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〘異聞・阿修羅王/結6〙阿修羅と雅楽

 
 
 
 もはや、何度目かわからぬほど繰り返された刃(やいば)の交わり。

 だが、それは物理的な押し引きとは明らかに異なっていた。その場を支配していたのは、闘うことを主とした摩伽(まか)と須羅(しゅり)──二人が内に秘めた力の凌ぎ合いである。

「舎脂(しゃし)をここに連れて来るがいい……あれに須彌山(しゅみせん)の最期を見届けさせよ……!」

 半眼とは言え、額の第三の眼(まなこ)が開いた摩伽の力は、それまでとは比べ物にならなかった。須羅をすら圧倒し、飛び散る閃光が壁と言わず床と言わずに剥がしてゆく。

「……急がねば、須彌山の前にお前を消し去ることになるぞ……!」

 第三の眼が光を帯び、堪える須羅の形相が憤怒の面(おもて)に変化(へんげ)した。二人を中心にし、周囲の空気が急激に集まり、凄まじい圧を生み出す。

「……舎脂……舎脂か……やはり、此度も気づかぬままであったな……」

「……何……!?」

 圧倒的な力を受けながらも、須羅は不敵な笑みを浮かべた。

「なれば、言おう……舎脂などと言う娘は存在せぬ……! 端からおらぬのだ……!」

「どう言うことだ!」

 言われた意味を理解しかねた摩伽が、ほんの刹那、髪の毛ひと筋ほど気を乱した。その隙を、須羅が見逃すはずもない。

「……舎脂と呼ばれていた者なら、ずっと傍らにおる……! そう……」

 摩伽の問いに、須羅はまたも謎の笑みと言葉を以て答えた。

「お前の目の前にな……!」

 瞬間、須羅は凄まじい力を凝縮した。摩伽の意識より先に、第三の眼が何か危険を察知し、強烈な光を放つ。

「…………!」

 ぶつかり合った力が二人を飲み込み、辺りは閃光と爆音に包まれた。

 須彌山の麓近くで、雅楽(がら)は己の生きて来た長い長い時を思い起こしていた。

「……王……憶えておられまするか? 貴方様が、わたくしの意思を確認するため、自らお出でくださった時のことを……」

 手をとめることなく、そして、誰にともなく語りかける。

「わたくしたちは皆、否が応でも運命(さだめ)を負う身でありながら、あの時、王は選択の余地を差し出された……いえ、例え本当には選び得なかったのだとしても、わたくしの意思を確認しようと……」

 それは、阿修羅に嫁ぐ話が出てすぐの頃だった。雅楽が楽を奏でる花野に赴き、目線を合わせた阿修羅の面は、まさに悲哀に満ちていた。

『どのようなことでも、仰ってくださいませ。わたくし如きが、王のお傍でお役に立てるのなら、そして、それがわたくしの運命なら、どのようなことであろうとも、果たす所存にございます』

 そう答えた雅楽を、哀しいまでに美しい瑠璃色の眼が、それでも真っ直ぐに見つめていた。

『雅楽……私は、そなたを妻に迎えても、程なく去らねばならぬ……いや、一人きりにすると言うことではない。さっき申したように、私は何度も……正確には三度、代わる。そなたと一番長い時を過ごすことになるのは、今、こうしている“私”ではなく、別の“私”なのだ』

『別の……王……?』

 阿修羅は頷いた。

『……今、そなたとこうして話している私は、私の“本質”だ。だが、いつか果たさねばならぬ役目のため、“力”を極限まで引き出せるようにしておかねばならぬ。それには、代替わりを繰り返した“私”では駄目なのだ。私にとっては、いわゆる代替わりした身体は仮初に過ぎぬ』

『仮初……』

『役目の時にのみ、真の力を発揮するようになっているのだ……誤って力を使わぬように。長い年月をかけて身の内に力を溜め、温存する。それには、代替わりする仮初の身体では耐えられぬ。肉を持って鍛え抜かれた強靭な器……即ち、身体が必要なのだ』

 この時点では、まだ雅楽には阿修羅の言わんすることの本当の意味はわかっていなかった。だが、阿修羅の表情に、話すことを憚る感情が次第に増して行くのが見て取れ、固唾を飲む。

『……私が力を育むための器を、そなたに、この世に産み出してもらうことになる』

『…………!』

 雅楽の息が吸われたまま止まり、阿修羅は睫毛を翳らせた。

『弥勒(みろく)の入眠と同時に、“私”は新しい身体の中で眠りにつく。別の一個体として成長する肉体の内で、少しずつ力を溜めてゆくのだ。そして、いつの日か弥勒が覚醒(めざ)める時、肉を持った個体と、代替わりしていた個体の記憶はひとつとなり、私は再び“私”となる』

『それは、つまり……』

 言いよどむ雅楽に、阿修羅は申し訳なさそうに俯いた。その時の阿修羅の表情を、雅楽は何億年経た今でも忘れることが出来ない。

「……須彌山崩壊の後、世の人々を救済するは弥勒殿のお役目。わたくしの役目は、今、人界の、人々の緩衝となること……そして、何より我が王の肉体を、舎脂として、この世に送り出したこと……」

 手をとめることなく、雅楽は僅かに首を扉の方へ傾げた。

「……それが全てなのです。それをこそ、お知りになりたかったのでしょう……毘沙門天(びしゃもんてん)様……」

 息を飲む微かな音。

 雅楽が視線を送る扉の陰には、言葉もなく、ただ立ち尽くす毘沙門天と緊那羅(きんなら)の姿があった。

(……あの時の舎脂様は……)

 毘沙門天の脳裏に、インドラに謁見の際、偶然、顔を合わせた舎脂の様子がまざまざと甦る。あの不思議な言動は、懐かしい雰囲気は、決して勘違いではなかったのだ、と。

 黙り込む二人を前に、竪琴を爪弾く雅楽の指がとまることはなかった。
 
 
 
 
 

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