社内事情〔49〕~証~
〔礼志目線〕
*
片桐くんと北条くん。
ふたりは今現在、我が社のツートップと言えるだろう。もちろん、北条くんとほぼ並ぶ実力の営業はいない訳じゃない。それでも、トップクラスであることは疑いようもない。
ただ、問題なのは向こうの要である企業。当たり前だけどなかなか落ちず、片桐くんでさえ難航している様子。そこを落とされたら向こうだって生命線が途切れる訳だから、まあ、横槍も半端ない。そりゃあ、そうだ。
こればっかりは片桐くんの力を信じましょ。長引かせずに、必ず今度こそ終わらせる、と言った彼を。ぼくにはそれしか出来ないし。
それよりも、むしろぼくが驚いたのは今井さんとのことだった。
週明け、ふたりでぼくのとこにやって来た時は、先週の件を詳しく報告しに来てくれたんだとばかり思ったのに……。
……ま・さ・か!
まさかの電撃報告とはなぁ……いや~ビックリした。大橋くんまでが目を見開いて口も半分開いてたくらい。
ここ数ヶ月、大橋くんやぼくが感じていた予感はあながちハズレてもいなかった、と言うことだ。
片桐くんがその気になってくれたと言うことは、ぼくとしても本当に喜ばしい。だ・け・ど・ね。
よりにもよって、アジア部の要を連れてっちゃうことないじゃないか(泣)。こんな、片桐くんの赴任のタイミングで、しかも『休職』じゃなくて『退職』だってぇ!?
ぼくとしては、今井さんが結婚して辞める、って言う事態なら、てっきり『やけぼっくいに何とやら』だと思っていたのに。
……お陰で、危うく口を滑らせそうになって、本当に危なかった。あの片桐くんが一瞬、ものすんごい反応したもんね。目がマジで怖かった。あれは本当に彼女に首ったけだなぁ。今井さん、さすがだなぁ。
それにしても、林部長も頭抱えてるだろうなぁ。今井さん、ぼくの提案を受け入れてくれるといいんだけどなぁ。
……などと考えていると、「専務、失礼します」と大橋くんが入って来た。
「……片桐課長たちのことを考えていらっしゃったのですか」
少し可笑しそうに訊いて来る。……ぼくの顔に書いてあったのかしら?
「……うん、まあ、ねぇ。だって大橋くんも驚いたでしょ?」
「はい。ついに片桐課長が、連日の疲れでどうにかしたのかとすら思いました」
……ぼくはそこまでは思ってないけど……大橋くん、何気に辛辣だよねぇ。やっぱ、同期は違うや。
「まあ、今井さんが抜けた後が大変なことは置いといて。片桐くんがその気になってくれたのは喜ばしいことだからね。社長も喜んでいたよ」
大橋くんが頷く。
「さて、そのためにはまず、当面の問題を解決しないとね。R&Sの動きはどう?」
「片桐課長たちの動きに焦るかと思いきや、これと言って変化はないですね。その方が恐ろしいと言えば恐ろしいですが。……ああ、何度か片桐課長に連絡は入ったようですが、一見すると余裕すら感じられたそうです。平気で煽るようなことを言ったり……」
「……ふ~ん……何かイヤ~な感じだねぇ。片桐くんが下手な挑発に乗るなんて思ってないだろうに……ってことは、挑発に見せかけて、実は挑発ではないってことなのかな?」
ぼくがひとり言みたいに言うと、大橋くんが意外そうな顔をした。
「挑発に見せかけて挑発ではない……ですか……と、すると考えられるのは……」
「……う~ん……ただの見せかけ、かな……」
そんな子供騙しみたいなことするかな、あの流川麗華くんが。いまいち腑に落ちないぼくに、
「……もしくは、片桐課長の様子を見ている……?……いや、探っている、と言った方が正確でしょうか……」
そう言って大橋くんは、ハッとした表情を浮かべた。
「……専務……あの、大変失礼かも知れないことを伺いますが……」
「ん?何?」
珍しく大橋くんが迷っている様子。何やら深刻なにおいがするなぁ。
「……もしかしたら、なのですが。……片桐課長は……専務もご存知ないような何かを知っていらっしゃる、と言う可能性はあるでしょうか?」
「……ないんじゃない?」
ぼくの答えに、大橋くんがホッと息を洩らし、安心したような面持ち。
「……失礼なことをお訊きしました」
「いやいや、全然構わないよ」
大橋くんが言っていることは、きっとあの話のことだ。ぼくが先日、初めて父から聞かされたあの。
あれを片桐くんは知っているのかな?……大橋くんは内容は知らないだろう。単に『片桐課長が何か知っている気がする』から、それを確認したかった、のかな?
もしも、片桐くんがあの話を知っていたんだとすれば、ぼくたち親子は本当に、彼に申し訳ないことをしてしまっていたことになる。その挙げ句、今回のことも全て背負わせて。
「……専務?どうかなさいましたか?」
「い~や?別に何でもないよ?」
危ない、危ない。大橋くんは鋭い上に、ぼくへの愛が深いからなぁ~とか言ってみちゃって。聞かれたら口利いてくれなそうだし~気をつけなくちゃ。
「……ところで大橋く~ん」
「はい?」
「……ひとつね……調べておいて欲しいことがあるんだけどね」
「……は……?」
*
大橋くんが部屋を出て行った後、ぼくは机の引き出し、鍵付きの段を開け、奥から古びた封筒を引っ張り出した。角が折れ、端は擦り切れ、少し黄ばんでさえいるそれをクルリと表に返すと、ぼくにとっては見慣れていた手書きの文字。
『退職届』
五年前の片桐くんの捨て身の決意の証。
どうしてこれを処分しないでいるのか、と言われれば、忘れないため、としか言えない。
一番、見たくないもの。一番、忘れたいこと。
でも、絶対に忘れてはいけないこと。
その『戒め』のために、ぼくはこれを手元に置いているのだ。
今度こそ、片桐くんを信じきるために。
~社内事情〔50〕へ~
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