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社内事情〔63〕~独白~告白~

 
 
 
〔式見義信(社長)目線〕
 

 
 こんな日が来なければいい、と考えながら、いつかこの日が来る事が、本当はわかっていたように思う。

 私の見通しの甘さと判断力のなさ、人の心を慮る想像力のなさ、そして何より、アメリカにはそぐわなかったであろう古き日本人的な考え方。

 それら全てが相俟って、結果的に前途ある若者を暴挙に走らせた。更に、式見に集ってくれている多くの社員諸君に、私の過去の過ちの余波、その責任の一端を被せる事になってしまった事、本当に申し訳なく思っている。

 突き詰めて考えれば、最初はそれほどの大事(おおごと)ではなかったのだ。ただ、私が取った行動を、相手がどのように感じ、受け取り、反応するか、その予測の欠如。そして、実際に相手が反応した後のフォロー。

 これらが全て、噛み合っていなかった。それ故に、このような事態へと発展させてしまったのだ。

 本当に申し訳ないと思っている。

 事の始まりは40年以上も昔に遡る。

 まだ私が式見を興す前、ひとりで躍起になっていた頃だ。

 まだ若く、実績も信用もなく、あるのは気力と体力だけで、それでも自分が日本に入れたいものはたくさんあり。

 もちろん、熱意だけで信用してくれる人など少ない。慈善事業じゃないのだから、まず、それに見合った実績がなければ難しい。

 これと思ったところに、それこそ何度足を運んだかわからない。常に海外を渡り歩く生活。しかし、他の全てを犠牲にした甲斐あって、ポツリポツリと取り引きをしてくれる人が現れた。

 彼と出会ったのはそんな頃だった。

 その人の名前はアンダーソン。ちょうど私より一回り強歳上で、明るい奥さんと息子さんがいた。息子さんは私より一回りほど歳下だった。

 最初は乗り気でなかったアンダーソン氏だが、何度も足を運ぶうちに、まずは息子さんが私に話しかけてくれるようになった。若い彼には異国の話が楽しいらしく、目を輝かせて聞いてくれたものだ。

 次いで、奥さんが食事に招いてくれるようになった。アンダーソン氏は同じテーブルに付いても、始めは口もほとんど利いてくれなかったが、耳を傾けてくれている事が、次第にわかるようになって行った。

 そして、あの日。

「きみと取り引きしてみよう、ヨシノブ」

 そう言って、アンダーソン氏は契約書を差し出した。

 正直、面食らった。

 いくら耳を傾けてくれるようになったとは言え、契約に関しては本当に前振りがなかったのだ。ただ、ただ驚いて固まる私に、アンダーソン氏は自信ありげに笑った。

「きみのしつこさに負けたよ」

 彼と結んだ契約が、式見物産の始まりだった、と言っても過言ではない。彼がいなければ、恐らく始まりはなかったのだ。つまり、彼は私にとって最大の恩人でもある。

 アンダーソン氏との取り引きはうまく進み、何の問題もなく月日が過ぎた。私たちは更に親しくなり、彼を訪ねた時には家族のように迎えてくれた。

 その間に彼の息子も成長して大学を卒業し、仕事を手伝うようになっていた。彼は日本の血を引く女性と結婚する事になり、私はそこにも招待され、心から祝福した。いつしか歳の離れた弟のようにも思っていたのだ。

 可愛い娘にも産まれ、順風満帆に見えた彼らに、知らぬ間に黒い影が忍び寄っていた。

 体調を崩したアンダーソン氏の代わりに、息子であるショーンが切り盛りするようになり、そこに悪魔が目をつけたのだ。まだ若いショーンを巧みに騙し、アンダーソン氏が気づいた時には手遅れだった。

 膨大に膨れ上がった負債は返す目処が立たず、自暴自棄になったショーンは身を持ち崩した。家に帰らなくなり、酒に溺れ、薬にも手を出すようになっていたらしい。

 両親や妻の説得も通じず、ただでさえ体調を崩していたアンダーソン氏は心労で枕も上がらない状態に陥った。

 私がアンダーソン夫人から連絡を受けたのは、その状況、つまりアンダーソン氏が危なくなってからだった。電話を受け、私はアンダーソン氏から事の次第を聞いて仰天した。息子を助けて欲しい……涙ながらに言う彼の言葉に、私はすぐにアメリカへ飛んだが……間に合わなかった。

 アンダーソン夫人とショーンの夫人から詳細を聞いたはいいが、どうする事も出来なかった……その時の私には。行方を眩ましていたショーンは父親の死さえ知らず……奥さんも、あれほど可愛がっていた幼い娘も置き去りにして。

 助けたくとも、式見を立ち上げ、漸く起動に乗せて数年の私には、全ての負債を肩代わりする力もなかった。幾ばくかの事しか。

 私は、せめてアンダーソン夫人や家族の生活だけでも援助したいと申し出たが、気丈な女性ふたりは受け入れなかった。僅かな肩代わりで充分だと。それ以上は受ける事は出来ないと、受け取ってもらう事は出来なかったのだ。

 あの時、無理にでも押し付ければ良かったと、その事も後悔の火種として、今でも燻り続けている。

 私が向こうを立ち去らざるを得なかった時……その時の、彼の幼い娘の目を、顔を忘れる事は出来ない。彼女にしてみれば、私は父を見捨てた男だ。あれほどに親しい様子を見せながら、何もしてくれなかった、と。

 実際、その通りなのだ。

 私は自分の会社や社員、家族の事で精一杯で、彼らを見離したも同然なのだ。あれほどの恩を受けながら、それでも、私の元に集ってくれた社員の生活を手離す事は出来なかった。他の方法を考えつく事も出来なかった。

 その後、ショーンは罪を犯し、行方を眩ましている間に懇ろになっていた女性と逃げ、そして遠い地で哀れな死を遂げた、と聞かされた。きっと彼の娘は、犯罪者の娘であると言う事実と、それでも大切な父への思いの狭間で育ったであろう事は想像に難くない。どのように祖母や母が語っても、娘である彼女には。

 言ってみれば、始まりは本当に良くある些細な事で、私が忙しさにかまけて渡米を怠ったりさえしなければ、難なく防げていたかも知れない。もちろん、防げなかったかも知れない。

 今の私なら、彼を救えたかも知れないし、やはり救えなかったかも知れない。それは誰にもわからない。

 その後も何度も、夫人たちとは連絡を取り、援助を申し出たが、断固として受け入れてはもらえなかった。しかし、それは私に対する怒りなどではなかったようで、その後も折に触れて季節の便りなどをくれていたのも事実だ。それだけが救いでもあった。

 とにかく、ひとつだけ言えるのは、確かに私にはアンダーソン氏の心と、ショーンを救う事は出来なかった、と言う紛れもない事実。

 この事だけは、私は生涯背負い、そしてあの世まで持って行くつもりでいる。

 願わくば……いや、私には願う資格もない。ただ、事実として、自分の過去を背負うのみ……。

 どのような事でも、覚悟は出来ている。
 
 
 
 
 
~社内事情〔64〕へ~
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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