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かりやど〔拾〕

 
 
 
『 も う も ど れ な い 』
 
 

 
 
何が一番大切か?
 
そんなこと
決まってる
 
 

 
 

 隅田(すみた)をオトすことを止めた翠(すい)は、次の手を進めていた。
 
 副島(そえじま)に近づくために、より難関である人物──小半(おながら)と更なる接触を図ることを選んだ。難しい相手であればあるほど、うまく行けば大きな足掛かりとなる。当然、その分リスクも大きいが。
 何度か小半と会い、翠が感じたのは、やはり油断ならない男だ、と言うこと。
 優しく、真面目で、かと言って堅苦しくもない。職業柄、スキャンダルは御法度であるから行動の制約が多く、時間の確保も難しいが、一般的な見地からすると『優良物件』と言えよう。
 だが、時折見せる目──まるで猛禽類のような鋭い視線に翠は気づいていた。それが何に対するものであるのか、その判断はまだ付いていない。それでも、小半が何らかの意図──恐らくは資金面の問題を以て、確実に自分に近づいて来ていることは感じられた。
「……隅田くんたちの件は、少々事態が拗れて(こじれて)いるみたいで……ぼくもあまり詳しくは判らないのですが、堀内建設内部は不穏な空気が流れているようです」
 ある夜、翠との会食中に小半が洩らした。
「それは困りましたね。こう言っては申し訳ないですが、堀内社長も少し大人げないかと……いくらイメージがあるとは言え、ご結婚されている訳でもないですし、まして知人男性が一緒に写った写真が送られて来たくらいで……」
 翠の言葉に小半も頷く。副島サイドとしても、強力な後援者である堀内建設のゴタゴタは悩みの種に違いない。
「当の隅田さんが承子(しょうこ)さんを信じていると言うのに……」
「彼は承子さんにゾッコンみたいですからね。そもそも、普段の彼女は浮気をするようなタイプとはとても思えませんし……」
 翠の推測は外れていなかった。最終的に隅田をオトすこと、が目的であるなら別だが、過程のひとつでしかないものに、これ以上の労力をかける必要はない。
「……小半さんはご結婚は?」
「……ぼくは……」
 唐突な質問に、小半は珍しく言葉を探していた。
「仕事を考えると、今の現状では難しいですね。まずは、この現状を理解してくれる人との出会い、が」
 苦笑しながらも、無難な答えを返して来る。
「ご結婚されるお気持ちはおありなんですね。現状の理解、と言うと、どんな方をお望みなのでしょう?」
 少し悪戯っぽく訊ねてみると、急に真剣な表情を浮かべた。翠の目を真っ直ぐに見つめる。そのまま数秒。
「……そうですね……」
 そう言うと、さっきまでの目がまるで嘘のように、一瞬で穏やかな表情に戻った。
「忙しくても、いつも明るく迎えてくれる人、がいたら嬉しいですね」
「小半さんは、奥様には家にいて欲しいタイプなんですか?」
「……と言うか、相手も忙しい仕事だったりすると、常にすれ違いだけの生活になってしまいそうで……申し訳ないことに、ぼくは自分の都合では時間を動かせない立場ですからね。すれ違うだけなら、結婚する意味を見出だせません。それを理由に喧嘩や離婚をしたくはありませんしね」
「確かに、それでは寂しいですね」
「理想だと、仕事上のパートナーでもあり得ることなのかも知れません。お互いに立場を理解して尊重し続けられるなら、ですが。立場が解り過ぎると難しいでしょうけどね」
 小半が本当に求める関係性はそこにある、と翠は気づいた。彼が求めているのは『結婚相手』ではなく、『公私におけるパートナー』である、と。しかし、小半が自分に近づいて来るように感じる理由が、公のパートナーとして求められてのことなのか、までは読み切れなかった。
「ところで夏川さん。来週末は予定はおありですか?」
「……来週……いえ、特には……」
「少しご相談したいことがあるんです。お時間を戴けますか?」
(……相談?この男が私に?)
 心の中で推し測るが、さすがの翠でも資金面に関すること以外は、咄嗟に思い浮かばない。
「……はい。私でお役に立てますなら……どちらに伺えば宜しいですか?」
「ぼくの方が夏川さんの事務所に伺います。夕方……少し時間が前後してしまうかも知れませんが……」
「それは構いません。私はずっと事務所におりますので」
 すらすらと嘘を言いながら、なるほど、と翠は思った。
 自分の仕事場を指定しないと言うことは、副島絡みの案件は外すことが出来る。ならば個人的なことなのか。さすがに、いきなり自分のマンションを指定は出来ないであろうから、敢えて翠のホームグラウンドに飛び込んで来る、と言うことなのか。
 一体、小半の口から何が飛び出すのか、今の段階でいくら考えてみても始まらない。ありとあらゆる想定をしながらも、推測以上にはならないと諦める。
 
