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社内事情〔10〕~疑問~

 
 
 
〔片桐目線〕
 
 

 
 
 里伽子と軽井沢に向かう車中でも、さっきのことが頭を離れない。考えたくないのに、油断をすると沸き上がって来る過去の記憶。

 振り払うように里伽子に話題を振り、瞬殺されることで意識を保つ。笑い話に持って行く。

 里伽子は、さっきの寄木さんとの会話で、彼女とおれが過去に何かあったと気づいただろうか。

 ……いや、里伽子のことだ。表面上、何もなかったかのように振る舞ってはいても、何かしら感じているに違いない。

 変に勘繰られるくらいなら、話してしまった方がいいのだろうか。あらぬ誤解を、里伽子だけにはされたくない。何より━。

 一切、巻き込まないで済むのなら、何ひとつ伝えずにおくのが最善だ。だが、それが不可能であるのなら、何も知らない無防備な状態でいきなり遭遇させる方が恐ろしい。

 とにかく、まずホテルに着いたら専務にだけは報告を入れておかなければ。考えながら、おれは車をひた走らせた。

 週末なので渋滞が心配ではあったが、思った以上に順調な流れでホテルに到着。

 着替えのため里伽子とわかれ、一度、自分の部屋へと入った。まず、専務への連絡もしておかなければならない。

 とにかく、大橋に電話を入れる。

 「大橋?片桐だ。今、ホテルに着いたところなんだが」

 『お疲れさまです。意外と早く着かれましたね……何かあったのか?』

 大橋はさすがに鋭かった。ホテルに到着したくらいで、わざわざ自分に連絡してくるようなおれじゃないとわかっている。

 「……専務もそこに一緒にいらっしゃるか?」

 『ああ……今、打ち合わせに専務室に来たところだ』

 話すべき内容の順番と焦点とを、おれは脳内で絞った。

 「……出がけに、直接、寄木さんが現れた」

 大橋が息を飲んだのがわかる。専務にも聞こえるように、スピーカーを切り換えたようだ。

 おれは聞いた事実だけを、端的に伝えることに集中した。

 「今のR&Sの社長……Rのことだが、あれは“ラドクリフ・リチャードソン”ではない、と……」

 『……何だって?……専務……!』

 驚いた大橋が専務に呼びかけている。

 『もしもーし、片桐くん?その話、本当に寄木さんが?きみに今日、直接、話したの?』

 大橋から電話を受け取ったらしい専務の声。いつもの緩さはほとんど感じられない。

 「はい。今のRは違う、と。それは間違いない、と」

 『じゃあ、リチャードソン氏はどうしちゃったんだろう?』

 「おれもそれが不思議で……ただ、寄木さんによると、どうもその辺りが不明らしいです」

 専務が考え込んでいる気配を感じる。そりゃあ、そうだ。おれだって俄には信じられなかった。だが━。

 『寄木さんは、何でその情報を手に入れたんだろう?』

 「彼女のご主人の仕事の関係で、数年、アメリカやヨーロッパで生活していたらしく……その伝で聞いたようです」

 そうだ。初めて電話があった時、朽木が『海外からだったように思う』と言っていた。強ち、思い過ごしでもなかったと言うことだ。

 『うーん。……まあ、手放しには信じられないけど……実際に彼女に会った片桐くんの見解は?』

 「あくまでおれの肌感覚ですが……でたらめを言っているとは思えませんでした」

 『そうかぁ。その辺のきみの見る目は、ぼくはほとんど外れないと思っているから……恐らく間違いないだろうねぇ』

 専務の言い方だと、本心から言われているのか怪しいのだが、当時の彼女の人柄も加味しての意見だろう。もちろん、人は変わるもの、ではあるが。

 「信憑性、と言う面では微妙な段階ですが、護堂副社長にはお伝えしておいて構いませんか?」

 『うん、そうだね。念のために話しておいて。それで、今夜、定例会が終わってからぼくに電話くれるように伝えてくれる?』

 「わかりました。それでは」

 電話を切ったおれは、携帯電話を握りしめたまま、寄木さんが現れた時のことを反芻していた。

 おれはかつて、まだRR社だった頃のリチャードソン社長とは何度か顔を合わせているし、少ないとは言え取り引きもしている。

 社同士のメリットが少ないから大した関わりではなかったが、集まりなどで会う彼はワリと気のいい男で、おれは決して嫌いじゃなかった。

 寄木さんが言ったことが事実だとするならば、リチャードソン社長はどうしてしまったのか。

 疑問は拭えないままだったが、とにかく着替えを済ませ、里伽子を連れて会場に入る。

 前回より冬仕様の里伽子のドレス姿。ほんの少しだが、心も顔も緩む。今のおれにとって里伽子の存在は、重い気分を払拭する何よりの清涼剤だ。

 ……だが、相変わらず他の野郎どもにとっても清涼剤だったようで、水面下での激しくも低次元な争い、これも前回と変わらなかった。

 おれは里伽子の目を盗み、護堂副社長に定例会終了後に電話をする旨を伝えた。さすがに人目も耳もある会場で話す訳にはいかない。

 定例会が終了し、部屋に入ろうとする里伽子に、

 「里伽子。先に専務に報告を入れておきたいことがあるんだ。後で来るから鍵をもらっておいていいか?」

 そう尋ねると、里伽子が一瞬、何か言いたげにおれの目を見つめる。

 「……はい。もう特に部屋から出る用はないので」

 そう答え、敢えて何も訊かず、おれの手に自分の部屋の鍵を乗せた。

 特に何もなければ、おれはこのまま一緒に里伽子の部屋に入り、一気に戦闘体勢に入っていただろう。前回と同じように。

 「サンキュ。じゃ、後で……」

 「……はい」

 やはり里伽子は、何か、には気づいている。それが、どこまで、何に、なのかはわからないが、とにかく何かを感じていることは疑いようもない。

 察しのいい里伽子を、このまま誤魔化し続けることも、受け流すことも出来ない。とにかく、護堂副社長と専務への報告を済ませ、ちゃんと里伽子にも説明しなければ。

 考えただけでも気が重いが仕方ない。里伽子との道を選んだ以上、避けては通れない。

 もちろん、自分の気持ち云々以前に、実際には里伽子にかかる負担を考えることの方が、おれの気を滅入らせるのだが……。

 おれは里伽子から預かった鍵を握りしめながら、隣の自分の部屋へと入った。

 そんなおれの後ろ姿を、扉の隙間から里伽子が見つめていたなんて知るはずもなく。
 
 
 
 
 
~社内事情〔11〕へ~
 
 
 
 
 
 
 
 

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