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かりやど〔参拾参〕

 
 
 
『 も う も ど れ な い 』
 
 

 
 
血に染まる事など何だと言うのか
血に塗れて産まれて来たと言うのに
 
 

 
 

 翌・水曜日。
 美鳥は夏川との約束通り、検査のために施設に戻っていた。
 
「概ね、安定した数値ですね。良く頑張っているのは認めます……ただ……」
 上げてから落とそうとする夏川に、美鳥の顔が身構えた。
「……少し夜更かししてませんか?」
「してないよ」
 間髪入れずに答えたものの、一瞬ギクリとする。
(どっかから見られてるのかな?)
 監視されているかどうかより、身体を見られたら夏川を誤魔化す事は難しい。何しろ、産まれた時から健康管理されている上、美鳥本人より身体の事を知り尽くしているのだ。ある意味では、両親よりも、昇吾や朗よりも美鳥の身体を知っている、と言える。
「……ちゃんとベッドには入ってるけど……たまに眠れない時あるから……」
 言い訳がましい説明に、夏川の視線が朗──昇吾に向いた。昇吾の顔もギクリとする。
「……はい……あの……最低でも日付を越えないうちにベッドには入ってます」
 監視人と言うよりは保護者のような者、としての責務であるから仕方ない。とは言え、まさか「ほとんど一緒に寝てます」とも言えない。
 少々、疑わしそうな顔で、夏川が溜め息をついた。
「……とりあえず、今回は及第点を出しておきます。また必ず週末に来てください」
「……は~い」
 やる気のなさそうな美鳥の返事。
 
 その後、春さんが用意してくれた夕食を皆で摂り、美鳥は昇吾と共にマンションに帰宅した。
 
「やっぱり春さんの作ってくれるゴハンが一番美味しいや」
 目一杯食べた美鳥が満足気に言うと、
「そんな事ないよ。確かに春さんの料理は絶品だけど、翠(すい)も負けてなかった。この間の料理、本当に美味しかったよ」
 昇吾が答える。嬉しそうに、少し得意気に笑った美鳥は、キッチンに入るとお湯を沸かし始めた。昇吾が目を丸くする。
「……あれだけ食べて、まだ何か食べるのかと思った」
 マグカップを置いた美鳥が、からかうように言う昇吾を少し睨んだ。
「……ミルクティー淹れただけだよ」
 昇吾が「ごめん、ごめん」と肩を竦める。
「……じゃあ、ベッドまで運んで」
 すぐに機嫌を直し、上目遣いでねだる美鳥の頬をなでて昇吾は笑った。
「脈絡なさ過ぎだよ。どこからその『じゃあ』は来るの?」
「……ダメ?」
 更なる上目遣いで押して来る。
「……やれやれ……」
 笑いながら溜め息をつき、諦めて軽々と抱き上げた。
「……先生に早めにベッドに、って言われた手前、仕方ないな」
 強制連行の構え。目を瞑った美鳥が、昇吾にもたれて首にしがみつく。
「……お姫様……手を離して戴けませんか……」
 しがみついたままイタズラっぽく微笑む様は、どう考えても遊んでいるとしか思えない。こんなところまでが昔の美鳥に戻ったようで、昇吾は嬉しいやら困ったやら複雑な心境だった。
「……毎回これじゃあ、早くベッドに入っても意味ないじゃないか……」
 ひとりブツブツ呟く昇吾。
「まだ全然早い時間だもん。大丈夫」
 自分が原因だと言う事は、完全に棚に上げた美鳥の言葉。
 恐らく昇吾は、日に10回以上溜め息をついているだろう。
「……朗……」
 美鳥の唇から、名前を呼ぶ声が吐息のように洩れる。魔力でも宿っているかのような声に、諦めた昇吾はゆっくりと顔を近づけ、その吐息を飲み込んだ。
 
 だが、美鳥のあたたかい肌の感触を直に感じたのも束の間。
 昇吾は自分でも知らぬ間に、再び意識を吸い込まれ、やわらかい身体を包んだまま眠りに落ちていた。
 

 
 再びマンションの前で落ち合った美鳥と本多たちは、目的の場所に向かいながら最後の打ち合わせと確認をしていた。
 
「……黒川玲子は疑いもしないで、あっさり呼び出しに乗ったの?」
 美鳥が意外そうに訊ねる。
「はい。交際相手……田川に入れ込んでいるようで……まあ、本人に入れ込んでいるのか、田川のバックグラウンドに入れ込んでいるのかは不明ですが」
「ふーん……まあ、田川が黒川玲子の本性を知らないとしたら、ただの気の毒な男って事になるね」
 その辺りは丸っきりどうでもいい、と言う風に美鳥が呟いた。
「このビルの最上階が会場です」
 本多の言葉と共に、車が大きなビルの地下駐車場へと乗り入れる。
「最上階の店舗を丸々買い取り、スタッフは配備済みです」
 無駄のないその説明に、妖しく笑う美鳥の口元。
「……じゃあ、オープニングパーティーと行こうか」
「はい」
 本多と伊丹が同時に返事をした。
 
