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かりやど〔拾七〕

 
 
 
『 も う も ど れ な い 』
 
 

 
 
鳥の声は奪われてしまった
もう、前と同じには歌えない
 
鳥の羽はもがれてしまった
もう、舞い上がることは出来ない
 
鳥の心は凍ってしまった
もう、暖めることは出来ない
 
大切な人の思い出にすら
 
 

 
 

「ねぇねぇ。朗の名前はどんな意味で付けられたの?」
 春さんお手製のおやつをしつこくつまみながら、美鳥が唐突に訊ねた。
「ぼくの名前?……朗(ほが)らかに、とか、明るく快活であるように、とか……まあ、あまり捻りはないらしいよ」
「……ふーん。音の響きはあってる気がするけど、意味を聞くと……どうなんだろう?」
 美鳥が考え込み、
「朗は別に暗くはないけど、何つーか落ち着いてて……『明るく快活に』って感じじゃないよな」
 昇吾が分析し、
「意味だけだと、どっちかって言うと昇吾っぽいよね。もしかして、産まれた時から落ち着いた雰囲気が滲み出てたから、明るくなるように付けた、とか?」
 更に美鳥がこじつけると、
「産まれた時から落ち着いてた、って……」
 ふたりの突っ込みに朗は苦笑した。
「昇吾の『吾』は信吾叔父さんからだろう?」
「ああ。『昇』の字は松宮のじーさんから貰ったって言ってた」
「『吾、昇る』なんてすごいよな」
 感心する朗に、美鳥がぷっと吹き出す。
「昇吾、完全に名前負けしてる」
「うっせ!生意気言うな」
「まあまあ」
 拗ねる昇吾を宥めながら、朗が美鳥にフォローを入れた。
「こう見えて昇吾すごいんだよ。学力もだけど、部活も掛け持ちでいくつも賞取ってるし」
「えっ!そうなの?」
「こう見えて、は余計だっつーの。まあ、でも、そうでもないよ……ほとんど朗と張り合ってるだけだしな」
「じゃあ、昇吾も朗もすごいんだ!」
 何気に美鳥が嬉しそうな顔をする。
「美鳥こそ、ピアノとか……何だっけ?あれ……踊りとか、書道とか色々やってるじゃん」
「日舞?まあ、あれは母様が、着物の立ち居振る舞いのためにやっときなさい、って言うから……着物なんて着なくていいんだけど。ピアノだって嫌いじゃないけど……あんま練習してないし」
「え、美鳥、ピアノ弾くの?じゃあ、今日の夜、聴かせてよ。ぼく、明日帰るから記念に」
「……そっかぁ……朗、明日帰っちゃうのかぁ……つまんない……」
 いつもの元気な姿を見慣れたふたりには、しょぼくれた顔の美鳥は珍しい。
「今度、昇吾と一緒にウチにも遊びにおいでよ」
 朗の言葉に、美鳥の顔がぱっと輝いた。
「……いいの?」
「もちろん」
「じゃあ、じゃあ、朗もウチの方にも来てね」
 途端に元気を取り戻す様子に、昇吾も朗も顔がほころぶ。
「きっとお邪魔するよ」
「うん!」
 そこで、ふと、朗が思い出したような素振り。
「ところで、美鳥の名前は?」
「そうだ、名前の話をしてたんだ」
 昇吾が笑いながら突っ込んだ。
「私はねぇ……産まれたのが五月で緑が綺麗だったんだって。だから『みどり』にしようって父様は思ったみたいなんだけど、新緑の緑じゃストレート過ぎる……って『美しい鳥』にしたんだって」
「美鳥こそ名前負けじゃないか?……いや、そうでもないか。いっつもフワフワ飛んでるみたいだもんな」
 からかうように言う昇吾を、美鳥が膨れっ面で睨む。
「綺麗な名前だよ。美鳥にぴったりだね」
 再び朗がフォローした。
「でね、後日談があって。私の目が開いた時にね。父様が『やっぱり緑色の緑でも良かった』って思ったんだって」
 すぐに機嫌を直した美鳥の瞳は、深く鮮やかなグリーンを湛えている。
「松宮の家にはたまーに出るんだって……この目の色が」
「昔、どこかの血が混じったらしい。じーさんの話だと」
 美鳥と昇吾が昔話風に言えば、
「へぇ~。何かロマンだね」
 朗は古代に思いを馳せた風に答えるコンビネーション。
「ロマン~?どこが~?昔、赤ん坊だった美鳥の顔を初めて覗き込んだら、いきなり目ぇ開いてさ。緑色だったんで怖くて泣いたぞ、あん時は」
 真顔で言う昇吾に朗が吹き出した。
「……朗!昇吾にロマンなんて言ったって通じないよ」
「うっせ!」
「だって母様が、その時の昇吾、『みどりちゃんのおめめがおびょうきなの~』って泣きながら走って来たって言ってたよ!」
 美鳥のダメ出しに昇吾の表情が硬くなる。
「……可愛かったんだな、昇吾……」
 朗が笑いを堪えながら言うと、昇吾は更に不貞腐れた。
「生意気言うな!」
「いたっ!」
 昇吾が美鳥の額にデコピン喰らわしたところへ、春さんがニコニコしながら入って来た。
「まあまあ、楽しそうで。でも、そろそろ夕餉のお時間ですからね。おやつはお止めになってくださいましね」
 
