なぜうちのおかんはお好み焼きをフォークとナイフで食べていたのか、聞いてみた
私は奈良で生まれ、20代後半まで奈良で過ごした「関西人」です。
私の両親も奈良で生まれ、いまも奈良に住む「関西人」です。
父方母方それぞれの祖父母も、奈良で生まれ、奈良で一生を終えたようです。
そんな、「関西人魂」がしっかりと根付いているはずのわが家では、お好み焼きをフォークとナイフで食べていました。
うちは、決してお金持ちではありません。
「しつけ」なんかも、ほとんどありませんでした。
ただ、お好み焼きが出てくるときは必ず、「おはし」ではなく「フォークとナイフ」が置いてあったのです。
うちのおかんが、いつもそうしていたのです。
気づき。そして・・・封印
お好み焼きにフォークとナイフを出すうちのおかんに私が違和感を覚え始めたのは、高校生のとき。
友だちにお好み焼き屋に誘われ、はじめて外でお好み焼きを食べたのです。
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おぉぉーーー!!! 『じゃりン子チエ』*みたい!
(*関西ローカルの超名作アニメ)
うちではフライパンで焼いてるけど、お店ではやっぱりこういう鉄板で焼くんや。
え? マヨネーズつけんの??
ふーーーん。なかなかおいしいかも。
そういえば「コテ」ってはじめて使う。
でもなんか食べにくい・・・
あ、おはしも置いてくれてるんや。助かる。
あれ? なんでうちではお好み焼き、
フォークとナイフで食べるんや???
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時は流れ、私の兄は夢を求めて実家を離れ、私の妹は結婚して実家を離れ、最後に私も、外の世界を求めて実家を離れました。
ある年、実家に帰ったときのことです。
妹夫婦も実家に来て、みんなでごはんを食べることになりました。
このとき、おかんはみんなにお好み焼きをつくってくれました。
そこには昔のように、「フォークとナイフ」が置いてありました。
「おはし」はありません。
このときはじめて、家族メンバーのあいだに、なにかとても張りつめた空気が漂いました。
なかでも妹のダンナから発せられる空気には、この状況に慣れ親しんでいたはずの私たちをとりわけ緊張させるものがありました。
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あ、、、なんかみんな、気づいてるっぽい。
妹のダンナ、絶対思ってる。
でもなんも言わん。私もなんも言えん。
「なんも言えん」と思ったらますます「なんも言えん」ようになってくる・・・
あかん、みんな「なんも言えん」ようになってる!!!
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その後の記憶は残っていませんが、あの空気だけは、静かななかでみんなのフォークとナイフがお皿にカチャカチャと当たる音とともに、私の脳ミソのシワの深いところに刻み込まれています。
この「なぜ?」について、はじめて外でお好み焼きを食べたあの日から30年以上経ついままで、私からおかんにたずねたことは、一度もありません。
私には、それをおかんにたずねる勇気がなかったのです。
たぶん、私以外の家族も、それをおかんにたずねたことはないと思います。
それでもおかんは関西人
「お好み焼き」には「フォークとナイフ」をつけるうちのおかんですが、「焼きそば」にはいつも「ごはんとおみそ汁」をつけてきます。
この点ではまちがいなく関西人です。
うちのおかんは決してにぎやかなタイプではなく、わりとクールな雰囲気を漂わせているのですが、なかなか味わい深いおもしろさを感じさせるところがあります。
たとえば――
■おかんエピソード①:「ひざゾワゾワ」遊び
私が大学生くらいだったころのある日。
