電子音楽を聴く⑥ Laurel Halo全アルバム感想
Laurel Haloを今のタイミングで振り返ろうと思ったのは新作がリリースされたから…ではなく、坂本龍一のプレイリストに「Possessed」の曲が使われていたのがきっかけ。特にダンス寄りだった初期作品はそこそこ聴いてたけど、最近のアンビエント嗜好の作品はリリース時そこまで聴いてなかった。
一方で、自分の趣味がここ2年くらいで急激にアンビエントとかもいける口・・ではなく耳になったので、「あれ、これLaurel Haloを今聴き返したらヤバいんじゃない?」と思い、一通りのアルバムを通してみることにした。
そしてその結果は、、、、もう想像以上に「ヤバい!!」でした。聴き返して良かった。色々な発見があったし、これまで以上にLaurel Haloのことが好きになった。
ということで、Laurel Halo作品を聴き返した感想をライトに残しておくことにする。オリジナルアルバムは5枚、ミニアルバム1枚、サントラ1枚、ミックスアルバム1枚の計8枚です。
釈迦に説法だとは思いますが、Laurel Haloって誰やねんって人のために簡単にWikiより要点を抜粋しておく。
どうでもいいけど、ヤバいって便利な言葉だね。元はネガティブなワードだったと思うけど、最近ではポジティブにも使えるし、なんか色々な感情や想いを簡単に表現してくれるような気がする。
Quarantine (2012)
デビュー作。The Wire誌の年間ベスト1位。
このアルバムはリアルタイムではなく最近初めて聴いたんだけど、「これはなんだ…???」となること請け合いのアルバムである。なんせLaurel Haloが歌いまくっている。決してうまいとは言えない、呪いをぶつけてくるような歌声は、ベースミュージック〜ドローン/ダブアンビエント基調(このあとの作品からはダブアンビエントっぽさは減退するんだよな)のトラックと相まって、彼女にしか描けない世界観を醸し出している。
ジャケットは会田誠による「切腹女子高生」。笑いながら腹を斬る女子高生ということで、過去では渋谷で燻るギャルたち、最近では遊びのために援交(今だとパパ活か)するような少女たちの闇を思わずにはいられないけど、不気味でエキゾチックなニュアンスはこのアルバムの音楽性にもピッタリはまっていると思う。
Chance of Rain (2013)
彼女を知ったのは本作から。
彼女のディスコグラフィの中でも一番テクノしてるアルバムで、今から勧めるにしてもこれが一番入りやすいと思う。そして前作と打って変わってボーカルは全排除。とはいっても、実験精神は旺盛で、荒々しさ、摩訶不思議さを孕んでいるので、シンプルなダンスミュージックではない。「アンビエント/アブストラクト・テクノ・レコード」と本人が言っているように、アブストラクト感は半端なく、今聴いても全く古くない。
James Blakeの登場を皮切りに一気に広がったポストダブステップの文脈の中の一人という認識だったけど、今聴くと少し印象が変わるかも。というのもUKの流れにあるポストダブステというよりはベルリンミニマルの要素を強く感じるし(ちょうど本作リリース時くらいからベルリンに移住している)、そこに合わさるミュージックコンクレートやコラージュ要素は、ポストダブステとはどこか違うところにルーツがあるような気がする。
M2 "Oneiroi"がとにかくかっこいい。あと、ところどころに挟まれる小品的な曲が、クラシックの素養を垣間見せるインスト〜アンビエント的で、後の作品との関連性を感じさせる。
In Situ (2015)
<Hyperdub>ではなく、<Honest Jon's Records>(デーモンアルバーンが共同経営者)よりリリース。LPかと思っていたけど、2枚組EPという形らしい。
前作よりもさらに音数が絞られ、ミニマルになっている。リズムは予測不可能でウワモノも必要最低限の音が適切なところに置かれているのみ。M1 "Situation"、M2"Leaves"、M4"Drift"あたりは特にその良い例で、脱構築されたようなビートとアクセント程度に用いられる効果音の絶妙な組み合わせは、センス良きかな!と思わずにはいられない。まるでMoritz Von Oswald Torioみたいだなと思ったら、Moritz〜も<Honest Jon's>から多数リリースしており、なんか納得(2021年にはMoritz von Oswald Trio "Dissent"に参加もしていたのね)。