 だが、小半と約束をした頃、堀内建設の内部では急展開の事件が起きていた。
 

 
 その事件の話を、翠が耳にしたのは二日後のことである。
 
 その朝、翠はいつものようにコーヒーを飲みながら新聞に目を通していた。朝食の用意を終えた朗(ろう)も席に着き、テレビのスイッチを入れる。
「……翠っ……!」
 ニュースを見るためにチャンネルを変えた朗が声を上げた。
「……ん?………………!」
 新聞から顔を上げた翠も、思わず目を見張った。
「……隅田……!?」
 画面の中には隅田の顔写真が映り、アナウンサーは彼が事故で死んだ、と言う事実を伝えている。
「……事故……?……一体、何が……」
 そこまで言った朗が、ハッとしたように翠の顔を見た。
「……翠、まさか……」
「違うよ。私じゃない」
 翠が眉をしかめ、画面を食い入るように見つめる。
「一緒にいた女は軽傷……これは堀内承子のことかな。小半が堀内建設の内部が不穏って言ってたけど、これ、本当に事故なのかな……」
「まさか、何者かの故意であると?」
 朗の質問には答えず、翠はじっと考え込んだ。
「……こないだの写真のことと言い、誰かに先回りされてる……?……それとも……」
 翠の表情が硬くなった。
「……敵なら容赦はしない。邪魔をするようなら……」
 朗が息を飲む。もしも、これが故意であり、その相手が翠に対して敵意を露にしたのなら、彼女は躊躇いなく潰しにかかることは間違いない。それも完膚なきまでに。
 皮肉な話ではあるが、朗はこの表情を浮かべた翠が堪らなく恐ろしくもあり、同時に抗えないほどに美しい、とも思うのだ。──と、その時。
「……朗……」
「……はい?」
「来週末、小半が事務所の方に来る」
 唐突な切り出し。
「……どうしていればいいです?」
「……もうひとつの方で待機してて」
 『もうひとつの方』と言うのは、事務所と同じビル内に別途借りている部屋のことである。翠たちはその二部屋を目的別に使い分けていた。
「わかりました」
「……もしかしたら……」
 翠の表情が更に硬く険しくなる。
「……何か?」
「……ん、いいや。とにかく、とりあえずは部屋にいて」
「はい」
 朗の返事を聞くと、翠は思い出したように、朝食の皿を引き寄せて食べ始めた。──が、その目が一点を見つめており、朗にはそれが何かを思考している時の目であることがわかる。無論、何を考えているのか、そこまではわからないが。
 
 翠の顔を見つめながら、朗の脳裏に堀内承子の顔が過る。今頃、彼女はどんな気持ちでいるのか。
 変な話ではあるが、隅田の死、そのものよりも、その死に翠が関わっていなかった、と言う事実の方が朗にとっては重要であった。
 手放しで胸を撫で下ろすべきでないことは、充分にわかっていても。
 
 小半との約束の前に、公としての翠は隅田の葬儀に参列し、裏では事故の真相をも調べていた。隅田の死の真相によっては、動き方を変えるつもりでいたからである。
 それにしても、通夜・告別式と参列したが、婚約者である堀内承子が姿を見せることはなく、一部の参列者の間では陰口を叩かれる事態となっていた。
 小半からの情報によると、承子は隅田の死以来ショックで寝込んでいるらしく、とても参列出来るような状態ではないと言う。
 当然、堀内は焼香に訪れた。怒ったような、何とも言えない表情で手を合わせる。そのまま清めの席には姿を見せず、結局、翠が声をかける間もなくさっさと引き上げてしまった。
 堀内のその様子には、何かを恐れているような気配があった。どちらにしても、あまり長引かせることを良しとしない翠は、この際、派手に揺さぶりをかけてみることにした。
 
 そして、その布石を打つために動き出す。
 姿の見えない相手が『敵』であるなら、先手を打たなければならない。例え『敵』ではないとしても、『味方』である保証もないのだ。
 

