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留置所日記


7月22日、午前1時頃

ステンレスの机が真ん中にあり、大人二人がそれを囲めばいっぱいになるような灰色の狭い取調室で担当刑事とチープなワープロを目の前にその日あった事やそこに至るまでのあらゆる事を何度も話した。
余りにも同じ話ばかりさせられるので何かの時間稼ぎでもしているのかと思った。

途中、狭い部屋の空気に気分が悪くなり外の空気を吸いに出ることになった。
真っ暗な夏空は生ぬるくて親近感のある優しい空に思えた。
この時、朝には身柄を解放され、また一人きりの愛すべき怠惰と虚栄の生活が始まるだけだ。と思っていた。

そうこうしている内に朝になり別の刑事がやって来たと思うとすぐに逮捕状が読み上げられ真っ黒い手錠をかけられた。
青い丈夫そうなロープが通されガッチリと座っていたパイプ椅子に体を固定された。
映画で見るやつだ。と感心しながら、本物の手錠の堅実な硬さと手首にかかる重さが事の重大さを否が応でも実感させて来るようだった。
被害届を出された。
当たり前と言えば当たり前であるがその時はまさか逮捕されるとは夢にも思わず、この姿を相手が望んだというショックを受け止められずしばらく泣いた。

それから罪状についての取り調べが始まり、指紋を取り、DNAを採取し、書類作成の長い時間を経て、留置所に向かう時には午後の3時を過ぎていた。
この時コッペパン一つと小さなコロッケ一つを昼食として出された。
最低な気分で食欲がなかったが頭がクラクラと回らなかったのでカロリー接種の為にコロッケを一口食べてみると、前日に同居人と囲んだ手製の食事との落差があまりに凄まじく、静かに見張りを続ける刑事を目の前に恥の上塗りみたいにまたひとしきり泣いた。

取り調べを受けた警察署から一つ隣の町の警察署に移送されることになった。
留置所が定員オーバーでそのような措置を取られた。

隣の警察署に到着し護送車を降りると外は蒸し暑い空気が停滞して空はオレンジ色の黄昏時であった。
裏口から暗い階段を上がると古い病院のようなツルツルとした床と薄く黄ばんだ白い壁に囲まれた廊下に出た。
診察室のような部屋に通され、身体検査、持ち物検査をした。
警察署の取り調べの時から嫌というほどやらされていた上、丸24時間以上一睡もしていない頭で確認させられるのには心底うんざりした。
レシートの束など捨ててくれと言っても一枚一枚丁寧に数えて確認させられるのだった。
その後ボロいスウェットに着替えさせられ、施設内のルールを軽く説明された後、牢屋に通された。
奥に長い長方形で、元は白かったであろうこれまた薄く黄ばんだ頑丈な壁に囲まれた牢屋の奥には先輩に当たる中年の男性が一人座って読書をしていた。

ここではトラブルを防ぐ為に呼び名は皆それぞれ与えられた番号を使う。
その男性は『1番』と呼ばれていた。
僕の呼び名は『17番』だった。
みな僕のことを17番と呼び、僕は17番と名乗る事になっていた。
ちなみに留置所に在中する警察官は『担当さん』と呼ばれていた。

担当さんは僕を牢屋に入れる時に
『何かあったら先輩が教えてくれるから。な!』と言い、奥に顔を向けた。
すると座っていた1番さんはゆっくりと本から顔を上げこちらを向いて小さく頷いた。
髭の生えた中年の落ち着いた風貌に初めて来た犯罪者の巣窟にビビり倒していた僕は上手く声が出ず掠れたまま『よろしくお願いします。』と言った。

この時、ウグイス色の踏みしめられたパンチカーペットに座り込んでようやく足を伸ばすことができた。
腹の底からため息が漏れて、先行きの見えない不安と自分のした事の正体の片鱗に恐怖し、そこから動けなくなった。

それを見ていた1番さんは静かに口を開きトイレの説明を始めてくれた。
トイレは長方形の部屋の奥にあり、天井まで地続きの壁とバネ式のドアで囲まれた和式の水洗便所で、壁とドアには大きなアクリルの窓がついていた。
大も小も座ってする事、大の時は水を流しながらする事などを教えてくれた。
そして水を飲みたい時やチリ紙をもらう時の担当さんの呼び方など、この部屋で生活する上で必要な事をざっくりと話してくれた。

夕食まで少し時間があったので、1番さんの指導の元、担当さんを呼びつけて本を借りる事にした。
一枚の紙を渡され、そこにはだいたい200種類くらいの本の題名が書かれてあり、一日に、一人3冊まで借りる事ができた。
見た事のあるタイトルもいくつかあったのだが選べなかったので1番さんに選んでもらった。
さっそく手に取りパラパラとめくってみたが、活字などとてもじゃないが頭に入って来なかった。
落ちる所まで落ちてしまった事実と、幸福だった昨日までの日常が浮かんでは混ざり合い、マーブル状に視界を歪め続けていた。
一行読んでは苦しくなり空中を見つめてはまた泣きたくなった。

気を紛らわせる為に1番さんに勾留期間やその後について質問してみた。
1番さんは嫌な顔をせず、勾留が最低でも20日になる事が多い事、その後起訴されるかされないかでもっと長引く可能性があること、そして自身が5度目の逮捕でここにはもう1ヶ月以上勾留されている事などを話してくれた。
『えー、1ヶ月もいるんですか!』
と半べそをかきながら驚いたように返事をしていたが、20日は居ることになるだろう、という言葉に衝撃を受けすぎてリアクションを取るのが辛かった。
しかも、その衝撃の事実に驚愕していた間に経過した時間は本をめくっていた時間も含めて僅か15分足らずであった。
時計の長い針は最後に確認した所から丸い円を4分の1しか動いていなかった。
これから無限の自問自答の時間が自由を根こそぎ奪われたこの体の上に横たわっている事を示していた。

