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社内事情〔62〕~拒否~

 
 
 
〔北条目線〕
 

 
 社長との、『本当の過去の次第』を知らないのだから、当然と言えば当然なのかも知れない。

 それでも理不尽な流川麗華の要求を、隣にいる片桐課長は黙って聞いていた。とりあえず、最後まで。

 『自分の手下になれ』と言う三つ目の要求を聞いても、然したる反応は示さなかった。とっくに想定内、だったのだろう。

 だが━━。

 思わず息を飲む反応をしたのは、むしろ巨大スクリーンの中の今井先輩だった。

 先輩より手前にいる流川麗華にはわからなかっただろうが、あからさまに目が吊り上がるサマは鳥肌もの。美人が怒ると怖い、と言うのは本当だと、つくづく思った瞬間。

 そして、それを課長も感じているのは気配でわかった。流川麗華の言葉に対する怒りより、今井先輩の表情に対する恐れ、の方が遥かに上回っている。

『頼む!何もしでかさないでくれ!必ず何とかするからおとなしくしててくれ!』

 課長の背中はそう言っていた。……だけど、恐らく無理だ、とおれは思う。他の皆も同じように感じているようで、むしろそっちに意識を持ってかれてる。

 おれたちが余計な口出しをすると、却ってややこしくなるから何も言えないが……今井先輩の動きが怖い。固唾を飲んでじっと『今井先輩に気を取られている』おれたちに、流川麗華は更に言い放った。

「即答じゃないなんて片桐らしくないわね。生ぬるい生活で鈍ったんじゃない?」

 人を不愉快にさせるのだけは絶品だな、相変わらず……などとノンキに考えた瞬間。

「その要求は飲めない」

 課長がハッキリと言い切った。今度は今井先輩の口角が持ち上がり、流川麗華の眉が吊り上がる。

「……この期に及んで、あたしの傘下には入らない、と言うの……?」

「……それだけじゃない。お前の言い分を社長に肯定しろと言う事も、式見を解体しろと言う要求も飲めん」

 その場にいる全員の意識が課長に集中した。専務も黙って見守っている。

「その事は片桐には言ってないわ。式見義信に対する要求よ」

「おれは社長に、今回の件、全て一任されている。その要求は飲めん!」

 専務が緊迫感なく「うんうん」と頷いている……。何だか大丈夫そうな気がして来るから不思議な人だ。

 その時おれは、流川麗華たちから死角になったところに、不思議な車両が隠れるように停まっている事に気づいた。

(……何だ……?……あの車は……?)

 流川側の手下ではないようだった。

(専務が何か手配したのか……?それとも藤堂先輩……?)

 考えて、R&S社内のブラインドが全て降ろされている事にも今さら気づく。

(屋上にいるのは数人。後はどこかで様子を窺っているのか……?)

 だがおれの疑問は、流川麗華の声に掻き消された。

「……そう……残念だわ……ならば……」

 流川麗華の目が燃え上がった。(一応)美人が怒ると……以下同文だ!嫌な予感が駆け抜ける。

「このお嬢さんに、ひとりで被ってもらいましょうか……」

 振り返った横顔が、今井先輩の顔を見て楽しげに笑った。ドSだな、この女。

「片桐!大事なこのお嬢さん、まずは目の前でズタズタにしてやるわ!」

 言い放つと同時に、指で男に合図した。

 ごっつい男が今井先輩の襟元を掴むと同時に、おれは片桐課長を押さえた。ついでに朽木と東郷も課長にぶら下がる。根本先輩も加わって押しくらまんじゅう状態。こう言うと緊迫感のカケラもないが、当のおれたちは必死だった。

「……流川!彼女にかすり傷ひとつでもつけてみろっ!おれはお前が女でも容赦しない!必ずどこまでも追い詰めてやるからな!」

 おれたちと綱引きのように力を入れ合いながら、屋上に向かって課長が叫んだ。その様子を待っていた、とばかりに高らかに笑った流川麗華の後ろで、今井先輩がマットの上に投げ出された。その上にごっつい男が圧し掛かろうとする。

「やめろっ!」

 課長が絶叫し、おれたちも目を見張った時━━。

「うわっ!」

 男が悲鳴を上げると共に派手に仰け反り、流川麗華にぶつかった。

「きゃっ!」

 巻き込まれた流川麗華の悲鳴。

 ふたりが縺れ合って倒れ込み、機材の一部も倒れて音を立てる。皆、何が起きたのかわからず、スクリーンをガン見で硬直した。

 スクリーンには、肘を正面に向けた今井先輩が半身を起こしている映像。

 先輩は、そのまま跳ね起きると背を伸ばし、真っ直ぐに流川麗華の前に立った。先輩の口が動くのが見えるが、音声が流れない。どうやら倒れた流川麗華たちがマイク機器を壊してしまったらしい。

 立ち上がった流川麗華も、先輩に向かって何かを言っているようなのだが、ハッキリ言って、ただの口パク映像でさっぱりわからない。わからないが、全員が釘付けになって口パク映像に見入る。

 片桐課長もいつの間にかおとなしくなっており、全員がまるで映画でも観るように上を見上げていた、その時━━。

 突然、おれの耳にマイクを通した男の声が響いた。どこからか聞こえて来る、落ち着いて聞き心地のいい、その声の出所を見回す。

 おれには……いや、おれたちには、その声の主はすぐにわかった。

 聞き覚えのある声の主━━それは、間違いなく社長だった。
 
 
 
 
 
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