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かりやど〔参拾弐〕

 
 
 
『 も う も ど れ な い 』
 
 

 
 
その身を引き上げるためになら
この身は堕ちてもかまわない
 
 

 
 

 目を覚ました昇吾は、まだ半分夢の中にいるようであった。
 
 何となく頭も身体も重く、ぼんやりしている。そして、何が、とは言えないが、確かに感じる違和感。変な夢を見ていた気もしていた。いや、それともこれが夢なのか、とすら思う。
(……何だろう、この感じ……まだ夢を見ているのか……?)
 だが、見下ろせば、美鳥はちゃんと腕の中にいて、いつもと変わらぬ寝顔。直に触れる肌の温もりも間違いなく感じる。
(……夢じゃない……)
 何となく、腕の中が空っぽのように感じたのは気のせいだったのか、と安心し、美鳥の髪の毛に鼻を埋めた。あたたかさとやわらかさが心地好い。
 ふと気づけば、カーテンの隙間から感じる光は仄かだった。まだ目覚めるには早い時間だとわかると、途端に瞼が重くなる。
 
 そのまま意識を引きずられ、昇吾は再び微睡みの中へと吸い込まれて行った。
 

 
 ひとりで部屋を抜け出した美鳥が表に出ると、マンションの前に一台の車が止まっていた。その傍には男と思しき影がふたつ。
 
「美鳥さま。お久しゅうございます」
「本多さん、久しぶり……顔を見るのは、ね」
 影の主のひとりは本多であった。美鳥の言葉に頭(こうべ)を垂れる。
「お元気になられて何よりです」
「うん、ありがと。ところで……」
 もうひとりの影の主に美鳥が目を向けると、本多が目で男を促した。
「美鳥さま。これは今、私のすぐ下におります。伊丹(いたみ)とお呼びください」
 本多の紹介に立て膝までつき、
「はじめまして、美鳥さま。お目にかかれて光栄です。本多様の仰る通り伊丹とお呼びください」
 丁寧過ぎる程の自己紹介。
「……伊丹、ね。私は美薗って呼んでもらう時もあるけど。ま、その時によるかな……よろしくね」
 ふたりの顔合わせが済むと、本多が車のドアを開けて美鳥を促した。伊丹が助手席に乗り、本多は美鳥の隣に乗り込む。
「概要はお話しした通りです」
 言いながら美鳥の傍に灯りを点し、数枚の書面を手渡した。
「……のって来たんだ?」
 書面に目を通す美鳥の、前置きなしの質問に本多が頷く。
「話を聞いてから決める、とは言ってましたが」
「……まあ、そりゃ、そうだよね」
 その時、
「何故、こんな交渉に、わざわざ美鳥さまが出向くのですか?朗さまも抜きにして……」
 ふたりのやり取りを聞いていた伊丹が率直に疑問をぶつけた。
「……伊丹!」
 出過ぎたことを言う伊丹を、本多が叱責して暗に窘める。
「別にいいよ、本多さん。……ちょうどいいから本多さんにもハッキリ言っとくね」
 平然としている美鳥。
「これから、松宮家の事件については、全部私が指示を出すから。朗には……まあ、朗次第だけど、補助してもらうかな、って、そんくらい。今まで通り朗の言う事は聞いてくれてて構わないけど、最終的な始末に関しては私から指示を出すから」
 美鳥の言葉に、本多は少しの反応も見せなかったが、伊丹は微かに息を飲んだ。
「……意味、わかる?今後は、朗にはヤバい決断はさせない、って事だから」
 念押しする美鳥に、伊丹は何と返事すれば良いのか迷う。
「……それがいいでしょう。本来、朗さまは松宮とは無関係。あくまでも昇吾さまの代わりを務めてくださっていただけですから。美鳥さまが動いてくださるのなら、それが本筋の指令系統と言う事になります」
 代わりに本多が全てを答えると、
「……そーゆう事」
 美鳥の言葉には、相変わらず何の感情もこもっていなかった。
 
