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かりやど〔拾四〕

 
 
 
『 も う も ど れ な い 』
 
 

 
 
自分が大切に思うものを
大切にしてもらえないつらさを
 
どうすれば
わかってもらえるのだろう
 
 

 
 

 堀内の葬儀の日。
 参列した翠(すい)と朗(ろう)は、僅かな時間ではあったが、副島(そえじま)と話す機会を得た。
 
 副島の傍には小半(おながら)が控えていたが、当然、どちらも先日の件には触れない。瞬きひとつにさえ表さない。翠はもちろんのこと、小半と言う男も、あれほどに激しい一面を見せながらも、やはりと言おうか、業務に於いては徹底的に己を殺すことが出来るらしい。
「夏川くんも今回の件は驚いただろう」
「はい。先日、ご紹介戴いたばかりでしたのに、まさかこんなことに……」
 今後の堀内建設の運営に関しては、副社長が社長に就任して賄うことになったと言う。しかし、そうなっても今まで通り副島サイドの後援を行なえるのか、までははっきりしていない。
「とうとう堀内までが……」
 副島が、さすがに気落ちした風に呟いた。自分の後援だった『四天王』が一人残らずいなくなってしまったことを考えれば、当然と言えば当然ではあるが。
「夏川くん」
「はい」
「今度、きみとじっくり話してみたいのだがね」
 思わぬ申し出だった。しかも、秘書を通さずに直接である。翠より小半の方が一瞬早く反応したのも無理からぬことだが、その反応が何を示すものであったのかまでは判断が付かない。
「小半。私の予定、直近で空いてるのはいつだったかな?」
 そして、何より副島の行動は早かった。
「……明日の昼でしたら……」
 小半の返事に頷き、翠の方を向く。
「どうかね?」
 なるほど、副島の動きは小半と似ているところがある、と翠は気づいた。いや、正確には小半が副島に似ているのであろう。相手の思惑が固まらないうちに、自分の型に流し込んでしまうようなやり方が。
「はい」
 ならば、その型に入ってみるか──翠は賭けに出てみる。返事を聞いて頷いた副島は、今度は朗の方に目を向けた。
「新堂くん、と言ったかね?その場には、ぜひ、きみにも同席してもらいたいのだが」
 一瞬、驚いたものの、朗はすぐに思考を立て直した。
「はい。承知致しました」
 副島が頷く。
「場所と時間は今日中に小半から連絡させる」
 そう言うと、小半を伴って去って行った。翠と朗も引き上げることにし、副島の話とやらについて考察する。
 
「……何だと思う?……金銭?……そのくらいしか思い浮かばないけど」
「金銭面のことなら、改めてじっくりと言うこともない気がします。そもそも、こちらは初めからその面で押した訳ですから……それとも莫大な金額を要求してくるとか?」
「……四天王不在の現状を打破するため、って言うなら……私みたいに新参の小娘よりも余程適任がいる……よね」
 結論を出せないまま考え込むふたりの空間を、携帯電話の音が貫いた。
「私の?……ああ、小半からか……」
 サイドボードに置いた携帯電話に向かう。
「夏川です。……昼間はありがとうございました。……はい……はい……12時半に……ええ、わかりました。はい、新堂には私の方から……では明日……」
 通話を切ると、電話はそのまま元の場所に置いた。翠にとっては定位置なのだ。
「12時半に赤坂だって」
「ぼくにまで同席しろとは……一体、何なんでしょうね」
「……まあ、明日になればわかる、か……」
 ソファに沈みながら呟いたのを最後に、翠の言葉は途切れた。
 呼吸の音が変わったことに気づき、朗が顔を見ると眠っている。やれやれ、とベッドに運ぶと、いつもの如く、寝惚けながらも朗を拘束している手。
 諦めた朗は溜め息をつき、そのまま一緒に眠りに落ちた。
 

