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小説 『クリシェ』


一部分より

■13:39

「先生、俺もう長くないらしいよ」

病室中を生温い風が撫でる。
それが嫌な現実味となって僕の喉を掠めた。
それで、分からないから分かろうとしたかった。

「…でも今生きてるっ」

辛うじて発した掠れた声が、目の前の彼にに届かずに溶けて小さく消えていく。
そっか、とかこれからどうやって生きたい?とか僕には“教師としてかけるべき言葉”がたくさんある。
探している、分かりたいから。
本当に最期まで寄り添いたいと思ってる。
でも僕は、数時間先のことも分からない。
貴方にとって何がふさわしいか分からない。
風はやっぱり笑う。
ぴ、ぴ、ぴ、と鳴る音に不安になる。
世界は、人は、こんなにも弱い。
何となく、僕達なら大丈夫なんて思ってた。
なんでかな。

「先生、でももういいよ。十分なくらい」

彼は僕の荒くなった呼吸を鎮めようと背を撫でる。その声に鋭い優しさと名残惜しさが詰まっている。
僕が1番愛している。僕が隣にいたい。生涯隣にいて欲しい。そんな奇跡みたいな恋の願いも、命の限界を前にどうにもならない。

「……なんでも言って」

口からこぼれた不甲斐ない言葉に、僕自身にムカつく。なにか、もっと何かあるはずだ。

「じゃあ式、挙げようよ。ここで」

「……………」

それが、結婚式なんてことはすぐ分かる。でも、うんと言えない。僕を遺す前に僕と君を繋ぐなんて酷い行為で、我儘だ。

「先生、ごめん」

僕は顔をあげられなかった。まだ落ち着かない呼吸音と、電子音。
この空間に居ると現実を突きつけてくる細く尖った針みたいなものが喉に当たる様な感覚になる。

「…挙げたい、ね。でもウエデングドレス?は僕じゃ似合わないと思うけどさちっさくても挙げたいね」

僕は安心させるための言葉を並べるなり、お見舞い品-彼が好きな音楽系統の雑誌やクラスの子から聞き出した好きだった漫画の新刊、それから宿題と手紙の入った重たい箱型のファイル-をベッドの横の机に置いて病室を出た。

「せんせ、ありがと」

後ろからかすかに聞こえるその声が僕を猛烈に掻き乱す。死ぬ前に思い出をくれてありがとう、そんな意味が込められている気がして僕は喉に上る嫌な吐き気を感じ、革靴の煩い足音を気にせず廊下を走った。
助けて欲しくてたまらなかった。

誰に?
どうやって?

生まれたことを幾度となく悔やんできた人生だった。命は平等に軽い。死ぬことも、殺されることも、生きることも怖くて全てが嫌で、だからもうどうでもよかった。
そう思いながら教員をしていた。
煌めきのある瞳を、何度も見下してきた。

誰よりも煌めいている彼に、僕は馬鹿みたいに縋った。余命宣告を聞いて意味もなく責めた。

私 僕は辛い、こんなにも辛い。遺されるんだって思ってる。

なのに、普通の顔をして普通に嬉しそうにする彼がどんなものを今考えて背負っているかきっと僕には1%も理解出来ることはないだろう。

僕は...。

僕がずるい。

自分の不幸さに酔っている。
僕は助けて欲しくて過呼吸になりそうなあの瞬間我慢をしようとしなかった。
誰よりも助けて欲しいであろう貴方に縋った。
助けて、欲しい。
僕の寿命全て渡したっていいから助けて欲しい。

生きたい彼を、僕は…。

僕には



僕は、何も無い。


+

 



"「じゃあ式挙げようよ。ここで」"

「うん。」って言えなかったな。



■深夜




パソコンの白い光が目の奥の疲れを捻じるように傷つける。
僕は銀行の残高を確認してからおもちゃ紛いのヴェールをカートに入れて、去年結婚した友達にメールをした。

|結婚式挙げたくて、話したい!詳細はまだ言えないから式の流れとか____|

初めは全て話そうとしたけど、長文を送り付けるのは気が引けるし、何より怖くて当たり障りの無い文章にした。

「…てかこんな話出来るわけない」

死ぬために挙式するとか、前代未聞だよ…って言うかな。そんなもんじゃないだろうな。
幸せになれるの?それで…
とか言いそう。
まず、生徒と教師で男同士って何って引かれるかな。



「うわ」



頭が重たい。
何も考えずにベッドに潜る。

「結婚式を挙げる…」

あと何が必要だろう。病院という限られた空間でどこまでするんだろう。そういうことに無知な頭なくせにぼーっと考え続けて寝落ちようとした。

「誓の…」

僕は、確かに冷静さを欠いていた。

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