さらに予定していた全てのライブ出られない事に気づいた。
1番さんに自分がシンガーソングライターである事、ライブが控えている事を話すと、
1番さんは笑いながら、先月まで同じように大きなイベントを飛ばすハメになって泣きながら出て行った25歳のダンサーが居た事を話してくれた。
全く笑えなかったが、1番さんがあくまで軽い事のように話している事に少し救われた。

夕食は17時きっちりに白い鉄格子の膝の下あたりのステンレスの開閉式の扉がついた小さな窓から担当さんがゴザを差し込んで開始された。
1番さんはおもむろに立ち上がりそのゴザを目の前で半分だけ広げて敷いた。
それを挟んで向かい側に座るように指示されて大人しく座っていると小窓から白いポリエチレンの弁当パックが2段重ねて入れられた。
1番さんがワンセットを手に取り僕の前に置いた時それが自分の分だと分かった。
次に水色のプラスチックの茶碗に熱い番茶が注がれて入れられた。
夕食は白飯と簡素なおかずと番茶だった。
おかずのパックにはコロッケ、ミートボール、粉ばかりの小さなお好み焼きのような物、無色のパスタ、しば漬けが入っていた。
そして一部屋に一つずつ小さな容器に入れられたソースと醤油が配られた。
それをドボドボとなんにでも回しかけて食べた。
一人暮らしの時であれば何の文句もつけられないラインナップでソース味と醤油味で白飯が進めば上等。と思えなくもなかったが、ここ最近の自分や同居人と共にしてきた食事とは味も彩も天と地ほどの差があり、その食事の時間が自分にとってどれほど幸福であったか思い出すにはこれ以上なく質素で味気なく、箸が進まずにまたしとしとと泣いた。
1番さんは何も言わずに黙々と食事を続けた。

食事を終えると借りた本を少しずつ読もうとしてみたり、1番さんと軽く体操をしたりしながら話をしたりした。
気持ちが軽くなる瞬間もあった気がしたが、すぐに絶望に引き落とされるというのを繰り返した。
何度もため息をつく新人に1番さんがうんざりするのではないかと思い申し訳ないと思ったが、1番さんは『みんな最初はそうだよ。』と言ってくれた。

20時になると本が回収され30分空白の時間を過ごした後、20時30分、自分の布団を取りに行き、そして部屋毎に洗面をした。
安物の歯ブラシと薄い歯磨き粉、コップ、石鹸、タオルが1セットずつ貸し出される。
小学校の廊下に設置されているような横長のステンレスの手洗い場に3人ずつ並んで無言で歯を磨いた。
最大4人収容の牢屋が4つあって、それぞれに2名から3名の勾留者がいた。
全員が手錠の重みを知る人間でその中に自分が含まれている事がひたすら忌々しく、鏡に映る自分の顔面がおぞましかった。

コンタクト液を880円で購入した。
使えるのは持っていた現金のみだった。
コンタクトを取ると何もかもがボヤけて時計も見えなくなり不安が体中いっぱいに広がって死にたくなった。

消灯は21時
消灯とは名ばかりで正しくは減灯と呼ぶべきものであった。
4つある蛍光灯の内一つはついたままで
鉄格子の外の廊下も同じような数だけ明かりがついたままだったので本も読めそうなほど明るかった。
何かの防止の為毛布を頭まで被るのは禁止されていた。
連行される前からゆうに24時間以上起きていたにもかかわらずやはり眠れなかった。
やけに幅の狭い布団の上で粗末なカーペットのような橙色の毛布にくるまって長い夜を過ごしている間、ここが地獄でないなら本物の地獄とはどんなに恐ろしい所か。考えるのも嫌だったが、思考は止まらなかった。

あらゆる人に泣きついて助けて欲しい。と心の中で叫んだ。
都合の良いシーンを想像しては目の前の薄汚れた壁に映って悍ましい卑劣な自分の顔になって跳ね返ってきた。
それは波のように続いて息をするのも苦しくなり首を括りたい衝動に駆られた。
ここでは沢山の人が同じような気持ちになるのだろうか。紐状の物は所持できない事になっていた。

自分が軽薄な考えで生きた報いが来ているだけだ。
この苦しみ以上の苦しみを同じ時間他人に与えたのだ。と言い聞かせた。
だが次の瞬間には自由を謳歌した外の日常が浮かび上がってきて視界はまたマーブル状に歪んでいった。

これが罪に対する罰の始まりなのだ。
と頭で理解しようとしながらその頭を今すぐにノコギリで切り取って殺して欲しい。と考えてしまう自分の弱さに辟易しながら気づいたら少し眠っていた。
目覚めて目を凝らして時計を睨みつけると、かすかに見えた針は23時を示していた。
眠りに落ちたにもかかわらず意識を失ってから1時間と経っていない事に驚き、思わず『うそやん。』と呟いた。
心がまた折れる音がした。

戻らない物を求めて絶望するのは僕の悪癖の一つであった。
考えた所であと20日は出られない。
帰る家も安心して眠れる場所ももう無い。
人も居場所も信用も全て無くしたと思った。

何より外に出た所でもうそこにこの身を蝕む愛憎の対象に成り下がった親愛なる同居人の姿は無いだろう。
それが果てしなく許しがたく、持て余して絶望を呼んでくるのだった。
つきっぱなしの空調の音と時々パトカーのサイレンが鳴り響くだけの部屋で暗黒の時間は再び意識を失くしたであろう午前2時まで永遠に続くようだった。

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