自宅の居間でおかんと妹と私の3人でなんともなしに話をしていたとき、私が持っていたハサミの刃先が、偶然おかんのひざのあたりに近づきました。
するとおかんが、
「いっやぁぁぁ、なんやこれ、
あんたらもちょっとやってみ?」
と言ってそのハサミを手に取り、刃先を私と妹のひざに代わる代わるそっと近づけたのです。
私と妹も、
「うっわっ、めっちゃゾワゾワする~~~!」
たぶん1分くらい、3人で遊びました。
■おかんエピソード②:「注ぎ」事件
こちらは私が高校生くらいだったある日。
家で夕ごはんを食べていたときのことです。
何かのきっかけで妹に腹が立った私は、妹のお茶碗(ごはん入り)を「カパッ」とひっくり返しました。
当然妹は「なにすんのよーーーっ!!!」と大声をあげました。
私は「知るか!お前が悪いんじゃ!」と思って知らん顔をしていると、頭に生ぬるいものが落ちてきました。
おかんが無言で、急須のお茶を私の頭に注いでいたのです・・・
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そんなおかんなので、なにか人とは違うおかしなところがあったとしても、こちらが「それなんかおかしいんちゃうん~」と軽く笑いとばせば、大きく傷つけるようなことにはならないと思います。
でもあのときの私には、それができなかったのです。
完全にタイミングを逃してしまいました。
いえ、「笑いとばす」など誰もできないような、なにかとても根深い、家族であっても立ち入ってはいけないような神聖な領域が、おかんのなかにあるような気がしたのです。
だからこそ、これまでその部分に触れたことは、一切なかったのです。
いまが「そのとき」かも
2022年6月のある日。
それまで積極的に見たことはなかった『note』の存在が気になり、サイトを見てみたら、『やってみた大賞』という文字が目に飛び込んできました。
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そんなこともしてるんや。
私やったらなにやってみたいかなぁ・・・
そういえば、おかんのあの「なぞ」。
お好み焼き見るたんびに思い出す。
私はこれから先もずっと、お好み焼きを見てはいつもあのときの空気を思い出して、なんとも言えんモヤモヤした気持ちになるんやろか・・・
おかんももう80代。
実家にもしばらく帰ってないし、この機会にちょっと帰って、聞いてみる? そして書いてみる?
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ということで、今回に至りました。
どうやって聞き出す?
さて、どう切り出せばよいものか。
「お好み焼き食べたい」とか言ってつくってもらうか?
いやいや、出戻って実家にいる妹がつくることになったらたぶんフォークとナイフは出てこん。
待てよ、それでもお好み焼きが目の前にあったら話題にしやすいか?
でももし、万が一、おかんのなかのデリケートな部分に踏み込むようなことになったら、ごはんの場が再びエライことになってしまう・・・
あかんあかん!そんなことになったらそれこそ、この「なぞ」はもう永遠に闇のなか・・・
痛いところに貼ったバンソウコウは、ゆっくりよりも一気に剥がしたほうが痛くない、というようなことをよく言いますが、結局は「痛い」んですよね。
私自身大人になり、それなりの痛みを経験してきた者として、家族とはいえ他人の痛いところを無理にほじくり返すようなことはしたくありません。
できるだけ「サラッ」と投げかけて、おかんにも「スルッ」と答えてもらえたら理想的。
そういえば、昔はこんな感じでした――
私の「なぜ?」をいつもサラッと流してきたおかん
私は小さいころ、なにかといえばおかんに、「これってなんで?」「どういうこと?」と疑問を投げかけていました。
たとえば、どこかで「サンドイッチはサンドイッチ伯爵が考えた」ということを知った私は、すぐさまおかんに、
「スパゲッティはスパゲッティさんが考えたん?