 
 翌日の昼、ふたりは副島から指定された赤坂の店へと向かった。
 名を告げると、副島たちはまだ到着していないと言う。先に個室に通され、15分ほど経った頃に声が掛かった。
「失礼致します。副島様がお着きになられました」
 静かに開いた襖の向こうに、副島と小半の姿が現れる。
「待たせてしまったようですまないね」
「いえ、先ほど着いたばかりですので……」
「遅れておいて何だが、堅苦しい事はなしにして、とりあえず食事でもしながら……」
 そう言って副島が手を叩くと、仲居たちが膳を捧げて入って来た。予め用意し、既に室外で控えていたらしい。
 『じっくり話したい』と言っておきながら、『堅苦しい事はなし』と言う副島に、翠と朗は顔を見合わせた。
「さあ、遠慮せずに……小半、きみも一緒に席に着きなさい」
 後ろに控えていた小半が、小さく会釈して膳に寄る。翠たちも様子を窺いながら手を合わせた。
「……小半から聞いたのだが……きみたちはビジネス上でのみのパートナーであると。いつ頃からの付き合いなのかね?」
「三年程になります。駆け出しだった私に良くアドバイスをしてくれていて……結局、サポートしてくれる形で現在に至ります」
 慣れた作り話の体裁であり、翠はスラスラと説明する。
「その間、気持ちが変化することはなかったのかね?」
「……気持ちの変化……とは?」
 翠も朗も質問の意味が捉えられず、お互いの顔を見合いながら聞き返した。
「互いを異性として見るようにはならなかったのか、と言う意味だ」
 ふたりの動きが止まる。同時に、見合わせた顔に驚きと困惑が過った。だが翠は、すぐに口元に笑みを戻す。
「……今までのところはございません。でも、これから先のことはわかりません。何事にも確実と言うことはありませんので」
 セリフとは裏腹の自信ありげな表情。小半が翠の顔に、チラリと視線を送ったことに朗は気づいた。
「……ふむ。確かに、それはそうだ。では、もうひとつ訊くが、今、他に意中の相手はいるかね?」
(……何故、そんなことを訊く……?)
 翠も、そして朗も同時に訝しむ。どうにも副島の意図が読み切れない。──が、
「……それは、ご想像にお任せします」
 間を置かず、今度は朗が答えた。
「……ふむ」
 副島は短く答え、再び箸を動かし始めた。上目遣いでその様子を窺いながら、翠と朗も箸を動かす。そして、その間、小半は無言のままであった。
 副島は方向転換をしたように、その後も特にこれと言った話題を出さなかった。つまり、他愛もない会話に終始したのだ。そのため、質問の意図も、今日の会食の意味合いも、何も見出せないで終わることになった。
「先生、今日はありがとうございました」
 帰り際、翠が挨拶を述べると、副島は頷き「また、近いうちに」と返して去って行った。
 
「……今日の副島のあれ……何だと思う?」
 朗のベッドの上でゴロゴロしながら翠が問う。
「……全くわかりません。ただ、可能性の一端としては、先日の小半の動きと関係あるのかも知れませんね。今後のことを考えて、あなたと小半に関係を持たせてしまえば、と……仲を取り持っておこうとしている、とか……」
 ベッドの七割を占領された朗が、端の方で片肘をつきながら答えた。
「……と言うか、翠……人の部屋に来るなら、ちゃんと服くらい着て来れないんですか?」
 相変わらず、薄いシャツを纏っただけの姿に、呆れた朗が窘める。
「……ん?どうせ寝る時、脱ぐから……」
「……そう言う問題じゃありません!その姿を春さんが見たら嘆きますよ」
 途端に翠はふくれた。シャツのボタンを外すとベッドの下に脱ぎ捨てる。反抗心丸出しで上半身裸になり、俯せになってそっぽを向いた。
(……子どもみたいなことを……!)
 そう思った瞬間、朗は気づく。
 翠は『子ども』と言う年齢ではないが、世間的な『おとな』の年齢になって、まだそれほど経ってはいない。そして『少女』として過ごせたはずの年数、その大半を理不尽に奪われたこと、外見上はおとなの女でも、内面の一部は時が止まったままであることを。
 白く、しなやかな翠の背中を見下ろしながら、だが、朗は心を鬼にして布団を頭まで被せた。
「………………!」
 布団を捲りながら、勢い良く跳ね起きた翠がふくれっ面をする。朗に文句を言うべく、口を開こうとした時──。
「翠……携帯電話が鳴ってます」
「えー?」
 それは確かに翠の携帯電話の着信音だった。『夏川美薗』用の。在宅時はいつも、リビングのサイドボードに置きっぱなしである。
「こんな時間にー?もう、明日でいいよ」
 ほったらかしにする気でいるが、電話の相手は中々諦めようとしない。漸く切れたかと思いきや、再び、鳴り出した。リビングに歩いて行った朗が、携帯電話を持って戻って来る。
「……翠……小半からです」
 相手を確認し、電話を差し出した。翠が表示された名前に目を落とすと、間違いなく小半である。面倒くさそうに溜め息をひとつ。
「……夏川です」
『……夜分に申し訳ありません。実は副島の方から、明日、もう一度あなたとお会いしたい、と言われまして……夕方、お出で戴くことは可能ですか?明日は夏川さんおひとりで大丈夫です』
「……明日の夕方ですか?……はい、わかりました。お伺い致します。……あの……今日の先生の様子といい、何か……」
 翠がそこまで言うと、何やらおかしな間が流れた。朗は黙って様子を見ている。──と。
「……え……!?」
 翠が珍しく驚きの声を上げ、朗が思わず半身を起こした。
「……それは一体どう言う……いえ、そんなはずは……まさか、そんなこと……」
 ただならぬ翠の様子に、身を乗り出して窺う。
「……わかりました」
 そう言って翠は電話を切った。
「……翠……何かあったんですか?小半は何と?」
 電話を握り締めたまま、翠は身動きひとつしない。
「翠?」
 肩に触れながら呼びかけると、無表情で振り返り、携帯電話を枕元に放り投げた。
 覗き込む朗の顔を、硝子玉のような目が見つめ返す。微かに動いた唇に、何か言おうとしたのかと思いきや、いきなり抱きついて来た。
「……ぅわっ……!」
 不意打ちに倒れ込んだ朗の上にのし掛かる。
(……大概、ぼくも学習しない男だな……)
 反省と自己嫌悪に溜め息をつく朗。その胸の上に、耳を押し当てるようにして折り重なった翠が小さな声でひと言。
「……明日、本人に確認してくるよ」
「……本人……副島のことですか?」
 その質問には答えず、朗の胸に頬を擦り寄せた。いつもと違う翠の様子。訝しんだ朗の胸を不安が過る。
 しかしそれも、やがて聞こえて来た、しがみついたままの翠の寝息に掻き消された。
 

