好奇心。特に死など、タブーな話題に興味を持つこと。

そして、目的地まで歩いて行こうと決めた。これも、合理的な理由があった訳ではなく、なんとなく勘でこうしたら良い思い出になるだろうと思って、都市から山梨県へ歩いていこうと思った。それは、真夏の午前4時だった。
それまで、長距離をウォーキングすることはなかった。だから、自分は一日にどれくらい歩けるか、いつ休憩取った方がいいとか、スポーツマンが知っている知識はゼロだった。ただ、ウォーキングの心は持っていた。歩け!歩け!体力はそんなになかったけど、情熱は溢れるほど持っていた。

そして、一日目に4時スタート・17時エンドで、集計15時間は歩いた。と言って、ずっと歩いていた訳ではない。ちゃんと休みも取った。でも、流石12時間も歩き続けたら、足だへたへたでもう歩けない状況だった。本当に歩けない。十歩進んで、20分の休みが必要だった。そうして、2時間ちょっとかけて、付近にあるホテルまで身を運んだ。

ホテルルームに入って、疲労感の限り、涙が出そうな、ホテルに着いて空気が和む感じで、それで頭がちょっと狂ったように笑い出した。10分間、一人だといも関わらず、過大に大笑いして、息が出来ないまで笑い続けた。その後、ぐっすり寝た。

翌朝、5時頃に起きてすぐ出発した。DAY2も前の日と同じぐらいな距離で、足がへたへたするまで歩いた。ホテル見つけた記憶はない、もしかして芝生の上かバス停で一晩寝たかもしれない。旅のここら辺はもろ覚え。あと二日間は線路沿って歩いたけど、よく覚えていない。保存したフォトを見るといっぱい山々の景色や険しい峠の写真がメモリーに入っていて、その時からの写真だと思える。

まあ、どうにかして山梨県に無事で着いた。その近くにユースホステルが見つかって、そこで泊まることにした。その近くに大きな湖があって、それを一周した。自然に恵まれて、幸福な一日だった。ホステルに帰るとラウンジが賑やかで、世界周りからきた客が多く、国際色で豊かだった。そこであった人とはもう連絡していない人だけど、その時にご縁があって本当によかった。未だに顔と名前忘れた人に心から感謝している…

そして、次の日にアオキガハラへ旅出た。

森林はホステルからすぐそこで、20分もかからない間で着いた。森に入ってからはぐにゃぐにゃする山道が複数ある。どの道でも出口には届くから、散策路から外れなければ安全なのだ。この森の中に死体や頭蓋骨が見れるという噂は聞いたけど、そんなの目撃しなかった。

逆に、緑に恵まれて、静かで心の底から落ち着けるような感じがした。こんな森に入ったら、心配事は全部忘れるし、自ら生命を断つことする必要ないじゃん、と思った。本当に、ここで一人でいるのがゆったりで、一日中その森の中で過ごした。そして、もっとゆっくりしたかったから、ホステルに戻らず、ここで一晩過ごそうと思った。小山を登って、そのてっぺんからは富士山が見えたし、ここはいいキャンプサイトだと思った。

夕方になったら涼しく感じてきた。ジャケットは腰に回したままだったけど、もうちょっと冷えてきたら着てもいい思ったりしたら、水稲ボトルの水が切れそうだなと思って心配してきた。夏だから、夜中でも水分補給も大事だから、早く山を降りて、水道を探してみようと考えた。だから、キャンプサイトから離れて、水道を探しに行った…

その時、日が沈んだ。森の中は暗くなってきた。本当に、山の中で、灯かりとかある訳じゃないから、暗くなると物凄く暗い。手と足も見えない暗闇だった。上を向いたら、枝の間に星がいくつか見えるが、目の前の散策路は全然見えない。

もう水道を諦めようと思って、キャンプサイトに戻ることにした頃、もう遅すぎる。暗すぎて、帰り道が分からなくなった。パニックになって、どうしようかと考え、まあ、山道を進んだら出口が見えてくると思い付いて、この道を進んでみた。

でも、暗くてぜんぜん足元が見えないのだ。歩き続けたら段々と地面が歩きづらくなり、根っことか石がつま先にいつも当たって、可笑しいなと思いながらしばらく歩き続けたら、何が起きたかピンと来た。もう、これは散策路じゃない。山道から外れた…

こうなるともう出口は見つかるのはありえない。じゃあ、どうすればいいのか。もうこの時期では、キャンプは忘れて、森林から脱出したいだけだ。もう山登りやキャンピングは嫌になった。じゃあ、どうしたら出口が見つかるのか頭を抱えた。考えて考えて、いや、この時は頭が興奮してパニック状態だったから、冷静に考えれない。だから、興奮したままで、次の策戦を決めた。

「そうだ。山を降りたら、谷には道路がある筈だ。道は見えないけど、上がるか下がるかは平衡感覚を使えば分かる。『下』の方向へ行けば道路が見つけて、山から脱出できる!」

…そうパニック状態なりの発想が浮かび上がり、一も二もなく山から下りる選択で進めた。山の斜めが足で検査して、『下』の方向へ向いて、山を降り始めた。

一つ、予想していなかったのは、斜面の角度だった。この山は思ったより険しかった。そして、下りていくたびに、もっともっと角度が高くなってきた。多分、80度近くだった。もう立つことができないぐらいで、そうなったら、もう一つパニック状態の発想―横になって、ボブスレーのように、滑り下りるんだ!

そうして、ボブスレーのポーズで山の斜面の滑り降りた。でも、この山は思ったより高かった。30分ぐらいは滑っていた。もちろんとげに刺されたり、擦り傷だらけになった。公園の滑り台とは違って、刺すものや硬い物があらゆる転がっていて、楽しくないし、代わりに痛かった。

(この行動に関して、本当に山と地方の皆さんに申し訳ないです。ルールを守って山登りを楽しましょう)

そうやって、ようやく山の麓へ到着して、森林から脱出した。

その頃はもう日が昇ってくる時間で、少しずつ周りが明るくなってきた。谷にある道路を歩いていると、始めに現れてきた建物はお寺だった。

死にそうな経験の直後だったから、もちろん参拝した。手を合わせて、仏さまに感謝を表した。


この経験に振り返ってみると、本当に馬鹿な真似をしたなぁと思う。危険性をちゃんと感じてなかったと反省した。これからは、自分の命を大切にして、ちゃんと気を付けて行動しようと自分に約束した。

その約束は破ってない。

そして、失敗してから生き延びたことを忘れないようにしている。今も、仏さまに有り難い気持ちはずっとつづいている。




最後まで読んでくれて誠にありがとうございます。私はいつも素直で真摯にライティングを書くことを志していますが、今回のエッセイはちょっと恥ずかしい話しで、投稿をやめようかなと思いましたけど、自分にありのままの姿で向き合いたいので、最後はアップしました。

イメージはインスタグラムで今ハマっている画家、Little suicide candyさんの作品です。いつも『Sadgirl』を描写するアーティストです。是非、ページをご覧になって下さい。

https://instagram.com/littlesuicidecandy?igshid=NzZhOTFlYzFmZQ==