 朗と過ごす最後の夜。
 練習嫌いの美鳥ではあるが、精一杯、ピアノの演奏を頑張った。練習は嫌いでも、ピアノを弾くこと自体は嫌いではないらしい。
 食事もレクリエーションも終え、部屋に引き揚げた朗は、美鳥のピアノの余韻に浸りながら荷物を片づけていた。するとノックの音。
「どうぞ?」
「……朗……今、ちょっと、いい?」
 美鳥がピョコンと顔を覗かせた。
「うん?どうしたんだい?」
「朗のお誕生日って七月だったの?」
「うん、そうだよ。……ああ、ここにお世話になる直前だったからね」
「……そっかぁ……何だ、知ってたらお祝いしたかったのになぁ……」
 心底がっかりした顔。その様子が可愛くて、思わず朗の顔が弛んだ。
「ありがとう。気持ちだけで充分だよ。どうせいつも夏休み中だし、そもそも男ばっかの同級生とかには、誕生日自体を知られてないくらいだから」
 さらさらの美鳥の髪の毛を撫でながら言う朗に、決心したような眼差しを向ける。
「来月、昇吾の誕生日なの」
 しかし脈絡はない。……少なくとも、朗にとってはそう聞こえる。
「……ああ、そう言えばそうだね……?」
「昇吾のお祝いする時に朗も来て!二ヶ月も遅いけど、私、朗の分のプレゼントも用意するから!」
(……そう繋がる訳か)
 真剣な面持ちの美鳥に、朗は顔が笑いそうになるのを堪えた。気持ちが嬉しくない訳がない。
「……ありがとう。必ず、行くよ」
「ホント!?」
「ぼくも昇吾に祝いの言葉くらい言いたいからね」
 本当は学校ででも言えるのだけど、と言う言葉は飲み込む。
 嬉しそうに笑った美鳥は、片頬を朗に差し出した。意味がわからず困惑した朗が固まる。
「……ん?約束のキス」
 困惑する朗。不思議そうな顔をする美鳥には何の邪気もない。
 歳の割に落ち着いている朗ではあるが、美鳥の要求は思春期の日本男子高生には厳しいものがあった。指切りくらいならともかく、と背中を冷たい汗が伝って行く。
 しかし、言う通りにするまで諦めてくれそうにはない様子。仕方なしに、ロボットのようにぎこちなく顔を近づけ、差し出された片頬に軽く触れた。すると今度は反対側を差し出される。
(……ここ、日本だよな……)
 自分に確認しながら、そちらにも軽く触れた。顔を離そうとした、その時──。
 美鳥のしなやかな腕が、するりと自分の首に巻き付いたところまでは認識出来た。だが、あまりの不意打ちに、その後、何が起きたのかわからないまま硬直する。
 首の後ろに触れる小さな手、視界を覆う白い肌、鼻腔をくすぐる女の子特有の甘い匂い、そしてやわらかい唇の感触。
 美鳥の肩を掴んだまではいいが、鬩ぎ合う何かに目眩がしそうになる。
 銅像のように固まり、一体どれくらいそうしていたのか──。美鳥の腕の力が強まった瞬間、身体の奥から強烈な衝動が突き上げて来るのを感じ、遥か彼方に飛んでいた意識が急転直下する。
(……まずい……!……ダメだっ……!)
 慌てて美鳥を引き剥がす。正確には、引き剥がそうとする。だが、掴んだ肩や腕までもがやわらかく、朗にはどこなら力を入れていいのかわからない。
 漸く全部が見える距離まで顔が離れた時、朗の必死の様相に美鳥はキョトンとしている。訳がわからないと言う表情。
(……ヤバかった……今、本当にヤバかった……)
 片や朗の方は完全に息が上がっている。心臓は救心が必要なくらいだった。
「……朗……?」
 不思議そうな目。
(……うわ……もしかして、本当に悪気なく何もわかってないのか……)
 朗は深呼吸して脳を沈静化させ、美鳥の頭をポンポンと叩きながら言う。
「……来月、楽しみにしてるよ」
「うん!」
 魂を持って行かれそうなくらいに美しい笑顔。胸が苦しくなる程に。
「……おやすみ、美鳥」
「おやすみ!朗」
 手を振りながら、満面の笑みで戻って行く美鳥の後ろ姿を見送り、朗は部屋でひとり脱力してヘタり込んだ。
「……夢に見そうだ……」
 