 美鳥の連れ去り事件が起きた日。
 正確には、小松崎朗──昇吾の足止めに成功する目途が立った時に、玲子がその場で実行を命じた、のであるが。目論み通り、小松崎家にいた人間──予想通りに少女を連れ去り、計画は成功したかに見えた。
 自分に恥をかかせた男、小松崎朗への見せしめのためである。実際には『恥をかかされた』と言うレベルの話ではなく、玲子が異常にプライドが高く、そして自己中心的なだけなのだが。
 巧みに田中から情報を引き出した玲子には、昇吾本人を攻撃するより効果がある事は容易に見抜けた。
 だが翌日には、犯行を依頼した仲間はひとり残らず死体となって発見され、さすがの玲子も焦りを隠せなかった。しばらく護衛をつけていたのはそのせいである。
 その後、特に報復などの気配を感じる事はなく、玲子は再び動き出した。
 田川との事はその序章であり、第一段階は間もなく完了するはずであった。即ち、田川との交際を婚約に持ち込む事、高州たちのグループを切る事、自分に入れ上げてる男を巧く利用する事。
 
 そんな状況で田川からの呼び出しがあれば、玲子が応じない訳がない。
『玲子さん、突然のお誘いで申し訳ありません。今夜、馴染みの店でパーティーがあります。私のパートナーとして参加して戴けませんか。ただ、お誘いしておいて申し訳ないのですが、少し遅れてしまいそうなので、先に会場に入っていてください。先方には玲子さんの事は伝えてあります』
 もちろん、これは田川を連れ去った本多が送ったものである。玲子は喜んで乗って来た。今、会場で田川を待ちながら、極上の笑顔を浮かべている。
 こんな誘いに簡単に乗る程、玲子は田川を手に入れたいと考えていた。美鳥はそこを突いたのである。
 