そして、ずっと無機質にきてたのに、最後のM8 "Focus 1"はエレピが効果的に活用されており、Robert Glasperあたりのモダンジャズとの邂逅を感じさせる有機的な曲になっていて結構グッと来ちゃう。
一聴すると地味な印象を受ける音楽のように思うかもしれないが、繰り返し聴いていくと毎回のように新しい発見があるので、じっくり聴いてほしいやつです。
Dust (2017)
歌が復活。Quarantine以来だが、本作では歌が主役というよりはビート主体の中のアクセントとして歌があり、その点Quarantineとは明確に機能が異なっているのは特徴的。
前々作、前作に引き続きミニマルで空間の多い音世界だけど、ダンスもあればダブ、ジャズ、ソウル、IDM・・・と彼女の作品のなかでも最も形容し難い、幅広いサウンドかもしれない。M1 "Sun to Solar"やM2 "Jelly"はダンスソングだが、M4 "Arschkriecher"やM7 "Who Won?"はフリージャズ、M10 "Do U Ever Happen"ではダブな歌モノ、最終曲 "Buh-bye"はもはや物音電子音響アンビエントと、いやはや、掴みどころがないですね。一方で、どこか統一感があるのも事実で、こういうアルバムこそ再生回数をついつい重ねてしまう。あとM1、M2あたりはベースの太さからか、MoodymannやTheo Parish味を感じるほどドープでソウルフルに聴こえ、この感覚はこれまでの作品にはあまりなかったなとも思う。
そして、M5"Moontalk"がトライバルでダンサブルなポップソングなんだけど、風変わりな日本語詩(ちゃんと聴かないと日本語だとわからない)が異物感を生んでおり、かなりクセになる。彼女の全ディスコグラフィを通じてもかなり特殊な一曲だけど、これが本作の個人的ハイライト。
Raw Silk Uncut Wood (2018)
(その予兆はあったとはいえ)これまでとは打って変わって、ミュージックコンクレート/アンビエントに振り切った作品。
チェリストであるOliver Coatesが参加しているM1"Law Silk Uncut Wood"はオルガンの瞑想的なコード進行でまず意識を埋没させる。一転M2 "Mercuryはパーカッショニストとして参加しているEli Keszlerの前衛的なリズムを使い倒したアヴァンジャズトラックで、M1との違いに脳がバグる。木管楽器の連打など、Mark Fellや高田みどり的ミニマルさを思わせるM3 "Quietude"、M4"The Sick Mood"でまた気分を変え、小品であるM5 "Supine"のジリジリとしたサウンドスケープで前振り。そして最後のM6でドラマチックでありながら静謐さも兼ね備える美しいアンビエントトラックで締める。ああ、なんと完璧なアルバム構成。一曲一曲のクオリティもさることながら、この流れでしか得られない何かがある。
リリース当時は自分にアンビエント耐性が全然なくてスルーしてしまってたんだけど、改めて聴くとヤバい傑作。
DJ-Kicks (2019)
最近の振り返り活動以前に最もよく聴いていたのはこのDJ-Kicksかもしれない。上から目線で言うならば、彼女はダンスミュージック・ダンスフロアというものもよく分かってる(ほんと偉そう)。いや、それくらい聴いていて気持ちいいしアガるんですよ。曲間の繋ぎに不自然なところは微塵もない上に意外な展開のトラックが始まったり、ピークタイムへの持っていき方だったり、クラブに馴染みのない陰キャの自分が家で躍るには最高の一枚なんです。特に中盤から後半にかけては圧巻で文句なし。
改めて曲目を確認すると全29曲のうち本人名義だと4曲(M1 "Public Art"とM25 "Sweetie"は今回が初出?)、他に自分の知るところだとFacta、Parrisや、Ikonika、Rrose、Nick Leon(後半3者の曲はエクスクルーシブとしてEPにもフルが含まれる)の曲があるな…ん?Dario Zenkerって自分が敬愛するレーベル<Ilian Tape>主宰のZenker Brothersの片割れじゃないか!ヤバい!あと、その前のPanda Lassow "Lachowa"はGqomじゃん!改めて注目して気づいたけど、ほとんど意識してなかったくらい違和感ないのが全くもってヤバい!
