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〘異聞・阿修羅王6〙予見

 
 
 
 どれほど素気(すげ)なくされても、摩伽(まか)は須羅(しゅり)の元を足しげく訪れていた。

 懐いた犬のように纏わりつく摩伽を、これ以上ないほど冷たく須羅があしらい、懲りも諦めもせずにまた摩伽が纏わりつく──その繰り返しである。

 どうあっても変わらぬ摩伽のしつこさに痺れを切らし、終いには完全に無反応を決め込む方向へと転換した。だが、それでも摩伽は諦めようとしない。

 さすがの須羅も、忍耐力の完全なる枯渇を意識し始めていた。

「須羅……おまえ、何故(なにゆえ)、それほどにおれのことを嫌うのだ?」

 不思議そうに訊ねられても、眉ひとつ動かすことはない。

「おまえ……四天王とも八部衆とも別物と考えろと言うておったが、それでもおれは、おまえにとっても主となるのではないか?」

 それでも、何とか少しでも気を引こうと、思いつく限りの言葉を放つ摩伽に、ある日、須羅は小さく息を吐き出した。

「……では、訊くが、おまえは何故私の邪魔をするのだ?」

 反応が返ったことに、摩伽がパッと顔を上げた瞬間。

「……私は、その、主であるはずの、おまえの御世に、異常なきよう、役目を、果たしている最中なのだが?」

「………………」

 答えようとした摩伽の言葉は、須羅の次の言葉に暗に封じ込められた。拗ねた表情でうつむく様子に、須羅はさらに溜め息をつく。

「あまりに度が過ぎれば四天王を呼ぶぞ。おまえがおまえの役目を果たさぬのなら、我らも存在する意義はないのだ。良く識っておけ」

「放棄しておらぬ! 役目なら、毎日、果たしておるぞ!」

 さすがに反論する摩伽を、須羅は変わらぬ視線で見返した。

「…………と、思う…………」

 だが、すぐに摩伽の声の勢いが失速する。

「それよりも、四天王を呼ぶと言うたな。おまえの方から奴らを呼び出すなど出来るものか」

 上目遣いで申し立てる摩伽に、まさに冷笑、というに相応しい笑みを浮かべた。

「出来ぬと思うはおまえの勝手だ」

 突き放すように言う須羅に、また不満の目を向ける。

「……おまえは秘密が多い。このおれが知らぬことを知っているなど、おかしな話ではないか」

 どういう理論だ、と須羅は心の中で苦笑した。

「おまえはこれから知って行くべきこと、知らねばならぬことが多い。だが、それも、知ろうという気持ちがあっての話だ」

「そうやってまた、自分だけが悟っているような顔をしおって……!」

 心底悔しそうに呻く摩伽に、須羅は眉をひそめる。

(側近や四天王たちは何をしているのだ……? 教えるべきことを、全く教えていないではないか……いい加減、前置きを始めていても良い頃だぞ……?)

 そのせいで、自分は纏わりつかれるという迷惑を被っているのだ、と須羅は内心で毒づいた。だが、さらなる溜め息の後、諦めたように天を仰ぐ。

「……おまえには、おまえ自身の継承はない。真っ新な状態から始めるしかないと諦めろ」

 摩伽が首を傾げた時、背後から人の気配が近づいて来た。振り返った須羅の顔に、僅かながら驚きの色が表れる。

「珍しいな。どうした?」

 須羅の問いかけに、男のやや切れ長の鋭い目元がさらに細められた。

「邸に行ったら、見回りに出ていると言われ……」

 言いかけた男は、須羅の背後に立つ摩伽の顔を見て目を見開いた。

「……摩伽さま……!?」

 その反応に、不機嫌そうだった摩伽の表情が緩んだ。

「夜叉(やしゃ)よ。先だってはご苦労であったな」

「い、いえ……それよりも、何故、摩伽さまがこのようなところに……?」

「なに。大したことではない。その方こそ、こやつに用事か?」

 本来の扱いを受け、摩伽は気を取り直した。

「……そうか、おまえたちは共に毘沙門天の下(もと)におるのだな」

 摩伽は誰にともなく言い、摩伽にしてみれば不遜な態度の須羅と礼を取る夜叉を一瞥する。

「……では、おれは引き上げるとする」

 さすがに役目上の話であろうと察し、摩伽は引き下がった。

「……何をしにお出でだったのだ?」

 立ち去る摩伽の後ろ姿を見、夜叉が訊ねた。

「知らぬ」

「知らぬ、はなかろう。何もなく、摩伽さまがこのようなところに足を運ぶはずがない」

「知らぬ」

「おまえはいつの世も変わらぬな」

 取り付く島もない須羅に、夜叉は小さく笑って溜め息をつく。

「私が変わってどうする。奴が……摩伽がその都度変わっている状況で、私まで変わっておっては収拾がつかぬであろう」

「相変わらず呼び捨てか」

 本格的に苦笑し、すぐに夜叉は真顔に戻った。

「冗談はさておき、本当に摩伽さまは何用で来られていたのだ? 此度はずいぶんと利かん気の強い方だと気づいてはいたが……」

 何やら考え込み、須羅は夜叉に背を向けたまま足元に目線を落とした。

「……私と立ち合いたいのだそうだ」

「はっ!?」

 驚いた夜叉の声が素っ頓狂になる。

「立ち合い、って……おまえ……」

「まったく困ったものだ。此度の摩伽は何を言い出すやらわからん。私と立ち合いなどと、無駄なことを……」

 遠くを見つめ須羅の横顔を見つめ、夜叉はそれ以上の言葉を押し留めた。己が何を言わんと、須羅自身が一番わかっていると察したからだ。

「ところで、わざわざ邸に来るなど、私に何か用があったのではないのか?」

 須羅の質問に、夜叉がはたと己の目的を思い出した。

「……そうであった。いや、つい先ほど、宣旨が下った」

 そのひと言に、夜叉を振り返った須羅の肩にも力がこもった。

「……弥勒(みろく)の入眠の時期が予見されたそうだ」

 ふたりは、互いの目を見つめ合った。夜叉の言った言葉が何を意味するのか、ふたりともに良く識っていた。

「……そうか……」

 視線を戻した須羅は、ただひと言、つぶやくように答えた。
 
 
 
 
 
 

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