 そうこう言っているうちに車が速度を落とした。前方には、使われているのかわからないような、倉庫と思しき古びた建物が数棟。
「……あそこが指定された場所です」
 本多の簡潔な説明に美鳥が頷く。
 どう見ても廃墟に見える資材置き場──だったと思われる空間。
「美鳥さま。少し中でお待ちください」
「……わかった」
 車を停めさせた本多が伊丹に合図し、まずはふたりが降りる。少しだけ窓を開け、中から様子を見ていた美鳥は、伊丹と言う男は受け答えは未熟だが、場慣れはしている、と感じていた。
(……最初はちょっと大丈夫かな、って思ったけど……案外、場数は踏んでるかな?……その他は……まあ、本多さんと比べちゃ可哀想か……)
 その時、車のライトが点灯し、少し離れた暗闇から美鳥たちの車が照らされた。先に来て様子を窺っていたらしい。
「……高州(たかす)……?」
 本多が訊ねる。
「……そうだ。俺を呼び出したのはあんたか?」
 ライトのせいで姿は良く見えないが、若い男のものと思われる声が響いた。
「……そうだ」
 感情のこもらない声で本多が答える。
「……一体、何の用だ?」
 苛立ちと疑問、そして警戒を含んだ声音。
「……それに関しては……」
 本多がドアの前から逸れる。
「私から話すよ」
 伊丹がドアを開けると、降りながら美鳥が答えた。
「………………!」
 突然、聞こえた女──しかも少女のような声に、高州と呼ばれた男が驚いて息を飲む。
「……はじめまして、高州さん?」
 本多と伊丹の間に美鳥が立った。
「……声からすると小娘じゃねぇか。……俺に何の用だ?」
 ふたりの陰に入り、高州からは美鳥の姿はほぼ見えないため、声のみで判断するしかない。故に、高州の声には苛立ちと警戒が溢れていた。
 美鳥はそんな高州の様子など気にも止めず、艶やかに笑った。当然、それも高州には見えないのだが。
「あなたが頭やってるグループ……黒川玲子から仕入れた薬(やく)で稼いでるけど、最近取り分で揉めてる、って事で間違いない?」
 表情は見えないものの、高州が身構えたのが美鳥たちにもわかる。
「それも、玲子が他のとこの頭といい仲になって、そっちに回したいがための尻尾切り。それで他の事に手を出そうと検討中……ってことでいいのかな?」
 全く構わずに美鳥は続けた。高州が動いた事で、遠巻きにしている仲間が見え隠れする。
「……小娘……何が言いたい?何が目的だ?」
 凄みのある声を放った。
「訊いてるのは私の方だよ」
 平然と返す美鳥に、高州が一瞬気圧される。
「……小娘が……!」
 高州の声が怒りで震えた。が、それにも構わずに美鳥が続ける。
「……間違いなさそうだね。……ってとこで提案があるんだけど?」
 しらっと言う美鳥に、身構えた分、拍子抜けする。
「……提案だと……?」
「そうだよ」
 本来なら、高州と言う男は美鳥のような『小娘』の話など聞きもしない。だが、代理でコンタクトを取って来た本多に目を向けた。
(……あの男、ただ者じゃねぇ……。小娘とは言え、この男たちを手足のように使っている……)
 話を聞いてから考えても遅くはないと判断する。
「……とりあえず聞こうじゃないか……その提案、とやらを……」
 美鳥の口元が妖しく微笑んだ。
「……切られる前に切る……黒川玲子をあんたの方から切り捨てて、ついでに今後の軍資金も手に入る、ってプランはどう?」
「……どう言う事だ?」
「私があなたを雇う、って事」
 反応は一瞬遅れた。
「……なんだと……?」
「手短に言うと、黒川玲子を始末しちゃわない、って話」
 更に反応が遅れる。
「……俺たちに玲子を殺れ……って事か?」
「そーゆう事だね」
 躊躇いも何もなく即答。
「……何のために?」
「それはこっちの事情。でも、恨みを買う理由ならいくらでもありそうでしょ?噂に聞く『黒川玲子』さんは。だから、出来るだけお楽しみ戴いてからお願いしたい、ってのが条件かな」
「……生憎、あの女は俺の好みじゃないんでな」
 反応を窺うように高州が答えると、美鳥はクスクスと笑った。
「この際、好みは関係ないと思うけど……まあ、そこそこ美人みたいだし、第一、目的はそこじゃないし?でも、まあ、それなら、あなたは兎も角、お仲間さんたちはどう?中身は別として美人を好きなように出来て、しかも大金が手に入る……魅力は感じないのかな?」
「金だけの問題じゃねぇ!殺しまでするにしては信用出来ないんだよ!大体、大金っていくら払うつもりでいるんだ!」
「あなたのお仲間は何人?」
 怒鳴り声にも全く動じた様子はない。
「……常時、周りにいるのは十人ってとこか……」
「じゃあ、ひとり頭こんくらいでどう?」
 美鳥が手を広げ、前方に突き出した。
「五十万?……お前……」
「ゼロが足りない。ゼロ六個だよ」
「……五百万!?ひとりにつき五百万払うって言うのか!?十人で五千万だぞ!」
「そんくらいで驚くの?黒川玲子によっぽどボラれてたんじゃない?」
 あっけらかんと言う美鳥に、高州の警戒心が高まる。
(……何者だ、この小娘……)
 考えあぐねる高州の様子に、美鳥が追い討ちを掛けるように続けた。
「……じゃあ、ひとつオマケつけようか。こっちも多少の手札を出すよ」
「……オマケ?」
「コトが見事完遂された暁には、あなたのお相手は私がする、って事でどう?」
「………………!」
 高州は絶句した。ますます何を考えているのか混乱する。
「黒川玲子はあなたのお眼鏡には適わないんでしょ?」
「……ふざけんな!お前、まだガキだろうが!俺はいくら何でもガキには興味ねぇ!……大体、お前、男知ってんのかよ!面倒くせぇのはもっと御免だ!」
「だからぁ……それも含めて自分で確かめてみたら?…………それとも……」
 美鳥が一歩踏み出すと、壁のように立ちはだかっていた本多と伊丹が左右に動き、美鳥が通れる程度に間を空けた。
 少しずつ、前に歩いて来る美鳥の姿がはっきりとして来る。
「私じゃご不満?」
 表情が目視出来る程度まで近づいた美鳥が、高州に向かって真っ直ぐに微笑んだ。高州が思わず息を飲む。
 ともすれば、子どものように見えなくもない上、細すぎる感は否めない。だが、しなやかでメリハリはある身体、白い肌、やや中性的ながら華やかな顔立ち。
(……子どもなのかおとななのかわかんねぇな……)
 だが、何より、その小さな身体からは想像も出来ない、不思議な雰囲気を発している。
「如何?」
 断られるはずがない、と言うニュアンスを感じる物言い。
(おもしれぇ……)
 高州の中に、ある種の競争心が湧いた。この高飛車で自信ありげな小娘をひれ伏させたい、そんな嗜虐心にも似た感情が。
「……おもしろい……いいだろう」
 互いの心の境界で火花が散るような瞬間、美鳥の口角が上がった。
「契約成立。黒川玲子を呼び出すところまではこっちでやるよ。実行は水曜日。場所は追って彼から連絡させる。……オッケー?」
「……わかった」
 美鳥が本多に向かって合図すると、トランクを持って近づいて来る。美鳥の隣に立ち、トランクの中を高州に見えるように開いた。
(……いきなり現ナマかよ……)
 手の中に汗が滲む。
「手付金の二千万。残りの三千は完遂時に払うって事で」
「……いいだろう」
 平静を装う高州が手で合図すると、離れて隠れていた仲間のひとりが受け取りに近づいて来た。手渡したのを確認し、美鳥は背を向けて車まで戻ると、「じゃあ、よろしく」とさっさと乗り込む。
 本多たちが乗り込むと、高州とその仲間を残し、車はその場を後にした。
 
