社内事情〔47〕~秘密2~
〔大橋目線〕
*
片桐が打ち出した策が動いて三日目。
実力も然ることながら、執念の成せる技か、片桐と北条くんの怒涛の快進撃が続いている。
打率で言えば、片桐は三割五分を超え四割に近いし、北条くんも二割五分を超えそうなところ。もちろん、その中にはR&Sから手を退いた、と言う段階に留まっているところもあるが。
こんなに短期間で覆せる企業がいる理由のひとつは、やはりR&Sに対する疑惑や不信感の表れでもあるだろう。リチャードソン社長とはあまりに違い過ぎる流川たちの遣り方は、一部企業からは不評のようだ。
そんな中、おれはひと気が疎らになった遅い時間、片桐がひとり、休憩を取っているのを見計らって声をかけた。先日、メールで前振りした話を、結局、時間に押されて未だに話せないままでいたからだ。
「片桐課長。遅くまでお疲れさまです」
おれの声に振り返り、
「何だよ、改まって……」
警戒している風を装ってふざけた口調。顔がヤンチャ坊主のようになる。特に周りに誰もいないと、片桐はおれ相手でもこんな顔を見せるのだ。
「ちゃんと食事と睡眠摂ってるのか?身体を壊したら元も子もないし、おれたちだって困る」
おれは本心から言ったのだが、あからさまに気持ち悪そうな顔をされた。
「おい、真面目に訊いてるんだ。おれだって少しくらい、人の心配もする」
文句を言うと少し驚いた顔をし、すぐに相好を崩す。こんな顔をされたら、女性なら大抵イチコロだろう。男のおれでさえ、つられて笑いそうになるくらいだ。
「……悪い。大丈夫だ。昼間、交代で仮眠も摂ってるし、食事はむしろ前よりバランス良く食ってると思う」
その答えに、先日の電撃報告を思い出す。
「……そうか……そうだった。今のきみにはガッチリ健康管理をしてくれる力強い味方がいるんだったな」
クスリと笑いながら言うと、からかわれたと思ったのか途端に面白くなさそうな表情。こう言うところが本当に憎めない。
「自分から振っておいて不貞腐れるなよ。突っ込んで欲しかったんだろ?」
笑いを堪えながら突っつくと、拗ねたようにおれを睨み付けて来る。そんなにわかりやすく反応されると、堪えている笑いが洩れそうになるじゃないか。
だが、本題はこんなことじゃない。おれが話したかったことは。頭の中を切り替える。
「……少しいいか?」
「何だよ?」
急に態度を変えたおれを訝しむ片桐に、訊こうと思っていたことを少し躊躇いながら切り出した。
「……10年前の件、社内にあらぬ噂を流し、大事にしたのは流川麗華なのか?」
瞬間、片桐が全ての動きを止め、息までも飲み込んだ。硬直したような間の後、少し俯き、自嘲気味に笑う。
「……わかっちまったか。まあ、もう今さらだからいいけどな。……さすが大橋だな」
(おれが専務から聞いた、とは思わないのか?)
不思議に思いながら、何気なく、
「いや……専務からお聞きしたんだ。確実ではない、と念押しされながら」
そう答えると、片桐が一点を見据えて瞬きを止めた。片桐のその表情だけで、おれには彼の考えが読めてしまった。片桐は、専務は知らなかったこと、自分しか知らなかったこととして話していたのだ、と。
専務が知らなかったことにしておけば、もし話が公になったとしても、何も知らない第三者から「何故」と専務が言われることもない。何だかんだ言いながら、片桐はちゃんと専務の顔を立てているのだ。本人が意識していようと、いまいと。
「……専務は責任を感じていらっしゃる。だからこそ……今度こそ終わらせようとしているきみの言うことは、どんなことであっても受け入れるだろう。……きみの身に心配がない限りは」
片桐は黙ったまま下方の一点を見つめていた。
「……片桐、きみ……まだ他にも、何かひとりで抱えてるものがあるんじゃないか……?」
一番、訊きたかった核心部分。一点を見つめていた片桐が瞬きを止める。
「……何かあるんだな?」
何も答えない片桐。だが、おれは確信した。
「……片桐……!もう、今さら隠していたところで意味のない過去のことだ。今回で本当に全てケリを付けるつもりなら全部話せ……!話してくれ……!気づけなかったおれが言えた義理じゃないが、きみがひとりで背負う必要などないことだ……!」
片桐はずっと下方をみつめたままだった。
「……おれたちでは無理か?きみの手助けとなれるほどには……」
迷っているのか、考え込んでいるのか、その表情からは読み取れない。
「……片桐……!もう少し、おれたちを信じて頼れ……!」
そのひと言に、何故か片桐が反応を示した。ゆっくりと顔を上げ、おれの方に目を向ける。
