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社内事情〔53〕~ホーム~

 
 
 
〔大橋目線〕
 

 
 『流川麗華との過去を公表する』

 そう決意した社長。

 公表を三日後に控え、おれは急ピッチで社長の原稿作りに挑んでいた。

 マンツーマンで社長の話を聞きながら、その場で入力して行くのだ。もちろん、後で確認、修正をするために録音はしているが。

 ついでに言うなら、『マンツーマン』とは言っても室内には専務も控えてはいた。

 社長の望みは、『事実を事実として坦々と伝えること』で、そこには主観や情や美談のようなものは、一切、加えたくないと言う。

 つまり、客観的な意見を求めるために専務は配置された。

 この専務と言う人は、情も身内贔屓も大いにあるクセに、それを排除しろ、と言う指定が入ると徹底的に客観視する……それが出来る人なのだ。その点に於いては、間違いなく社長より上だと思う。

 社長の話を聞きながら、正直、おれは辛くなっていた。何より、何故、社長がこの話を隠して来たのか、来なければならなかったのか不思議にさえ思う。このことで流川麗華から憎まれる理由なんて何ひとつない、と。

 片桐もこれを背負っていたんだな。

 だが、今は目の前のことだ。浸っている場合じゃない。突然の構成変更で、企画室も、一緒に打ち合わせてくれている片桐たちも大変だと思う。それでも、何とか形にしなければならない。長時間の集中で疲れが心配なところだが、社長はそんな様子を微塵も見せなかった。

 ……これではおれの方がバテる訳には行かない。

 所々で入る専務からの意見。「それはいらないんじゃない?」「それ、主観に偏り過ぎてない?」などを取り入れていると、社長も第三者目線を自然に意識出来るらしく、あまり感情的にならずに作業が進んで行く。

 大まかな入力を終え、後は録音を聞き直しながら細かな調整を行なうことにする。

 さすがに社長の疲労がピークのようで、もちろん最終的な確認は必要だが、とにかく今日は帰宅してもらうことにした。

 印字した書面を専務にも渡し、音声を聞きながら文字を辿って行く。

 「専務……社長とご一緒された方が宜しかったのでは……」

 合間にふと、訊ねてみる。

 「……い~や。たぶん、社長は今はひとりになりたいだろうからいいんだよ」

 ……息子である専務が言うんだから、そうなんだろう、と思っておくことにした。

 黙々と作業に専念。何度も読み通し、確認し、これなら、と言う段階まで何とか持って行く。明日一番には社長にお見せ出来るように、と考えていると。

 「じゃあ、これ、ぼくが今日持って帰って確認してもらうよ」

 「え、でも、もうこの時間です。社長も今日はお疲れのご様子でしたし、明日でも……」

 専務はフワンとした笑みを浮かべ、こう言った。

 「……たぶん、ね。これが確認出来ないと眠れないで一晩中モンモンとしてる人だから」

 ……なるほど。さすがに実の息子だ。よくわかっている。

 「それより、大橋くんも遅くまでありがとう。最近いつも遅くて、涼子くん怒ってない?」

 「あ、いえ……内心はわかりませんが、特には何も。一応、現状の大まかな説明はしてありますので」

 笑いながら専務がおれの顔を見遣る。

 「説明は大事だよね~。ちゃんと言わないで『わかれよ』ってのは日本人の悪い癖だけど、出来ないこと、もあるんだよねぇ……」

 「……専務は奥様に何か言われてらっしゃるんですか?」

 「ぼく?全然。ぼくんとこは何しろ付き合いだけは長いからねぇ。高校で同級生だった時から付き合ってるし。ぼくが何か言うより先に読まれてるよ」

 この専務が先手を打たれるなんて……すごい奥様だ。何度もお会いしているが、おれたちの前では専務を立てて控えていらっしゃる印象しかない。話せば明るくて朗らかな方ではあるけれど。