「黒川玲子を呼び出す手筈は出来てるよね?」
 美鳥が訊ねると、頷いた本多が段取りを説明する。
「高州たちの後がまのリーダーといい仲、と言うのは建前で、婚約に持ち込もうと目論んでる本命の男……その男に黒川玲子を呼び出してもらう予定です」
「……可哀想にね」
 全く感情のこもらない声で美鳥が呟いた。
「その男は大切な女を守れなかった上に、自分もボロクソになる訳だ……まあ、黒川玲子を大切に思っているかは知らないけど」
 鼻で笑うかのような台詞。
「後がまのリーダーの方は?」
「黒川玲子の件が公になってから、タイミング良く情報を流します」
「……了解」
 
 マンション前、先ほどと同じ位置に車が停まる。
「じゃあ、水曜日に。よろしくね」
 手を振りながらも、振り返りもせずに入って行く美鳥の後ろ姿を見送る本多と伊丹。
「……伊丹」
「……はい」
「覚えておけ。あれが松宮直系の血だ」
 伊丹が横目で本多の横顔を盗み見た。
「それがあればこそ、私たちの存在意義が確かなものになると言う事だ。忘れるな……この道で生きて行くつもりなら……」
 本多は美鳥が消えた方を向いたまま、まるでひとり言のように言う。
「……はい……」
 同じ方向に視線を戻した伊丹の返事に、本多は硬い表情のままであった。
 
 静かに部屋に入り、昇吾の様子を確認した美鳥は水を飲み、シャワーを浴びた。
 抜け出た時と同じように服を脱いだまま、猫のようにするりと昇吾の腕の中に滑り込む。
「…………う……ん…………」
 寝言を洩らすも目を覚ます気配はない。だが無意識に、潜り込んだ美鳥の身体を自分の胸の中に巻き込んだ。それが自然であるかのように。
 
 昇吾のその寝顔を、しばらく見つめていた美鳥は、直に夜が明けていくのを感じながら眠りについた。
 
 
 
 
 
 
 
 

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