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母の遺品から出てきた、見知らぬ男からの手紙

20年もの間、家族の誰も整理しなかった母の遺品を整理していると、ある手紙が出てきた。丸みを帯びた整った筆跡で、海外旅行の感想が書かれている。「こんな景色を見た、きみはどう思うだろうか」「次はきみと行きたい」。

何気ない言葉から好意が溢れ出ている。結びには「古城の騎士より」と書かれていた。送り主は私の知らない男だ。

「騎士」と書いて「きし」と読むのか、「ナイト」と読むのか……と、一瞬悩んだ。いやいや、そんなことよりも砂糖を煮詰めたようなペンネームにうろたえた。


遺品整理は、故人の生きた証を断捨離していくと同時に、人生を盗み見る行為でもある。心身が疲弊していく一方で、私の中に下世話な好奇心が湧いていた。

押入れから分厚いアルバムを引っ張り出す。20年以上も放置されたアルバムはビニールと埃が一体化して、在りし日をコーティングしているようだ。

重いアルバムを開くと、母の若かりし日の写真が並んでいた。外苑前のイチョウ並木を背景に、母が男と腕を組んでいる。これが「古城の騎士」なのだろうか。その他にも海外旅行や海辺の写真などが整然と陳列され、どの写真にも父の姿はなく、代わりに知らない男がいた。

「まじかー……」。誰に向けるわけでもなく、ため息交じりに声が出る。

母は私が小学生に上がった夏から入退院を繰り返し、そのまま他界してしまったので、この手の話を聞いたことがなかった。母が死んだとき8歳だった私は、遺体を見ながら「大きくなったらいろいろお話したかったのに」と、達成されない未来に思いを馳せた。とはいえ、幼い頃に想像した「いろいろ」が、意図しない形で目の前に突きつけられると脱力する。

母の葬儀時の資料が入った箱をあけると、父が書いた弔辞の原稿が出てきた。直線的で右上がり。よく見てきた筆跡で「妻は、人生というマラソンを早く走りすぎてしまった」と書かれている。会議資料の裏紙にボールペンで書かれているので、きっと急いでこしらえたのだろう。そうではなく、単に父の横着さゆえだったのかもしれないが。

この箱には、葬儀出席者の名簿や式次第に混ざって1通の便箋が入っていた。「海外に住んでいるため葬儀には行けないが、せめて追悼させてほしい」。数分前に面食らった字で沈痛な想いが綴られていた。


埃を被ったアルバムに視線を再び落とす。

恋愛の香りがする写真の中に、突然仏像の写真群が出てきた時は流石に笑った。そういえば、母はインカレの仏像サークルに入っていたと聞いたことがある。闘病中に洗礼を受け、最終的にクリスチャンとして天に召した母は、学生時には仏像を追いかけ全国を巡っていたらしい。

遺品をさらに掘り進めると、母が銀行で働いていた時の給与明細が出てきた。「タケシタ チエ」。自分と異なる名字が冠についた明細に書かれていたのは、私の新卒初任給より少ない母の月給だった。80年代はディズニーランドが4000円で入れた時代だったので、それが「多いか少ないか」はよくわからない。それでも、専業主婦だった母にも勤労していた時間があり、この紙を見て一喜一憂した日々があったかもしれないと思うと、妙に親近感が湧く。一方で、私は自分の給与明細にしばらく目を通していないことを思い出した。

次は、母の服に手を付ける。コンサバティブなアンサンブルに、山のように出てくるペイズリー柄のロングスカート。一体これをどうやって着こなしていたのだろうか、普段黒い服ばかり選んでしまう自分には全く想像ができない。たまにSNSで「お母さんの昔の洋服を借りちゃった」という投稿を見かけるが、自分には絶対ムリだなと悟った。そもそも母は高身長だったので、背の低い自分にはサイズが合わない。

母の断片を集めては感じ入る。私と彼女はどうしようもなく他人であることを。

母には、私と異なる名字で生きてきた時間があり、私が共感できない価値観があった。相容れなさを自分の手で見つけるごとに、私の中で「お母さん」は「チエさん」として輪郭を帯びていく。その線がはっきりしていくと同時に、『千と千尋の神隠し』のあるシーンが頭に浮かんだ。

それは、主人公・千尋が、油屋を運営する湯婆婆に本名を奪われる場面だ。「ここで働かせてください」と懇願する千尋を前に、湯婆婆が「今からお前の名前は"千"だ」と言い、その瞬間「荻野千尋」から「荻」「野」「尋」の3文字がふわりと浮かび上がり、シワだらけの手の中に吸い寄せられる。千尋は"千"として暮らすこととなり、油屋で仕事をこなすうちに自分の本当の名前を忘れていく。

私は母と過ごした8年の間、いや、他界してから20年以上もの間、彼女を「お母さん」と呼ぶことで、母という存在に抱くイメージを強要していた。幼い頃に姿を消してもなお、心の何処かで「すべてをわかってくれる存在」だと期待していた。もしかすると、幼い時に母を失ったからこそ、イメージとしての「母」は深く根が張るように私の中に息づいていた。母は千、私は湯婆婆だった。

「古城の騎士」というペンネームの男は、そのイメージを一瞬で打ち砕いた。だって、逆立ちしたって私はこの男のことを好きになれないから。こんな甘ったるいペンネームを使う男からの手紙を後生大事に取っている我が母……他人の恋愛にケチをつけるほど野暮ったいことはない。けれども「しっかりしてくれよ」と手紙を前に失笑するしかなかった。母に抱く感情は、苛立ち? 失望? 落胆? 嫌悪? 頭の中で整理する。どれもしっくりこない。きっと近いのは、諦念だ。

血がつながっていようとも、母は私の別人である。共感できる趣味趣向・価値観は、自分が思っているよりもずっと少ない。同時に、母が私のことを「わかってくれる」部分は多くない。

それでいい。母と私は気が合わなさそうではあるけれど、それは嫌悪感には結びつかない。他界してから20年、私はようやく母を個人として直視し、「お母さん」を手放せたような気がする。他者だと認識できたから、私は彼女を尊敬し、ダサさも含めて好きだと言える。親は完璧な存在ではない。

「お母さん」の呪いを解いてくれたとしたならば、「古城の騎士」はその役割を十分に果たしているのかもしれない。


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