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〘異聞・阿修羅王24〙本性

 
 
 
 矢を番え、毘沙門天(びしゃもんてん)は阿修羅に焦点を定めた。

「これも運命(さだめ)……恨むでないぞ……!」

 低く呟いて放った矢が、周囲の空気を巻き込んで更なる勢いを纏い、龍の如く咆哮を上げて襲いかかる。

「フッ……」

 己の正面から迫り来る矢に、阿修羅は怯むどころか、残酷なほど艶美な笑みを浮かべた。

「私をたかだか八部衆と甘く見たか? それとも、哀れんで情けをかけたか? ……笑止! 毘沙門天ともあろう者が……ぬるいわ!!」

 叫ぶと同時に左手を払う。

「…………!」

 龍に変化(へんげ)した矢が一刀両断にされ、一瞬で塵と散らされた。信じられない物を見たように、毘沙門天の眼(まなこ)が瞬きを忘れ、見開かれる。

「お前の得意とするは矢ではなかろう!」

 嬉々として言い放つと、一気に毘沙門天との距離を詰め、今度は右腕を振るった。

「…………!」

 鈍い金属音が響き、火花が散った。寸でのところで、毘沙門天の手には如意棒(にょいぼう)と呼ばれる宝棒が現れ、阿修羅が放った日の剣・日輪刀の一撃を受け止めている。

「くっ……!」

 だが、日輪刀の攻撃の重みに勢いを逃がせず、毘沙門天の巨躯が後ずさった。

「格下相手と出し惜しむからだ! お前の真の力、それでは出せまいぞ!」

 余裕の笑みで返す左の手が、今度は月の剣・月光刀を振るった。先刻、龍の矢を一刀両断したそれが、毘沙門天の胸元を掠める。

(速いっ……!)

 調子を掴もうとするも、さすがの毘沙門天も避けるだけで一苦労だった。両腕から縦横無尽に繰り出される剣に翻弄され、どうにも立て直しが効かない。

(一度、間合いを取らねば……!)

 大きく振り被った宝棒を、阿修羅が受け流した一瞬の隙、それは三叉戟(さんさげき)に変化した。

「……むっ……!」

 長さのある三叉戟との間合いから出るため、阿修羅が一旦距離を取る。

「……お前の得意とするところだな。ようやく本気になったか……!」

 毘沙門天の背を冷たい汗が流れた。言い放った阿修羅の、『嬉々とする』としか表現し得ない表情に、北方守護神が気圧されそうになる。

(やはり、こやつの本性は闘神……!)

 剣を持った両腕を、左右に大きく広げて立つ姿は、傍からすると無防備にさえ見えた。だが、闘気を纏う阿修羅を前に、毘沙門天の中に流れる守護神としての本能も滾る。

(通らせぬ……!)

 三叉戟を振りかぶると同時に阿修羅が動き、風を裂くように空(くう)を突進して来る。

「インドラ様の下には行かせぬ!」

 三叉戟を避け、踏み切った阿修羅が宙を舞った。毘沙門天の頭上を一回転しながら、両腕が剣を振るう。

「浅いわ!」

 すれすれの所を鋒(きっさき)が掠めるも、入ってはいなかった。だが──。

「…………!」

 背後に降り立った阿修羅に、続けて斬撃を出そうと振り返った瞬間、毘沙門天の両の肩口と脚の付け根から鮮血が噴き出した。

(馬鹿な……! 掠ってもおらぬのに……!)

 驚愕し、膝をつく毘沙門天を、背を向けたままの阿修羅が一瞥する。

「はじめから本気を出しておれば良いものを……」

 日輪刀と月光刀で切られた傷は、通常、同時に業火で炙られるため、まるで焼かれたような熱を帯びると、毘沙門天は識っていた。にも関わらず、切られた痛みと熱しか感じないのは、手心を加えられたのだと悟る。

「最後まで相手をしてやりたい所だが、お前の相手をしている間が惜しいのでな」

 そう言うと、阿修羅は城に向かって地を蹴った。

「待て……!」

 追おうとするも、肩口と脚の付け根の腱を正確に切られており、さすがにすぐ動くことが叶わない。

「阿修羅……!」

 阿修羅の軌跡を目で追うも、一瞬で姿が見えなくなる。

「……インドラ様……」

 呻くように呼んだ主の名は、阿修羅と共に舞い上がった疾風に掻き消された。

 兵たちが出払った城で、自らが座するべき場にインドラはいた。

 女たちは奥に避難させられ、表の喧騒も聞こえて来ないしんとした広間。肘をつき、支えた頭部に在る三つの眼(まなこ)は全て閉じられ、インドラはただ待っていた。

 眉が微かに反応する。

「……来たか……」

 何も聞こえては来ない。

 だが、ややして薄っすら瞼を上げると、遠くで微かに足音が響いた。それは、ゆっくりと近づいて来、やがて広間の前で途切れる。

「遅かったではないか。よもや、毘沙門天相手に手間取りでもしたか?」

 だらりと下げた両手に剣を持ち、息ひとつ乱さず、傷ひとつない相手に問う。

「……お前の知ったことではない」

「フッ……」

 素っ気ない返答に楽しげに笑うと、インドラはゆっくり立ち上がった。肩にかかっていただけの衣が、玉座にはらりと滑り落ちる。

「……内から湧き出し、留まることを知らぬ、これほどまでの高揚感……」

 歩を進め、真横に手を捧げると、その手の中にヴァジュラ──金剛杵(こんごうしょ)が現れた。インドラが握ると、力の強さを示すように、ぎしりと鈍い音がし、雷撃に似た光の中で大剣に姿を変える。

「……これまでに感じたことが…………あろうか!!」

 言い終わるや否や、インドラは踏み込んだ。阿修羅に向かい、まともに剣を振り下ろす。

「むっ……!」

 そこに阿修羅の姿はなかった。宙に弧を描きながら後方に飛び退くと、広間の壁を蹴り、インドラに向かって滑空する。

「はじめようぞ、闘神・阿修羅王よ! かかって来るがいい!!」

 迎え撃たんと咆哮した軍神が、下方から剣を振り上げた。
 
 
 
 

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