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〘異聞・阿修羅王23〙火蓋

 
 
 
 阿修羅王が兵を挙げた、との報に、いきり立つ者、奮い立つ者は皆無だった。

 それだけに留まらず、八部衆にしろ四天王にしろ気が重い戦いでしかなく、兵たちに至っては震え慄き、戦意も喪失。仮にも立后と言う慶事を、喜ぶ暇(いとま)すらない有り様となった。

「……あやつのことだ。本気で来るだろうな」

 八部衆の一人・夜叉王(やしゃおう)が、誰にともなく呟いた。唇を締め、迦楼羅王(かるらおう)が顔を俯ける。

「うむ。同じ八部衆の一員である阿修羅と戦いたくない、と言う思いはさて置き、そもそも我らではあやつの相手にならぬ。阿修羅族の者たちと交えるだけで手一杯……結局、まともに交戦出来るのは、四天王様たちとなろう」

 実際、八部衆で戦闘に向いているのは、夜叉王、龍王(りゅうおう)、せいぜい迦楼羅王くらいまでで、それも上級の魔族相手となると、単身での戦闘は厳しかった。

「いや、そもそも、我らなど眼中になかろうがな……」

 八部衆の大半は楽師などを担っており、主な役目は戦闘ではない。守護者たる力は持ち合わせているため、弱い訳ではないが、強いとも言えない。元々、闘神として在り、戦闘力を兼ね備えた阿修羅とでは比べ物にならなかった。

「しかし、インドラ様が阿修羅の性格を知らぬはずはない。それを、あのような……こうなることは、おわかりになられたであろうに……」

 黙って聞いていた夜叉王の脳裏に、ふと、かつて阿修羅が言った言葉が浮かぶ。

『私と立ち会いたいのだそうだ』

 よもや、とは思う。まさか、それだけのために、天を分かつ振る舞いをしたなどと考えたくはなかったし、阿修羅がむざむざその策に乗ったとも思えなかった。

「それよりも、可哀想なのは舎脂(しゃし)の……いや、舎脂様でいらっしゃる。このような形で、夫と父が争う様を見る羽目になるとは……」

 龍王の言葉に、少し離れたところにいた乾闥婆王(けんだっぱおう)が目を瞑った。

「……阿修羅王には、何か思うところがあるのだろう」

 瞑目したまま、何か思い当たったように口にする。

「何か、とは……?」

「確かなことは言えぬ。だが、これまで幾度も繰り返した忉利天(とうりてん)の……須彌山(しゅみせん)の興亡を顧みるに、阿修羅王は我らと違い、この刻の往く末が見えているような気がするのだ」

 全員が固唾を飲む中で、乾闥婆王は伏せ目がちに、そして控えめに答えた。

「阿修羅王にだけ見えていると言うのか……?」

「もしや、の話だ。私にはそう思える、と……」

 驚いた天王の問いかけに、あくまで想像の域を出ないことを前提に答え、瞼を上げる。

「……見通しているのやも知れぬ。だが、もし、そのために必要なことなら、我らも天命と……甘んじて受けねばならぬ……」

 静かに立ち上がり、続けた。

「全力を以て向かわねばならぬだろう」

 乾闥婆王の背を見送りつつ、誰もがその予測は大方間違っていない、と受け止めた。

「インドラ様と阿修羅の戦いは、避けえぬものなのか……」

 釈然としないままに、阿修羅一族の軍勢は須彌山中腹を超え、刻々と善見城(ぜんけんじょう)へ迫っていた。

「羅刹(らせつ)。そなたは直属の者を従え、四天王に当たれ。恐らく、毘沙門天(びしゃもんてん)は城にいるだろうが……他の者は八部衆に当たらせよ。私は城に向かう」

「御意」

 前方には、忉利天を、善見城を守る兵たちが埋め尽くさんばかりにいた。それを目にし、阿修羅は身軽に動くために羅刹に指示を出し、全権をも委ねる。

 一方、阿修羅軍と対峙したインドラの兵たちは、見間違いかと目を見張った。

「あれは……阿修羅王か?」

 彼らは決して、阿修羅が先鋒にいることに驚いた訳ではない。

「この……真の戦に際しても、あのお姿なのか……」

 風を切って迫り来る阿修羅の姿は、武装するでなく、特に普段と変わらぬ様相だった。

『身を守るための護身具など不要』

 そう言われていることは明白。数で勝っているなど威嚇にならず、むしろ恐れを知らぬ様に、対する兵たちの方は腰が引けていた。

「往くぞ……!」

「ご武運を!」

 後ろに続いていた羅刹に告げ、阿修羅は地を蹴るように速度を上げ、兵たちから離れて飛び出した。

「退くな! 阿修羅王を食い止めよ!」

 だが、一斉に斬りかかった兵は、訳もわからぬままに弾き飛ばされていた。あっという間に通り抜けて行く阿修羅は未だ剣すら抜いておらず、兵たちは本当に己がただ弾き飛ばされたのだと知る。

「邪魔をするな……! 私の前に出れば容赦はせぬぞ……! 死にたくなくば……」

 呟く阿修羅の前に、第二波の兵が飛びかかって来た。

「……っどけぇぇぇーーーっ!!」

 咆哮と共に、飛びかかった兵だけでなく、周囲に散らばっていた者たちも岩に激突したように飛ばされる。

「もっと兵を集めよ!」

「無理です! あちらで交戦している者たちも手一杯です!」

 状況報告が矢のように飛び交う中を、阿修羅はひたすら真っ直ぐに城を目指した。

(……この気配……奴か……?)

 その時、阿修羅の真正面から、ものすごい勢いの何かが放たれた。

「…………!」

 気づいた阿修羅が、交差させた両腕を左右に薙ぎ払う。

 鉄同士が打ち付け合うような音と共に、阿修羅に襲いかかった『何か』は霧散した。だが、両腕からは何かが燃えたような煙が棚引いている。

「毘沙門天……!」

「阿修羅王よ。如何なる理由があろうと……例え八部衆であろうとも、インドラ様に歯向かう者に容赦はせぬ。覚悟は良いな……!」

 阿修羅の予想通り、目の前に立ちはだかったのは毘沙門天であった。
 
 
 
 

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