 「涼子くんは仕事に復帰する気はないのかなぁ~」

 唐突に専務が口にした。

 「今は子どもたちが小さいので……その気はなさそうです」

 「大橋くんは奥さんが働くの反対する方?」

 「いえ、私は……本人が望むのであれば異はありません。ただそうなると、共働きで家事を分業する、と言うのが現状では難しいので、彼女にばかり負担が増えるのが目に見えていて……正直、悩みます」

 おれの顔を見ながら、専務は小さく笑って納得したように頷く。

 「そーゆう話、することある?」

 「……時々ですが。家内は、とりあえず子どもが大きくなるまではいいと……その時になったら考えるから、今はこのままでいてもいい?と言われました。一瞬、一瞬、変わって行く子どもたちを見ているのが、堪らなく楽しいんだそうです」

 「なるほどねぇ~。少しわかるなぁ、その気持ち。ぼくも子どもたちが小さい時、もっと見ていたかったなぁ~と思うもん。あの頃は海外出張も多くてさぁ~……知らない内におとなになっちゃってて、今ではぼくを相手にしてくれなくなっちゃったけどね」

 ……専務の場合、本当にガッカリしているのか良くわからない。

 「……それはお寂しいですね」(棒)

 「まあ、ぼくは奥さんが構ってさえくれたらそれでいいんだけどね~」

 ……そうですか。(訊いてません)

 「……そうそう。ぼくたちが兄さん夫婦のキューピッドだったんだよ」

 またしても唐突な専務の会話転換。

 「……護堂副社長ご夫妻と言うことですか?」

 「うん、そう。護堂家の眞希ちゃんとウチの奥さんが高校の時から仲良くてね。その関係で兄さんに彼女を紹介したんだ。大学生の時に。まあ、ダブルデート、ってやつ?」

 「(別にそこまで訊いてませんが)……そうだったんですか」(棒)

 ニヤニヤしながら教えてくれる専務に、棒返しのおれ。昔を思い出しているのか、専務は妙に緩い顔だ。

 「まぁねぇ……もちろん、これは良い御縁だったとは思うけど……」

 そこで一度、専務は言葉を止めた。

 「……何か問題でも?」

 おれが訊ねると、すぐにニヘラ~と笑う。

 「もし、この御縁がなければ、ぼくが式見を背負う事態からは免れたのになぁ……って、思ったことがないワケじゃない、かな。……正直に言っちゃうとね」

 言い方のわりに、専務は深刻な内容を口にした。

 「どう考えても兄さんの方が社長に向いてるからね。だって、初めからそーゆう風に育ってるワケだし……まあ、そんなに雁字搦めな家ではなかったけど、やっぱり長男に生れついてたワケだし。ぼくは次男坊らしく気楽に生きてくつもりだったんだけどねぇ……もちろん、兄さんを手助けして行く気持ちはあったよ?」

 ……誰に言い訳してるんだ、専務は?

 「護堂副社長も素晴らしい方ですが、専務と優劣などつくとは私には思えません」

 おれの言葉に、また嬉しそうにニヘラ~と笑う。

 「まあ、こうなったのも何かの縁なんだろう、としか思いようがないけど」

 「全て、そう言うことなのでしょうね」

 頷いた専務はしみじみと続けた。

 「しかし、こーゆう話を出来るようになるとはなぁ。これも片桐くんが結婚する気になってくれたから、かも知れないねぇ~」

 確かに専務の言う通りかも知れない。今にして思うと『腫れ物扱い』に近い。おれたちが勝手にそうしていただけだが。

 「さて!話はこれくらいにして!今日は帰ろう、大橋くん。また明日があるからね」

 「はい」

 そうして帰り支度を始めた専務とおれは、当然、この時はまだ気づいていなかった。

 片桐や藤堂くんたちの寝る間も惜しんだ努力によって準備は急ピッチで進められ、もう実行日は間近と言う時━。

 こちらの計画が洩れた、とは到底思えない。━が、それが始めから流川麗華の計画だったのか、それはおれたちにはわからない。

 ━わからないが、社長が過去の話を公表する、正に直前、流川麗華たちは強行な手段を敢行した。
 
 
 
 
 
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