 だが、背を向けた美鳥が、どんな表情でいたか朗は知らない。やっと咲き初めた蕾の色を。その花が咲く日は来ないことも。
 
 約束は果たされることなく、次に逢えた時には、美鳥は朗の知っている無邪気で天真爛漫な美鳥ではなかった。
 

 
 朗が美鳥たちの元を去った翌日。
 
 松宮邸では、恒例の夏の夜会が開催されることになっていた。そのため、使用人たちは準備に右往左往している。
 この夜会は、松宮一族に連なる者たちが一同に介する晩餐で、身内の集まりにしては大掛かりなものでもあった。
 また、今回は特に、松宮陽一郎が『重大な発表』をするらしい、との噂が広がっており、一種、異様な雰囲気を醸し出してもいた。
 
「……美鳥!お前……夜、抜け出して花火見に行くって……本気か!?」
「うん!夏川先生たちが話してるの聞いちゃった!だって夏休み終わっちゃうし、帰る前に見たいんだもん。みぃと約束したんだ」
 驚く昇吾に、美鳥がウキウキしながら答える。
「みぃって……ああ、あのホームの子か?夜会の挨拶どうするんだ?お前、当主の娘だろう?」
「父様が、今回は大事な話があるから、始めにちょこっと挨拶したら後はいい、って」
 『ホーム』と言うのは、松宮家が運営・管理している、いわゆる親がいない子や、親が面倒を見れない子たちが暮らしている施設のことである。美鳥はその施設にいる同年代の女の子と仲良くなり、毎年、夏に会うのを楽しみにしていた。
 また、父親の代から松宮家の主治医である夏川医師は、他の医療スタッフと連携を取り、ホームの子どもたちの健康管理を行なうことも仕事の一環としている。そのこともあって夏の避暑にも同行しており、屋敷ではなく、近くに常設している診療所に滞在していた。
「それにしたって、ダメだ!夜、女の子ふたりで行くなんて……しかも黙って抜け出すなんて絶対ダメだ!」
「どうして~?近くだし、皆パーティーだから絶対バレない……」
「ダメだ!」
 昇吾にしてみれば、周りが他のことに気を取られているからこそ危険だと思うのだが、美鳥にはその辺りの危機感が欠如している。自分の状況をわかっていない。そこが美鳥の無邪気な魅力を引き立てているとも言える訳だが。
 萎れた花のようにしょんぼりする顔に、昇吾は天を仰いだ。何だかんだ言って、昇吾は美鳥のこの顔に弱い。
「……わかった!ぼくがついて行ってやる。ただし、ちゃんと伯父さんたちに許可をもらって、絶対にぼくから離れないって約束を守れるなら、だ。途中でぼくをまいて逃げようなんてしたら、すぐに伯父さんに報告する!」
「いいの!?」
 美鳥の顔が一瞬にして輝いた。
「約束、守れるな!?」
「うん!」
 コクコクと頷きながら、昇吾の顔を見上げる。──と。
「……あ、でも……昇吾はパーティー出なくていいの?」
