〘異聞・阿修羅王/結2〙隠し事
つい、と演舞の型のように、須羅(しゅり)は爪先を摩伽(まか)に向けた。
「お前にもわかっておろう? この須彌山(しゅみせん)に限界が来ていることは……」
摩伽の片眉が反応する。
「限界が来ているから破壊し、消し去れと言うか……? そのようなことを言うておったら、何もかもを、そうせねばならぬではないか」
「壊れたものは直す、出来なくば新たに作る、人と違い、肉体が劣化すれば代替わりをする……それと同じことよ。須彌山も、新たに生まれ直さねばならぬ時に来ているのだ」
摩伽が息を飲んだ。喉が鳴る音が、焔の爆ぜる音に掻き消される。
「生まれ直す……再生する保証があると言うか……!? なくば、何もかもがなくなって終わりではないか……!」
「知らぬ。そんなことは、私の知ったことではない。その時は、それが須彌山の……世の運命(さだめ)……先の知れたものを後生大事に抱えていて何になる。己が守って来たものを、己の手で引導渡す……いっそ、清々しいではないか」
妖しいまでの笑みをたたえ、須羅の口調には微塵の迷いもなかった。
「……限界が来ているのなら、黙っていてもいずれ滅ぶ。必要とあらば生まれ変わり、必要なくば無に還るは必定……それが理(ことわり)であるのなら、な。だが……! 何故(なにゆえ)、今、破壊せねばならぬ……! まだ在るものを、敢えて壊す必要など何処にあると言うのだ……!」
須彌山に対して摩伽が負っている責任は、誰であろうと消すことも、変えることも不可侵であった。
どれほど我が儘に振る舞おうと、摩伽はインドラとして須彌山を統べる者であり、つまりは守るべき責任と義務を負っている。後から植え付けられたものではなく、決して変えられるものでもなく、この世に『現れた』意味そのものなのである。
だからこそ、己が全てを賭して守って来たものを己の手で壊す──それは、本来の存在意義を否定するに等しかった。
「何を言うておる。先がないものを、いつまでも残しておく理由などなかろう? 古び、朽ちてゆくものなど、手をこまねいて見ていることはない。早々に片を付けてしまえば後腐れもない……何度も言わせるな……!」
艶やかな笑みを浮かべたまま、須羅は平然と言い放った。間髪入れずに地を蹴り、再び摩伽に向かって突進する。
「私と立ち合うは、お前が望んでいたことではないか! 今の私を倒すには、本気を出さねばならぬぞ! でなくば、私の業火が須彌山全土を焼き尽くすことになる!」
「む……!」
今の須羅を相手にするには、本気とは言わずとも、確かにそれなりの力を出さざるを得なかった。何がそこまで力を強めているのか、激しく攻防を繰り返しながらも、その疑問が頭を離れない。
(今は須羅を動けない程度にするより他あるまい……!)
ふっと息を止めた摩伽の眼の色が変わった。強烈な光を放つと、大剣が稲妻を纏い、辺りに雷の粒子を飛び散らせる。
「……致し方ない……!」
小さく洩らし、大剣を下方から前方に投げるように振り切った。雷撃が龍の咆哮を上げ、須羅に向かって襲いかかる。
「ぬ……!」
須羅は二刀を前方に交差させて一撃を受けたが、打ち消すには至らなかった。激しく床を削りながら後退し、壁に激突する。
「受け切るとは大したものよ」
前のめりに膝をつく鼻先を、摩伽の大剣の切っ先が掠めた。
「だが、その程度では、及ばぬ。何度も言うが、おれに本気を出せなどと、こちらの方が片腹痛いわ」
ゆっくりと大剣を後ろに引く。
「……殺しはせぬ。だが、当面、おとなしくしていてもらおう……」
刃(やいば)が須羅を貫こうとした瞬間、摩伽の脳裏に乾闥婆(けんだっぱ)の言葉が甦った。
『インドラ様。阿修羅王が口にする言葉を鵜呑みにしてはなりませぬ』
寸でのところで剣を留める。
『あやつは、己の運命を全うするためなら、どのような手段も厭いませぬ。それは即ち、どのような汚名をも被(こうむ)る、ことに等しい。言葉という表層にあるものが、全て本心と思うてはなりませぬぞ』
その言葉が、真に意味するは何処にあるのか──己を見上げて来る須羅の眼に、摩伽は答えを探した。
「……何故、剣を止めた……」
そして、須羅の声音にも。
「……そなた、雅楽(がら)に何をさせておる?」
「何……?」
唐突な問い掛けに、須羅は眉根を寄せた。
「どの道、滅ぼすつもりの須彌山なら、何故、雅楽の力を使うておる?」
唇を引き結んだ須羅の眼前に、摩伽は切っ先を向けた。
「そのようなことのために、雅楽の力を利用するお前ではなかろう」
逸らすように、須羅は下を向いた。
「……言え……! 何を隠しておる……!?」
切っ先を逸らさずに問う。
「ふっ……」
「何……?」
「く……ふっ……ははははは」
だが須羅は、訝しむ摩伽を置き去りにし、突如、堰を切ったように笑い出した。
「何がおかしい……!」
一度として見たことのない、声を上げて笑う須羅の姿。しかし、明らかに喜楽からのものではないそれは、摩伽のことを嘲笑っているに等しかった。
「これが笑わずにいられようか……!」
指の隙間から不満を顕わにする摩伽を見上げ、須羅は毒を含んだ笑みを浮かべた。
「……良かろう。なれば、お前を案じた乾闥婆に免じ、ひとつだけ教えてやろう」
形勢不利な状態からさえ、尚も尊大に言い放つ須羅に腹立たしさよりも懐かしさを憶え、むしろ摩伽は己に怒りを感じていた。
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