「……信じていない訳じゃない。……いや……信じている。……だが……言えないこともある。それはある人との約束だからだ。その人自らが話すまでは決して明かさない、と」
そう言って片桐は、再び目線を下方に向けて目を瞑る。
その言葉を聞いて、おれにはその『ある人』が誰なのかわかってしまった。片桐にそこまで言わせる人……それは……。
(……社長との約束なのか……どうりで……)
わかってしまった以上、その件について問い質すことはできなかった。それはおれにとっても社長への裏切りになるから。
「……ならば、五年前のことなら?」
「……五年前?……何だ?」
質問を変えたおれに、片桐が不思議そうに顔を上げた。
「……異動の件だ……藤堂くんの」
ハッとした顔でおれの目を凝視する。
「……あの時、何故、藤堂くんの異動を願い出たんだ?タイプこそ違えど、きみに次ぐ営業になるだろうと、あれほどに目を掛けていたのに……何故、きみの方から手放したんだ?」
片桐は唇を噛んで俯いた。握った拳が震えている。
「……何か、があったんだろう?」
おれは片桐が自分から話してくれるのを待った。おれを、おれたちを『信じている』と言ってくれた片桐なら、きっと話してくれると信じて。━と、片桐が顔を上げ、重い口を開いた。
「……おれが奴らの誘いに落ちない、と痺れを切らした流川とコリンズは……」
そこで言葉を区切り、少し目を伏せる。
「……藤堂に目をつけたんだ」
おれは息を飲んだ。
「……そんなに藤堂のことを知っていたはずはない。だが調べたんだろう……おれの弱味をとことん探すために」
「……だが、目をつけた、と言っても……」
おれの言葉に、
「おれの元にいる時はいい。だが、数年経てば、おれも赴任せざるを得なくなるだろう。そして、いつかは藤堂も……彼の実力ならその時は遠くなかったはずだ。それは容易にわかる」
片桐は背を向け、そのまま話を続ける。
「数年も経てば藤堂も強く大きくなる……そんなことはおれが一番わかってる!藤堂ならトップにだってなれる!……だが!」
片桐の声が次第に大きくなって行った。抑えていたものがあふれるように。
「実力だけで何とかなるほど、奴らは綺麗な手は使って来ない。いや、むしろ汚ない手など何とも思っちゃいない。奴らと相対するには藤堂の内面は……純粋過ぎる……」
大きく息を吐き、片桐は宙を仰いだ。
「……それが藤堂のいいところだ。おれはそのまま伸びて欲しかった。だが、あの段階で流川と関わっていたら『営業』としてだけではなく、間違いなく『人』として潰されてしまっただろう」
おれは何も言えなかった。だから片桐は、あの時、あれほどまでに強硬に徹底抗戦を主張したのか……そう思う以外には。
「……あの時のおれには、他の方法が見つけられなかった……焦っていたんだ……」
「……仕方のないことだ……その状況じゃあ、誰だって焦るさ……」
やっと出たおれの言葉に振り返り、苦笑いを浮かべる。
「社長も専務もとどめを刺すことに消極的だったし、藤堂のことも「そこまではしないだろう」と言う考えだったからな……おれとしては最後の手段のつもりだったんだが……もし、これも却下された時には……」
思い定めた表情を浮かべ、
「……ここを去るつもりでいた」
静かに、だが、はっきりと言い切った。
「……ここを辞めてどうするつもりだったんだ……?」
驚きで息を飲んだおれは、浮かんだ疑問を何とか言葉として繋げる。
「……さあな……」
他人事のようなその答えに、おれは片桐の覚悟を垣間見た。その時には、恐らく片桐は単独で流川たちを潰す気でいたのだろう。
藤堂くんの異動を願い出た時の片桐の様子を思い出し、返す返すもおれは気づけなかったことを悔やんだ。
「……それと、藤堂のことだけではなく、あの時はもうひとつ、それ以上に心配なことが……」
━と、片桐が妙に気になることを言い出したその時、室外に人の気配を感じる。片桐とおれは同時に扉の方を見た。
「……誰だ?」
片桐が低い声で問う。姿を現さない相手に痺れを切らし、おれは扉を開け放った。すると、そこに立ち尽くしていたのは、呆然とした顔の藤堂くんだった。
「……藤堂……」
珍しく狼狽した片桐の、呟くように小さな声。
おれも声を出すことは出来ず、藤堂くんの顔を見つめる。
三人が三人とも固まったまま、時間が止まったように、ただ立ち尽くしていた。
~社内事情〔48〕へ~
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