 美鳥の問いかけに、昇吾が睫毛を翳らせた。
「……どうせ、母さんが来るだろうから……」
 美鳥が黙り込む。さすがに、昇吾の家族の状態くらいは知っている。両親に可愛がられている自分の身と比べてしまい、ひとりで浮かれていたことを恥ずかしく思ったのだ。
「……おいおい、お前がそんな顔すんなって」
 美鳥の頭を撫でながら昇吾が笑う。美鳥は優しく笑う昇吾の顔を見上げると、唐突に首に腕を回して抱き締めた。
 小さな頃から慣れている昇吾は、昨夜の朗のように狼狽することはない。が、やはり女の子の甘い香りと、やわらかい頬の感触の破壊力はなかなかのものである。一瞬、意識が飛びそうになるのを堪えると、緩く美鳥の身体を抱き締めた。
「……何だよ。なぐさめてくれてんのか?……大丈夫だ。ぼくには美鳥も朗もいる。父さんや伯父さんも……」
「……ホント?」
 躊躇いがちに訊ねる美鳥に優しく頷く。
「……ああ。……ほら、伯父さんにちゃんと花火のこと許可をもらって来ないと、連れてかないぞ」
 笑顔で促すと、美鳥の顔にも輝きが戻った。
「うん!」
 駆けて行く後ろ姿を追いながら、昇吾の顔が自然と弛む。
 一足遅れて陽一郎の書斎に着くと、既に美鳥が勢い良く説明していた。後ろから入って行くと、気づいた陽一郎が昇吾に向かって訊ねる。
「昇吾、本当にいいのか?」
「大丈夫です、伯父さん。美鳥のことだから、ほっとくと黙って勝手に行きかねないですし……それくらいなら、目が届くとこにいてくれた方がマシです」
 昇吾の言葉の微妙なニュアンスに、美鳥が小さくふくれる。が、陽一郎は吹き出した。
「確かに昇吾の言う通りだ」
「父様、ひどい!」
「それもこれも日頃の行ないだ」
 拗ねる美鳥の頭を撫でながら、陽一郎はやんわりと、だがしっかりと釘を刺すことも忘れない。
「すまないな、昇吾」
「自分の精神安定のためにも行きます」
 男ふたりは笑い合い、美鳥はプイッとそっぽを向いた。
 

 
 夜会が始まると、美鳥は主だった者たちへの挨拶をして回る。その辺りは慣れたもので、ソツなくこなせる程度には仕込まれていた。乾杯の折、どさくさに紛れて大人用のシャンパンを飲もうとし、一口二口飲んだところで美紗に叱られたりはしたが。
 やがて、ほんの30分程度で、陽一郎と美紗から「花火に行っていい」とお許しが出た。跳び跳ねるように駆け出そうとし、思い出したように振り返る。
『別れる時には、最高の笑顔で』
 美鳥は満面の笑みで「行って来ます」と挨拶をし、陽一郎と美紗も笑顔で「行っておいで」と送り出した。
 
 それが最後だった。
 
 
 
 
 
 
 
 

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