テレビはテレビさんが考えたん?」
とたずねました。
そういうとき、当時のおかんは決まってこう返すのでした。
「そんなん知ってたら、いまごろ学者になってるわ」
おかんはいつも「どこ吹く風」という感じで私の疑問をサラッと流して、何事もなかったように家事に戻るのです。
私も本気で知りたかったわけでもなかったりしたので、そういうおかんの態度をすんなり受け入れていました。
ところが一度だけ、私の質問に、おかんが珍しく口ごもったことがあったのです。
おかんの異変
私は3才からしばらくの間、近所の個人教室でピアノを習っていたのですが、小学校に上がる前くらいのあるとき、おかんから、「ピアノの先生が教室をやめることになったから別のところを探す」と告げられ、教室を移ったことがあります。
それから30年ほど経ったあるとき。
実家に帰り、すっかり様変わりした近所を久々に自転車で走っていると、見覚えのある看板が目に留まりました。
おかんから「なくなった」と聞いていたあのピアノ教室の看板が、昔と同じところにあったのです。しかも古びた感じでなく。
私:「おかんさー、〇〇先生教室やめはったって言うてたやん? なんかまだあそこに看板あってんけど、やめてはらんかったん?」
おかん:「え、、そうか、、?? ん、、なんか、、一回どっか行くとか言うてはったかな? へ?」
このときのおかんは、明らかにうろたえていました。
いつものように、「へー。また始めはったんかな」くらいのあっさりした答えで十分なのに。
実はこれには思い当たる背景があります。
そのピアノ教室で私は、ちょっとした事件を起こしたことがあったのです。
まさかとは思いつつ、たずねてみました。
私:「ひょっとして、私が素行悪かったからやめさせられたとかやったんちゃう?」
おかん:「ん、、? そうか? え??」
私から「ピアノひきたい」と言って通わせてもらった教室でしたが、当時の主流は基礎からしっかり練習を重ねること。
幼い私にとって、それはまったくおもしろくありませんでした。
そしてある日、隣に座って一生懸命教えてくれている先生の目の前で、私は鍵盤の上に両足をダーン!と投げ出したのです。
先生はものすごい剣幕で叫んでいました。
それでも私はふてくされた態度を続け、たぶん謝りもしなかったと思います。
(ひょっとするとおかんは、私を傷つけまいとウソをついたのか?
当時はまだしも、もうすっかりいい大人になったというのに、まだ私を傷つけないようにと考えてくれているのか・・・?)
真相は結局わからないままですが、おかんがいつもと違ったことだけは確かです。
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今回、「おかんはなぜお好み焼きをフォークとナイフで食べていたのか?」という30年来の疑問を投げかけるにあたり、私は、おかんに負けないくらいサラッと入り込まないといけない気がします。
そして、いかなる反応が返ってきても動じず、それでいて軽く受け止め、たとえそこに明確な答えがなかったとしても、それ以上は掘り下げないことにしたい。
おかんの名誉のために。
いざ、実家に帰って聞いてみた
7月のある日、いま住んでいる仙台から奈良の実家に帰りました。
約1年ぶりに会ったおかんは、予想以上に体力が落ちている様子で、あまり元気がありませんでした。
(おかん、えらい元気ないな。今回はこんな変なこと聞くのやめとこう。)
ところが、なんだかんだテレビを見たり話をしたりしているうちに、おかんの声にハリが出てきて、いつもの調子に戻ってきたようです。
(あ、いまやったら大丈夫かも・・・)
そう思い、ついに聞いてみました。
私:「そういえばおかんさぁ、うち昔、お好み焼きフォークとナイフで食べてたやん? あれなんで?」
おかん:「・・・・・・」
沈黙が5秒ほど続きました。
(あかん、これはあかんパターンや!)
私:「いやいや、別にどーでもええねんけどさ。ちょっと思い出して言うてみただけ」
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このときのおかんの心の中は、私には読めませんでした。
突拍子もないことだったから単にびっくりしただけなのか?
でもそれならそれで、「なにいきなり変なこと聞くん」とか、なにかしらの言葉が出てきてもよさそうなのに、おかんは完全に固まってしまったのです。
これは予想外でした。
というか、いちばんあってほしくない反応でした・・・
(ごめん!おかん! こんなこと、ほんまにどーでもええことやねん!)
おかんよ、永遠に
(あぁぁ、、、私はなんてバカなんだ、、、)
そんな自己嫌悪感に襲われていたとき、おかんのスマホにお友だちからメッセージが入りました。
「今晩の中居くんの番組にきよしくん出るんやて。見なあかんわ。」
おかんは、氷川きよしくんの大ファンです。
関西できよしくんの公演があるときは、お友だちと一緒にほぼ毎回行っているようです。
この翌日も、大阪の新歌舞伎座での舞台を観に行くとのこと。
もはや、おかんの頭の中は「きよしくん」一色。
私のバカな質問は、きよしくんが見事に吹き飛ばしてくれました。
(きよしくん、ありがとう!!!)
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翌朝。
出かける準備をしているおかんが、ちょっと浮かれた様子で私に言いました。
「こんなん持っていくねん。」
先っぽが星の形をしたペンライトをチカチカさせて見せてくれました。
愛すべきおかん。
あなたはこれからもずっと、そのままでいてください。
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