この文章はドトールでコーヒー飲みながらポチポチ打ってたんだけど、スーツ姿で無駄に身体揺らしてる不審者をもし見かけた人がいたら、それは私かもしれないので許してください。
Possessed (2020)
冒頭の通り、坂本龍一のFuneral PlaylistがこのアルバムのM3"Breath"で締められていたことで初めて手に取ったサントラ。オーケストラやピアノメインの室内楽的ラウンジミュージックと、荒涼さと神聖さを併せ持つドローン・アンビエントとのバランスが良い。そして、とにかく音響感覚が研ぎ澄まされている。こんなんセンス◎でしょう。すごい。
とにかく彼女のディスコグラフィの中で最も「坂本龍一」を感じる一枚だ。特に教授の晩年の作品群(「out of noise」「レヴェナントサントラ」「Glass」あたり)との共振っぷりが強い。教授のプレイリスト経由でこのアルバムを聴いているというバイアスが多いにあることは否定できないが、でも決してこの感覚は遠くはないと思う。Laurel Haloは元々クラシックのバックグラウンドを持っている中でポップミュージックを更新しようとしている人だと思うが、それは生涯にわたって坂本龍一がやってきたことと同様だ。そういった意味でもやはり自分が上記のように思うことはそんなに間違ってないだろうな。
サントラと思って毛嫌いする勿れ。
Atlas (2023)
近年の潮流ともいえるアブストラクトで不気味なドローン・アンビエント(大好物)が基本ベースにあるが、他の作品とは一線を画すのがストリングスやアコースティック楽器の使い方であり、そのおかげかどこか優雅な印象を与えている。もしくはチェンバー×コラージュの代表ともいえるThe Caretakerの諸作からカオス味を減退させてクラシカルに美しくまとめ上げたサウンドとも捉えられるだろうか。とにかく今年リリースされたアンビエント・ドローン作品の中でも屈指のアルバムだと思う。
そんなクラシカル・コラージュ・アンビエントな作品を支えている一つの要素として間違いなくコラボレーションの巧みさがある。サックス奏者のBendik Giske(M1 "Abandon"で参加)、バイオリニストのJames Underwood、チェリストのLucy Railton、そしてボーカル参加のCoby Sey(M5 "Bellevile"で参加。一瞬!)の貢献は大きく、この幻夢と現実を行き来するサウンドを作り上げるのに一役も二役もかっている。一方でそれらをまとめ上げるLaurel Haloはやはりさすがと言うべきで、アルバムアートワークと同じように水彩画のように滲んだサウンド処理がなんともまぁ美しい。
さらに、昔学んでいたというピアノとの再会が何よりも大きな役割を果たしていると感じる。Eric Satieの家具音楽や坂本龍一の作品のようなポロンポロンとしたピアノの音色は環境音楽的にも聴こえるし、現実に引き戻すような実物的な役割を果たしているようにも聴こえる。そして、音の響き方がかなり独特。その他の音と同じように、ぼやけて滲んで聴こえるが、なんというか粘性の高い水分が紙の上でゆっくりゆっくり広がっていくような、そんな抜け感の悪さを感じ、それが逆にこのアルバムを唯一無二にしている。
最初に聴いた瞬間にこれはすごいアルバムかも・・・と思ったが、聴けば聴くほどその奥深さにハマっていくし、好きになっていく。これは時の洗練を耐え抜き、長きにわたって聴かれ続けるアルバムだと思う。現時点で彼女のベストですね。
まー私の拙い感想文よりTURNの以下の記事はオススメです。
というわけでLaurel Halo祭はとりあえずここまで。
個人的なお気に入り順としては以下の通り。
Atlas
Raw Silk Uncut Wood
DJ Kicks
Dust
Possessed
Chance of Rain
Quarantine
In Situ
ただ、下の方にしたアルバムも当然のように粒揃い(10点満点中8点は固い)なので、未聴の人はぜひ。
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