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6/9視聴:「マッド・マックス フュリオサ」

こんにちは。

5/30に公開したアニャ=テイラー・ジョイさんとクリス・ヘムズワースさん主演の映画「マッド・マックス フュリオサ」について感想や考えたことを書きたいと思います。

ネタバレ全開で書きたいと思うので作品を見られていない方は自己責任で先に進むようにしてください。

また、過去作は「マッド・マックス 怒りのデスロード」のみ視聴済みになります。

【感想】

個人的な賛否についてですが「賛」でした。

まずいの一番の感想として、マッド・マックスシリーズということでやはりカーアクション、バイクアクションが圧巻でした。

ただ、前作の怒りのデスロードとは異なり、主人公フュリオサと彼女を取り巻く人間の描写が多く、前作よりはアクションの濃度が減っているように感じました。

今作は前作の怒りのデスロードに繋がる話ということもあり、どうしても見る前から結末が想像できてしまう部分はあったのですが、それを補って余りある、ハイスピードな展開とフュリオサの過酷な生い立ち、心情描写があり、スピンオフというにはもったいない作品でした。

本国公開時から話題になっていたフュリオサのセリフの少なさ(全体を通じて30行のみ)を補うアニャ=テイラー・ジョイさんの表情、マイティ・ソーシリーズとは似ても似つかないクリス・ヘムズワースさんの狂気っぷりに身震いを覚えました。

砂漠化し荒涼とした世界に映し出される、理不尽に母を奪われ、人生の大半を素性がバレたら奴隷にされるか、殺されるしかないという
状況の中で生きてきた影を負った主人公と、タガが外れて狂気の明るさに包まれた母の仇という二者のコントラストが特に印象的でした。

ただ、怒りのデスロードの前日譚という前提があるので致し方ない部分もありますが、フュリオサは自分の生命に関わる部分以外では主体的というよりは搾取される側、受動的な存在として描かれる部分が多かった部分が残念ではありました。

前作が男根主義的な家父長制社会からのエグザイル的な物語であり、女性は自分の意思で砦から逃げる選択をするという主体的な存在として描かれていただけに、そのリーダー的な存在であったフュリオサにしては行動に積極性がないように感じました。

それこそ最後の復讐については自分の能動的な意思、主体的な行動として描かれていましたが、砦の中での暮らしやウォータンクの警備隊長の仕事を描いている場面では積極的にディメンタスに復讐を行う主体性のようなものは見受けられませんでした。

【解釈・映画評】

本作は前作「怒りのデスロード」で語られたフュリオサの過去の断片に血肉を与えたものになっています。

「怒りのデスロード」で描かれたフュリオサの行動や考えを形成したバックボーンを描く作品であるため、見る前からある程度結末は予想出来ていました。

ある種観客が結末を予想出来てしまう、もはや知ってると言っても過言ではない、ハンデを背負った本作ですが、それでもなお見るものを惹きつける様々な装置が要所要所に仕掛けられているように感じました。

・ド派手なアクション

マッド・マックスシリーズということだけあって、やはりアクションシーンが何よりも圧巻でした。

前作「怒りのデスロード」と比較するとカーアクション、ロードアクションの比重は圧倒的に減っていたように思います。

しかし本作ではその分、ウォータンクの輸送任務中に会敵するバイカー集団とのカーアクション、ディメンタスからの急襲を受ける弾薬畑でのアクションシーンの2シーンはとても見応えのあるアクション演出でした。

アニャ=テイラー・ジョイがインタビューで、本作は15分のアクションシーンを70日掛けて撮影を行なっていたと答えていました。

あまりにもカット割りが細かく、カット数が凄まじかったため、撮影中はそのアクションシーケンスを「終わりなき階段」と呼び合うほど途方もない作業だったようです。

ジョージ・ミラー監督の作品はとてもカット割りが細かくカメラを長回しせず、一つのセリフを撮っただけで、撮影を止めて異なるアングルから続きを撮ることで知られています。