 
「今日はここにいないとならないので、傍で待機は出来ませんが……」
「大丈夫。用件はすぐに終わるみたいだから。それより、佐久田さんからも連絡あるかも知れないから、こないだの件だけお願いしておいて」
「わかりました」
 そう言い残し、夕方、翠はひとりで副島の元に向かった。途中まで小半が迎えに来ると言う。
 出て行く後ろ姿を眺めながら、朗は昨夜の翠の様子が気になっていた。
(……小半に何を言われた?……副島の用件とは一体何だ?)
 胸の内の不安は消せないが、そのことに感けて(かまけて)ばかりはいられない。入っていた予定を捌き、今後、役に立ちそうな情報を収集する。もちろん、翠からの予告通りに佐久田からの連絡も入った。
『先日、夏川の所に行かれたそうですね。電話で経費の件を話した時に、嬉しそうに話してました。朗さまも美鳥さまもお元気そうで何よりです。今度、ぜひ私のところにもお顔を見せてください』
「ご無沙汰してしまって申し訳ないです。彼女も佐久田さんに会いたがってましたので、近いうちにお伺いします。……ところで、美鳥の方から連絡を差し上げていたかと思いますが……ええ、そのビルの件です。……はい……それでお願いします」
 電話を切り、時計を見ると7時を回る。そろそろ翠が戻って来るはずの時間であった。今日は会食ではないらしいので、きっと「お腹空いた!」と言いながら戻るだろうと予測する。
 すぐに食べられるよう、食事の用意しておこうとキッチンに立つと、何分も経たないうちに玄関の扉の音が響いた。だが、予測は外れ、翠が黙って入って来る。
「おかえりなさい。副島の用件は何でした?」
 挨拶を返すこともなく、翠はじっと立ったまま一点を見つめた。明らかに様子がおかしい。
「……翠……?」
 朗が肩を掴んで顔を覗き込んだ。
「翠?何があったんです?」
 反応した翠が目を合わせた。が、それもほんの一瞬で、すぐに視線は朗を透かして通り過ぎて行く。
「……シャワー浴びて来る」
 翠がひとり言のように呟いた。肩に置かれた朗の手を除けると、付け毛を毟り取りながらバスルームへと歩いて行く。
(……翠……!?)
 朗の胸に、再び堪らない程の不安が押し寄せる。
 だが結局、翠は食事の間も副島の件についてひと言も触れなかった。朗が話を持ち出そうとしても、心ここに在らずを装おう。食事を終えても、朗が片付けている間に自室に隠ってしまった。
 しばらく時間を置いても、翠が部屋から出て来る気配はなく、痺れを切らせた朗が扉をノックする。
「……翠……?」
 返事はない。が、灯りは点いており、眠ってしまった様子もない。もう一度、ノックして声を掛ける。
「……翠……?……入りますよ?」
 静かに扉を開けると、翠はベッドの上でヘッドボードに凭れて座っていた。朗はベッドに腰掛け、静かに訊ねる。
「……翠……一体、何があったんです?……話してくれますね?」
 だが、一点を見つめたまま返事はない。
「……翠……?」
「…………が……だって…………」
 ようやく聞こえたのは、消え入りそうに微かな声。
「……え……?」
 さすがに聞き取ることが出来ず、疑問形になる。──と。
「……欲しいんだって……」
 意味がわからず、朗の思考がフリーズする。
「……私が欲しいんだってさ……」
 投げやりな物言いは、内容を理解出来る説明には程遠かった。
「……何を言って……?」
 困惑する朗に初めて視線を合わせ──。
「……副島は私のことをお望みらしいよ」
「…………なっ…………!」
 翠は無造作に言い放った。まるで他人事のように。だが、朗は──。
 
 後頭部を鈍器で殴られたような衝撃。あまりのことに声も出せないでいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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