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社内事情〔9〕~ざわつく心~

 
 
 
〔里伽子目線〕
 
 

 
 
 軽井沢に向かう車の中、一見、課長の様子はいつもと変わらなかった。あくまで、一見、だけど。

 運転している課長の横顔を盗み見ると、時折、前方に向けた視線が固く固く定まっているのを感じる。何を、どこを見ているのかわからないくらいに。

 考えているのは、これから出席する定例会のこと?米州部の仕事のこと?

 ━それとも。

 それとも、さっきのこと?さっきの、あの女の人の━。

 思いもかけずに遭遇した、課長とその女の人が向き合う現場。

 どうすればいいのかわからないまま、私は立ち尽くし、課長とその人の様子を見ているしかなかった。

 (どうしよう……声、かけずらい……)

 柱の陰で固まって様子を窺っている、なんて……覗き見で何か気分が重い。だけど━。

 課長がしきりに後ろを気にしているのがわかる。あの感じは私に、早く来てくれ、って思ってるに違いない。

 だって、課長にしては珍しく、背中から助けを求めてる感が溢れていたから。

 私は演技力総動員で、さも走って来たように足音を鳴らしながら呼びかけた。

 「片桐課長!お待たせして申し訳ありま……」

 振り向いた課長の、その表情。ばつが悪そうでいて『助かった』と言う安堵感、そして、その中に妙に嬉しそうな様子が見え隠れしている。

 「……し、失礼しました。お客様でしたか」

 その言葉に、ホッとした様子で私を招き寄せた課長は、

 「寄木さん。直属ではありませんが、海外営業部の今井です」

 『その人』に私を紹介し、私の方に向き直ると、

 「今井さん、こちらは以前、我が社の経理を担当されていた寄木さん……今はご結婚されて戸倉さんと仰るらしい」

 気のせいなのか、「らしい」を心持ち強調するように紹介してくれた。

 「海外営業部の方……そうでしたか。はじめまして。戸倉と申します」

 目を細めるように、私の顔を見つめながらの丁寧な自己紹介。

 「先輩でいらっしゃいましたか。はじめまして。アジア部の今井と申します」

 私も無難に返す。

 「そんな大層なものではありません。ほんの数年しかお世話になっておりませんから……。今は、海外営業部にも女性の方がたくさんいらっしゃるんですか?」

 「米州部は男所帯ですが、現在は欧州部とアジア部併せて4名が所属してます」

 課長が急いたように答えた。嬉しそうに頷く『戸倉さん』に、

 「より……戸倉さん、申し訳ない。我々はこれから出張に出なくてはならなくて……」

 そう告げる様は、早く切り上げたくて堪らない、課長の気配を肌で感じる。

 ……とは言え、私が口を挟む訳にも行かず、黙って二人のやり取りを見ているしかない。

 「主人の用事で近くまで来たら、つい懐かしくて……お忙しいところ、お引き留めしてすみませんでした」

 「いや、こちらこそ。久しぶりにお会いしたのに時間を取れず申し訳ない」

 「とんでもないです。お会い出来て良かった。どうぞお気をつけて……部長たちにもよろしくお伝えくださいませ」

 「ありがとうございます」

 自己紹介と同じように、丁寧な言葉と会釈を残し、『戸倉さん』は去って行った。

 後ろ姿を見送った課長は、突然、我に返ったように私の方へ向き直って目配せした。

 課長が開けてくれた助手席の扉から車に乗り込むと、いつものように私が足を入れたのを確認して運転席に回り込む。

 車が走り出した時、歩道の方を見ていた私は、タクシーを掴まえていたらしい『戸倉さん』が、走り去る私たちの車を静かに見ていたことに気づいた。

 それから関越道、上信越道を通って軽井沢に向かう車中。

 時折、以外はほぼ普段通りの課長で、たぶん他の人から見たら何ら変わりないだろう。

 「寒くなったし、また帰りに温泉でも寄って来るか」

 妙にウキウキした様子で切り出す課長。

 「それはいいですけど……もう貸し切り風呂とかイヤですよ」

 この間のことを思い出して釘を刺す私。

 「里伽子~……そんなこと言うなよ。おれはそれを楽しみにしてるのに」

 そんな会話もいつもと変わらないのに。

 あの戸倉さん……寄木さんと言う人は、うちの社員だった、と言う以上に、課長とはどんな関係だったんだろう。

 ……もしかして、課長の昔の恋人?

 その可能性がない訳じゃない。なのに、私は何故だか、その可能性に信憑性を感じないのだ。

 戸倉さんの方は、例え今は結婚しているにしても、課長にひとかたならぬ心を寄せていたのがハッキリとわかる。社員として働いていた頃は、間違いなく課長のことが好きだったに違いない。

 普通だったら、ここ、私がメチャクチャ疑うシチュエーションじゃない?それなのに、課長の方にはその気配を微塵も感じない。

 課長から感じたのは。

 『早く話を終わらせたい』

 『早く離れたい』

 『出来るなら会いたくなかった』

 そのことばかりで。

 もし、戸倉さんが課長の昔の恋人だったとしたら。

 例えどんなことがあったにしても、かつて一度は大切に思っていた人に、課長があんな様子で接するだろうか。

 私にはそこが引っかかる。

 でも逆に、そうじゃなかったとするなら、じゃあ一体どんな関係だったのだろう。

 ただの昔の同僚、と言う訳はない。何か……何かがあったに違いない、と思う。課長のあの様子は、少なくとも私は初めて見たから。

 それが気のせいでなかったことは、その夜、定例会が終わってからハッキリとわかった。

 と同時に、突然、戸倉さんが現れたその理由も知ることになる。
 
 
 
 
 
~社内事情〔10〕へ~
 
 
 
 
 
 
 
 

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