その手法の甲斐あってか、本作も映画全体におけるアクションが占めるシーンは少ないにも関わらず、カット割りが多いため、インパクトのある映像が矢継ぎ早に展開され、一つ一つのアクションの濃度がものすごく高かったです。

それこそ15分にも及ぶアクションシーンなのに、場面の展開が早く、変わる変わるインパクトのある画が表れるので、だれることなく、とて満足度の高いものになっていました。

・髪を切ることのメタファー

本作にはフュリオサが自分の髪を切るシーンが2回でてきます。

髪を切ることはフュリオサにとって自分の女性性を切り捨てることであり、それは戦士として生きることの決意の表れです。

フュリオサの髪を切るという行為=戦士として生きることへの決意には2人の喪失があります。

1度目はディメンタスに連れ去られイモータン・ジョーに子産み女として献上された時。

子産み女としての立場から逃れるために自分の髪を刈り上げ、女性性を捨て、少年として生きるために自分の髪を刈り上げます。

2度目はディメンタスの策に嵌められ、共に警備隊長を努めていた相棒のジャックを殺された時です。

ディメンタスに憎しみを抱いていながらも積極的に復讐に繋がるアクションをとってこなかったフュリオサが、改めて自分の愛する人を奪われたことで、戦士となりディメンタスに復讐を誓う場面になります。

フュリオサの髪を刈り上げることで、今までの自分と決別し、「戦士」としての新たなるアイデンティティを形成していく姿が、まさに「怒りのデスロード」へと繋がる前日譚として最高の構成でした。

イモータン・ジョーに性奴隷として扱われ、母乳や、子を産むための装置としてモノ化されていた女性たちによる男根主義社会、家父長制社会への闘争として描いていた「怒りのデスロード」の中で同じ女性でありながら、戦士として生きるフュリオサがどのように誕生したのか、なぜフュリオサは子産み女たちを逃がそうとしたのかという問いには100%の回答を与えてくれたように思います。

・種子

本作では幾度となく、フュリオサが母から分け与えられた緑の地に育つ植物の種子を守り抜こうとするシーンが描かれます。

フュリオサたちの一族?コミュニティ?は「鉄の女」と呼ばれ、彼女らには一つの使命がありました。

それは緑の地で取れた種子を緑の地に新たに植え直し、緑を守ることでした。

フュリオサは母との別れ際に母から一つの種子と、緑の地に絶対に帰りつき、そこにこの種子を埋めるという使命を与えられます。

最終的にフュリオサはこの種子をイモータン・ジョーの砦の中で、母とジャックの仇であるディメンタスに植え、ディメンタスから吸い取った養分でこの植物は育ってゆきます。

僕はこのディメンタスに種が植えられ、そこから植物が育っていくという場面を見て、イモータン・ジョーと子産み女の関係を連想しました。

フュリオサがディメンタスに種子を植え付けるというのはイモータン・ジョーが子産み女に種を植えるのと同等の行為であり、男根主義的な家父長制社会として描かれる砦の中でのフュリオサの行為はフュリオサが女性性を超越したことの比喩のように感じました。

また、ディメンタスを殺さずに苗床にするというのはディメンタスの男性性の剥奪と脱人間化、モノ化という形での最大の復讐のように感じました。

【最後に】

本作は「怒りのデスロード」に繋がる前日譚として「怒りのデスロード」の中で生まれた問いに100%の回答を与えてくれた作品だったように思います。

上で色々見て感じたことや考えたことを書きましたが、そういうのを抜きにしても、ド派手アクションとして十二分に楽しめる作品になっていたと思います。

ド派手な爆発、カークラッシュ、様々な装置を使ったアクションシーンだけでも十分に見る価値のある作品でした。
 
また、前作とは異なりストーリーパートに当てている時間も十分あるのでアクションを見慣れていない人も移入しやすい作品だったと思います。

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