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人を信じるって、どうやって信じたらいいんですか?

学校図書館にて。
本を読んでいる僕のところに、一人の生徒がやってきました。

「ねぇ、優、先生。

人を信じるって、どうやって信じたらいいんですか?」

人のことを信じられなくて、人のことを信じたくて。いや、もしかしたらこの子は、人から信じてもらいたいのかもしれません。

人に自分のことを信じてもらえて初めて人のことを信じることができる。人から信じてもらえている、と感じられないから、人のことを信じることができない。そう思っているのかもしれません。

自分から信じる?他人から信じてもらうのを待つ?

僕は、本当の意味で他人を「信じる」ためには、自分のことを信じられなければならないと思っています。でも、「自分のことを信じる」って、「他人のことを信じる」よりも難しい気がします。「自分のことを信じる」ためには、他人から信じてもらえることが必要で、相手に自分のことを信じてもらえることで、自分のことを認めることができる。
そう考えると、矛盾しているように感じます。

相手のことを信じるためには、自分のことを信じることが必要。
自分のことを信じるためには、相手から信じてもらえることが必要。
じゃあ相手から信じてもらうためには…?

相手から信じてもらえるのを待つ?
信じてくれる人が現れるのを待つ?


結局、「まずは信じてみること」。

自分のことを信じることができなくてもいい。まずは相手のことを信じてみる。それが、今自分にできることです。

まずは、自分から、信じてみる。

「他人を信じることは、自分を信じること」だと思います。

信じることで、いつしか相手から信じてもらえる時が来ます。そして、自分のことを信じられる時が来ます。その時、本当の意味で「信じる」ことができるようになるのだと思います。

でも、結局、どうやって信じればいいのか。

「なんとなく」でいい

と、僕は思います。

この人、なんとなく良さそうだな、って人に寄りかかってみるんです。「好き」って気持ちに正直になればいいと思います。

僕に質問をしてきた生徒も、僕のことを信じてくれていたのだと思います。本人に「優、先生のことを信じている」という意識がなかったとしても、少なくとも「優、先生にはこういう相談をしても大丈夫」とは思ってくれていたということ。僕はそれで「自分のことを信じてくれているんだ」と感じられました。嬉しかった。

これでいいと思います。
こうして、「なんとなく」気が許せる人に、自分の思いを話してみる。話さなくても、その人の近くに寄ってみる。

これが、信じるってことなんじゃないでしょうか。

なんとなくでいい。
まずは、自分から信じてみることです。


「信じること」について、君ならどう考える?


参考文献
・岸見一郎,古賀史健著(2013)『嫌われる勇気』ダイヤモンド社
・岸見一郎,古賀史健著(2016)『幸せになる勇気』ダイヤモンド社
・エーリッヒ・フロム著,鈴木晶訳(2020)『愛するということ』紀伊國屋書店

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