 
 小半との約束の日。
 事務所で会うのは夕方。翠はその前に、堀内の件に関して、ある種の『片』を付けることを決めていた。
 
 素の姿で堀内邸を訪れても、当然、正面から入ることは出来ない。だからこそ、翠は裏で色々と工作していた。
 まず堀内邸の図面を手に入れ、間取りまで完全に把握。しかも、邸内の人員が少ない日取りまで調べた上で、出入りの業者に扮した朗と共に、正面玄関から堂々と車で乗り入れた。
「……翠……今日は……」
 朗が何か言いたげに横顔を見つめる。
「今日、堀内を殺る気はないよ。……一応ね」
 朗は堀内承子の心情を慮っていた。婚約者を亡くして何日も経たないうちに、実の父親までも亡くしたら……しかも、自らも在宅中の自宅内で。正気ではいられない気さえする。
 翠の言葉を信じるしかない状況に、朗は心の中で祈った。
 
 途中で一度車を停めると、そこから翠は、ひとりで一階にある堀内の書斎側へ庭を横切る。灯りが洩れている大きな窓。防音になっているようだが、僅かに開いた窓から洩れて来る堀内の声。
 近づいて中の様子を窺うと、怒り狂った様子で電話を掛けている。
『……こんなことをしてただで済むと思っているのか!しかも、この間の件も失態を犯しおって!わしはそこまでしろとは言っておらんぞ!』
 前後の流れが良くわからないものの、自分なりに調べたことと照らし合わせると、翠には大方の見当がついた。
(……はーん……)
 翠の唇に薄笑いが浮かぶ。
 かなり険悪な流れのまま、堀内が一方的に電話を切ると、またすぐに次の電話。その電話には、妙に謙った(へりくだった)物言い。汗を拭き拭き対応していたかと思うと漸く受話器を置いた。
 その姿を横目に、翠は開いている窓の隙間から静かに身体を滑り込ませた。カーテンの陰に身を隠す。
 ひとりでイライラしながら行ったり来たりしている堀内の背後に、突然、声を投げ掛ける。
「何をそんなにイライラしておいでですの、堀内社長」
 ビクッと反応した堀内が室内を見回す。
「……だ……誰だっ!」
「お嬢さんの幸せよりも、可愛がっていた部下の命よりも、自分の身を優先した結果、に怯えていらっしゃるのかしら?」
「……な、何を言ってる……!……誰なんだっ!……姿を見せろ!」
 カーテンの陰から静かに姿を現わした女に、堀内は驚きの目を向けた。呆然とした一瞬の後、怒声を浴びせる。
「貴様!どこの誰だ!一体、どこから入りおった!誰の許しを得て……!」
 顔を真っ赤にして喚く堀内を、冷たい目で見遣り、翠がくすくすと笑う。
「何が可笑しい!」
「……表玄関から……」
「……何……?」
 質問に答えたのに、と翠は冷笑した。
「それよりも貴様、何者だ!わしを誰だと思って……」
「あら、私のことがおわかりになりませんの?」
「……何……?」
 全くわからない様子の堀内。マヌケ面を曝していることにも気づく様子はなく、翠は再び込み上げる笑いを堪えることが出来ない。
「かなりラフな格好で失礼しますわ、堀内社長。先日もお目に掛かりました、夏川です」
 嫌味を交えて名乗ると、マヌケ面が更にポカンとする。
「……夏川……くん……?」
 艶やかな笑顔で頷き、数歩、堀内に近づいた。
「……一体、どう言うつもりだ!勝手に侵入したりして……それにさっきの台詞は……」
「……ご挨拶に参りましたの」
「……何だと?一体、何の挨拶だ!」
 途端に、翠はいつもの硝子玉のような目になった。その冷たさに、堀内が一瞬怯む。
「……これが最後になるかと思いますので」
「………何………!?」
「……仲間の皆さんが待っていらっしゃいますよ」
「……仲間?」
 堀内の顔が警戒心丸出しになり、翠を睨み付ける。
 ……須田隆則(すだたかのり)、柳沢勝(やなぎさわまさる)、そして、黒川莞二(くろかわかんじ)、が……」
「何っ!?」
 驚愕する堀川に、翠はふわりと笑いかけた。
「貴様……何者だ!?誰に頼まれてこんなことをしている!?」
 
 熱り立つ(いきりたつ)堀内の顔を見つめながら、翠はただ微笑んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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