 
 偽物の客、偽物のスタッフ、偽物のパーティー会場。玲子は田川の事を待ちかねていた。
(そろそろ婚約まで持ち込めるかしら。彼は魅力的だし、しかも手を組めばパパの仕事もますます楽にコトが運ぶようになる……)
 シャンパングラスを手に窓から眼下を眺める。
(あたしに相応しい光景ね)
 満面の笑みを浮かべた時、突然店内の照明が落ちた。
「……な、何っ!?」
 驚いた玲子にライトが当てられ、眩しさに目を細める。気がつけば、いつの間にか客もスタッフも姿が見えなくなっていた。
「一体、何なの!?誰か……誰かいないの!?」
 喚く玲子の耳に足音が聞こえる。と同時に、
「ようこそ、黒川玲子さん?」
 女──いや、正確には少女の声。
「……だ、誰よ、あなた……」
 目の前には人影。ライトの陰になり、玲子からは顔は見えないが、背の高い男ふたりのシルエット。そのふたりの間に小さな人影が浮かび上がる。
 玲子が身構えた。
「あれ?私の事を知らない?……ああ、そっか……」
 クスクス笑う美鳥。
「お会いするのは初めて、だったね。だけどさ……」
 一歩、前に出ると、光の加減で姿が垣間見える。
「襲う相手の詳細くらい、調べた方がいいと思うよ?」
「な、何の事よ!……それより、一体、これは何の真似なの!?」
 笑顔を浮かべたままの美鳥。それがより一層、玲子の苛立ちを煽る。
 睨み合うふたり。とは言え、美鳥は笑顔で、睨んでいるのは玲子だけであるが。
「……じゃあ、一応ちゃんと自己紹介しようか」
 美鳥の口調の中に、馬鹿にしたようなニュアンスを感じた玲子の眉が更に吊り上がった。
「……私はね……あなたがお仲間に命じて、土足で家に上がり込まれて連れ去られた『小松崎家にいた女』だよ」
 瞬きの止まった玲子が息を飲む。だが、美鳥の笑顔は変わらない。口元だけに湛えた笑みは。
「……こう言えばさすがに覚えてるよね?いくら、あなたでも」
 またもや嫌味を含む言い回しに、玲子が息を吸い込み、次いで言葉と共に吐き出した。
「知らないわよ!あたしは何も知らない!関係ないわ!大体、小松崎家にいる女とか何の話よ!?あんた、本当に何者なのよ!?」
 瞬間、美鳥の目が変わる。感情のこもらない、暖かくも冷たくもない目に。
「もうさぁ……殴られて散々な目に遭ったし、危ういところだったし、言いたい事は山ほどある訳。でも、まあね……いいお仲間をお持ちだよね。私の意識があるのかないのかも確認しないで、こんな事言ってたよ……『おい、いい加減にしとけよ。生かしておかないと玲子に怒鳴られるぞ』『全く、このためにバイト先の専務から情報を引き出すなんて、黒川家の人間の恐ろしい事』『おいおい、こりゃあ、玲子よりよっぽど上玉じゃねぇか』……ってね。まあ、見る目はあるのかな?」
 怒りなのか、恐怖なのか、噛み締めた玲子の唇が震えている。
「……でね……?私、赦せないんだよね……」
 呟いて顔を下に向け、僅かに睫毛も伏せた美鳥が口角だけを上げた。
「……それだけだったなら……今後、私たちに関わりさえしなければ、もう放っといても良かった。……だけどね……これだけは赦せない……」
 声に凄味が加わり、玲子が慄く。
「な、何の事を言ってるのよ……!あたし、何も知らないわよ!あいつらが勝手にやった事でしょ!」
 責任逃れの玲子の言葉に、顔を上げた美鳥の目は恐らく誰も──昇吾も見た事がない凄まじい怒りを湛えていた。玲子が全身を戦慄かせながら後退る。
「……そんな言い訳、通じると思う?そもそもね?私はあなたの父親にも、恨んでも恨み切れない因縁があるんだよね。今回、あなたがやった事で、私は決断した……やっぱり放っておいてもロクな事ない、ってね」
「パパがやった事なんてあたしには関係ないわよ!大体、パパが何したって言うの!?」
 冷たく見下ろす美鳥の目が大きく開かれた時──。
「……それはパパに訊いてみればいい……あの世でね……」
 玲子が目を見開いた。
「安心して。パパもすぐにあなたの元に行くだろうから」
 戦慄し、硬直した玲子の耳に美鳥の笑い声が響く。すると、伊丹が美鳥に小さく耳打ちした。
「もうお一方のゲストが到着されたみたい。黒川玲子さん……あなたも良くご存知の方。あなたにもね……私と同じ事を味わって欲しくて……でも、私はあなたみたいに中途半端な事はしないよ」
 ちらりと横を見遣り、そのまま続ける。
「……後はよろしくね?高州さん」
 いつの間にか部屋の片隅に高州たちが佇んでいる。それを認めた玲子が驚愕した。
「高州!あんた、あたしを裏切ったの!?」
「ふざけんな!先に裏切ったのはお前の方だろうが!」
「どれだけ稼がせてやったと思ってるのよ!恩も忘れて……!」
「恩だと……?俺たちが売ってやってたんだ!お互い様じゃねぇか!」
 ふたりの不毛な言い争いを楽し気に聞いていた美鳥が本多に合図すると、縄で縛られた男が扉から放り込まれた。
「田川さん!」
 玲子が叫び声をあげる。
「デートしてるとこにするか迷ったんだけど、あんまり彼のカッコ悪いとこ見せるのも気の毒と思ったんでね……呼び出しだけ協力してもらったんだ」
 『協力』と言えば聞こえはいいが、実際には田川の意思など関係なく本多が行なった事である。
「彼に最期を看取ってもらえるよ」
 感情の機微のない声音に、ただ震えている玲子。
「……ご機嫌よう……黒川玲子さん」
 艶やかに咲いた満面の笑み。
 『わかれる時の最高の笑顔』を玲子に向けた美鳥は踵を返した。
「……高州さん、後はよろしくね。全て終わったら……連絡待ってます」
 美鳥が笑顔で言うと、高州は返事の代わりに手を上げた。
 
 男ふたりを従え、部屋を出て行く美鳥の後ろ姿を、玲子は声も出せずに見つめる。
 そして高州は、美鳥が玲子に向けたのと同じ笑顔を、自分にも向けていた事など知る由もなかった。
 

 
 再び、腕の中に滑り込んだ美鳥を、やはり同じように胸に巻き込む昇吾。その腕のぬくもりを感じながら、美鳥は心の中で呟く。
(……黒川玲子……あんたのやった事で、あんたは昇吾の心を……誰よりもまっさらだった昇吾に……生涯、拭えない決断をさせた……!あんたの事も、そもそもの切っ掛けを作ったあんたの父親たちも、絶対に赦さないよ……!)
 目の際にひと筋の軌跡。
 
 これが全ての幕開けであった。
 
 
 
 
 
 
 
 

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